☆本日の作業用BGMは『ロビンソン』(スピッツ)でした。
 不思議な曲ですねぇ。イントロ好きです。

ーーーーーー

 外観とは裏腹に、ボロ家の中は小奇麗だった。
 普通に人が暮らしている空気と、よそン家の匂いが微かに漂う。

 居間に通された。畳敷きだ。
 焦げ茶色の丸い卓袱台が鎮座している。

「お兄様」が縁側を臨む戸をカラカラ開け放つと、申し訳程度の小さな庭が姿を現した。
 陽当たりは悪い。昼間なのに、庭は薄青く翳っている。
 庭の隅に、使い込まれた風な物干し台がポツンと――枯れた感じに突っ立っていた。

 居間も負けじと薄暗く、既に夕方のような塩梅。
 日中でも照明が必要なんじゃないの? 

 けれど、どことなく陰気くさいこの感じも、そんな悪くない気がしてしまう。
 この()と、漂う空気は相性が良い感じがする。
 
「……どうぞ」

 卓袱台に(いざな)われ、一応座布団に正座してみた。普段、正座なんてしない。
 昔テレビに出ていた大屋●子さんというご老体が、「生涯で一度も正座した事が無い」ので膝がツルツル、と言ってたのを真似ているから。
「寺」故に家族が煩いが(綾女を除く)無視し続けている。
 これといって取り得も無い女だ。膝くらいツルツルしていてもいいじゃないの。


 お兄様がどこぞの窓を開けたものか、(ぬるく)く籠った部屋の空気がゆるゆる動き出す。

「ちょっと水浴びていい?」

 水の入ったグラスを卓袱台に置きつつ、お兄様が問い掛けた。

「あ、あの、あい、愛す――」
「? ああ……ちょっと待って」

 踵を返してどこぞへ引っ込むと、ふうっとため息が漏れた。

 高級アイスクリンにつられて上がり込んじまった。
妹御(いもうとご)のお友達」ヅラしてこうして座っているのは何処か収まりが悪いものの、とっとと目当てのアイスを頂かないことには退散しづらい。


 台所と思しき奥からお兄様が顔を覗かせた。
 暗くてはっきりとは見えないが、目を細めて眺めていると、ロボットのような無表情でそーっと歩いて来る。
 やけに大きなガラスのお皿に、山盛りの素麺みたいな物体が乗っている。

「お待たせ。じゃ、ごゆっくり」

 卓袱台に置かれた皿を覗き込んだ。
 素麺かと思ったそれは、かのアイスクリームだった。
 伝説のあれだ、

「レデ●ー☆ボードゥンッヌ(?)」

 中空に視線を向け、劇団○四季風に小さく叫んでしまった。

 添えられたスプーンは、カレーライスでもいけそうなデカさだ。

(……おひとり様用の量ではない)
 
 上等!
 
 嬉々としてひと口掬い、ねっとりとスプーンをねぶる。

 ――こんなもんか?

 というのが率直な感想。小さい頃からあんなに恋い焦がれていたのに!

 多少気落ちしたが、時間が経つにつれ――
 おおおおお?! 美味し! なんだうまいじゃん! いかった!
 さすが伝説、やるやるとは聞いてましたよ。
 スプーンを持つ手が止まらない。


 夢中で食んでいると、いつの間にか誰かが背後に立ち竦んでいた。


「神幸さん? いらっしゃい。――どうされました?」

 額にうっすら汗を浮かべた美冬さんだった。


☆☆☆


 これまでの経緯をひと通り説明すると、何故か美冬さんは眉間に皺を寄せ、釈然としない顔になった。
「面白くない」と顔に書いてあるように見える。あれれ?


 ほんの10分ほどで、タオルで頭をガシガシ拭きながらお兄様がやって来た。

「お、美冬お帰り。珍しいよな、お前が友達連れて来るなんて」
「ただいま帰りました。……お連れしたのはお兄様でしょう」

 美冬さんは不機嫌そうな顔を兄貴に向けた。
 ちらとコップに目をやり、

「水道水じゃな・く・て! せめて麦茶でもお出ししてくださいよ」

 愚痴ひとつ立ち上がり、お嬢は台所に消えて行った。
 兄貴は唇を尖らせつつ見送ると、こちらを振り返り、

「じゃ。俺寝るから」

 他人事のような言葉を投げ、そのまま奥へと引っ込んでしまった。


☆☆☆


「あれが噂のお兄様か……」
「噂? にはなっていないでしょう」

 美冬さんも、私ほどではないが山盛りのアイスを皿にあけて食べている。
 器の大きさを目でちらちら見比べながら、なんか自分だけ大盛のカレー食べたみたいで恥ずかしい心持ちが。
 
「ビックリされたでしょう。あまりにボロい家で」
「えー、まあ、ちょっと。でも中は綺麗ですよね。……アレですか、リロケーション――じゃなくて、セレブレーション?」
「『リノベーション』ですね。小●ルミ子さんではございません」

 うお?! 美冬さんにツッコまれてしまった! なんか嬉しい。
 当の彼女も愉し気に微笑んでいる。

「ここ、お家賃いくらなんです?」
「賃貸ではないのですよ。お兄様が昨年購入されまして」
「買った?! ここを? なんと物好きな……」


 亡きご両親の遺産を引き継いだタイミングで、即座に購入を決めたらしい。
 建て替えが利かないらしく(※再建築不可物件。接面道路の幅員が規定に満たない)、殆ど土地代の格安物件だったそうな。
 然もありなん。この路地じゃ救急車はともかく、消防車は入って来れないんじゃ?

「家を買ったという一報を受けて、昨年、叔母と一緒に泊りに来たのです。これならなんとか――と思いましたので、あの高校を受験する事にいたしました。あの日、わたくしの一大プロジェクトが開始したのです」

 脳内に、『♬ 風のンなっかの●ぅーぶぁるぁ~』という歌い出しが流れた。巻き舌だ。

「えーと……そこまでして、一緒に暮らしたいと? あの、お兄様――お名前はなんてぇんですかねぃ?」
「主水、春主水です」
「モンド……」

 今更明かされる名前。
 手拍子で弄りたくなる名前ではあるが、ここは大人しく無言で遣り過ごした。


☆☆☆


 実際の遣り取りを見ていて、やはり違和感はある。

「ホントにお兄様呼びなんだ……」

 呼応したように、

「田舎でアルバイトしていた神社で、言葉遣いをレクチャーされたのがきっかけだったと思います」

 初耳エピソードだ。

「さすがに初めは慣れませんでしたが、その内——丁寧な言葉遣いは、波打つ心中を穏やかに抑えてくれるような、そんな心持ちにさせてくれる事に気が付きました……」
 
 自身で煎れた熱いお茶を両手でちょいちょい擦りながら、美冬さんは遠い目になった。


 バイト先の神社は比較的暇なところだったようで、勤務中、事務所の本棚にある本を片っ端から読み込んだそうだ。
「マナー講座」などの実用書、「秘書検定」などのテキスト群も区別なく目を通したらしい。

「神幸さんも、もしそういった方面にご興味がおありでしたら……わたくしもオススメいたします」

 話の中で俎上に上がったのが、「ビジネス文書検定」という資格だった。
 そのまんま、ビジネス文書の検定(民間資格)。三級から一級までのラインナップ。

 美冬さんは上京前既に、

「三級はもうひとつ手応えに欠けましたので、二級は飛ばして一級を取りました」

 だそうな。

 文系科目相当なら勉強するのも(やぶさ)かではない。
 一級のテキストを読み込んだ暁には、私も「お兄様」となるのだろうか?
 まるで想像つかないが。

 顔を上げて、照明の小さなまるポチに視線を彷徨わせていると、突然突き当りの襖が開いて、

「ラノベの『庶民サ●プル』とかもいいと思うよ? お嬢様系のヤツがおすすめ」

 顔を覗かせた主水氏はひと言告げるとまた引っ込んだ。


 首だけ向けて襖をボンヤリ眺める美冬さんが、

「……昨年ここへ宿泊した折り、お嬢様風にお兄様と会話を交わしたところ――まあ、ごっこ遊びみたいなものでしたが――すこぶる受けが良かったのです……」

 ぽそり零した。
 表情は窺えない。でも、耳がほんのり桃色に色付いている。
 
 ほーん……現実、きっかけなんてそんな些細なことかもしれないっすよね。