☆本日の作業用BGMは『いっそセレナーデ』(井上陽水)でした。
独特の声・歌い方、真似できるものではないと……思うとります。
ーーーーーー
冬にしては珍しく、朝から土砂降りの雨が降り続いております。
昼過ぎに見たテレビでは、ちょっとイケメンと噂の(あくまで世間の評価)気象予報士が、
「日中も気温は上がらず……夜更け過ぎに雪へと変わるだろう……」
前髪をファッサーと靡かせ、妙な余韻を残して言い切りました。
「なに調子こいてんだ」「変わるでしょう、でよか」「達郎かお前は」
私はひとり、声に出して都合三度、画面へツッ込みを入れたのでございます。
☆☆☆
終日雨天の場合、ここへお客さんがいらっしゃる確率は格段に下がります。
本日も五ツ(午後八時)を回りましたが、来店客は皆無であります。
絶対とは言い切れませんが、この後も状況は変わらないでしょう。
早めに店仕舞いして帰ろうか――窓の無い事務所で軽く伸びをしたところで、表がカランと鳴りました。
モニタに目をやると。
店内に足を踏み入れたのは、背の高い女性のようです。雨に濡れた気配もありません。
白いヘッドドレスを付けたメイド姿。
片腕に幼子のような人形が座っております。……デジャブ?
人形は猫耳付きのニット帽を被り、真冬なのに上下ピンクのTシャツ・短パン。足元はフリルが可愛らしい白いソックス。しかしまさかの健康サンダル。
ちらり覗いた金髪の前髪が、上空を漂う暖房の緩い風にパヤパヤ揺れております。
――このメイドさんには、確かに見覚えがありました。
昨年暮れ、天神で遭遇した方です。ミケちゃんと待ち合わせしていたメイドさんでございます。
「お久しぶりです」とは……。自分から身を明かすわけにはいきません。
☆☆☆
人形を抱えたまま、のっしのっしと歩むメイドさんが椅子に腰を掛けます。
コンマ数秒、説明書きに目をやると、視線を落としてボタンを押下いたしました。
丁度、人形も俯く感じにボタンへ視線を向けます。
メイドさんが押したボタンは、『長谷川宣以(幼名・鐡三郎)』。
声はやっぱり、あの方でしょうか。先年お亡くなりになった人間国宝――。
メイドさんは受話器を取り、何故か人形の耳に宛てます。
微かなモーター音? が「ウイーン」と鳴り、人形の首が動きました。
【少年合唱団!】
ソプラノボイスで言葉を発したのは人形の方でした。
また腹話術か。「ウ○ーン少年合唱団」?
ネタ?
メイドさんをちらり見やると、口許を引き結んだまま。
「こんばんは。ツイてない御苑へようこそ」
メイドさん、ひとつ「ぺちん」と人形の頭をひっぱたくと、人形がポロと両目から涙を零しました。
【おお……鐵、久しいのう。二百数十年ぶりじゃ。あの世でも堅固に暮らしておるか? ん?】
はらはら雫を流しながら、人形が唇を震わせました。
「あのう……ここ、どなたかにお聞きになりましたか?」
【最近知り会うた寺の娘からの。噂も耳にしたぞえ? 亡くなった人間を呼び出して語り合えるそうな】
「恐○かよ。私はイタコではありません、残念ながら」
【違うのかえ? 楽しみに参ったのじゃが】
「私の声、どなたに聞こえます? やはり吉右衛門さんですか?」
【吉右衛門……ではないじゃろ? 鐡――鐵三郎の声であろうが】
「???」
――いったい誰の声だと?
しかし、どういう噂か知りませんが、いつの間にかイタコにされていたようで。
まあ仕様がありません、知る人ぞ知るという店でしょうから。
後で綾女を捕まえて、石抱き・海老責めする必要がありますね(火付盗賊改の如く)。
【ふむ。イタコ擬きではないのか。有名人ならイケるかと思うたが……】
「ここは、『ツイてない』を捨てる場所なんです」
【ツイてない、か……】
人形がぼんやり中空に視線を漂わせます。
抱えているメイドさんは無表情で、目だけ人形に向けています。
【ツイてない、というか……昨今、ワシの周りもポツポツ鬼籍に入る者が出て来てな……同胞が減っていくのは寂しいことじゃの……】
鬼籍?
メイドさんをまじまじと見詰めてしまいます。
いっても四十代、いえ、アメリカの女優さん風の濃いお顔ですが、もう少し若いかもしれません。
周りが次々(とまでは言ってないか)お亡くなりになるほどとは思えません。
……仕様がないですね。当てが外れて申し訳ないですが。
「お話は以上で? では、ゴッド・ブレス・ユー」
【待て待て! 待てじゃない!】
「どっちです?」
【せっかくじゃ、もう少し付き合うてくれい】
メイドさんが空いている手で、また五百円硬貨を投入します。
迷わず『たはむれに 母を背負ひて……』というボタンを押しました。
……こんなボタンありましたでしょうや? 誰の声があてられているのでしょう。
【ほい来た! ワシじゃワシじゃ! 久し振りじゃあ!】
「こんどは誰の声です?」
メイドさんが、再び人形の頭を「ぺちん」と引っぱたきました。
すかさず人形の両目から涙が零れます。
「後頭部にスイッチでもあるのですか?」
【おおお! 先生、久し振りじゃあ……】
人形が本格的にダムを決壊させたようです。泉のように、後から後から涙が溢れ出て止まらない勢いです。
相変わらずメイドさんは無表情。口許はピクリともしません。
完璧な腹話術――。瞠目です。
「見事な腹話術ですねえ」
【ん? おお、いっ○く堂にレクチャーしてもらったことがあってのう】
「左様で。……不勉強で誠に申し訳ないのですが、この声の主は?」
【ああ……明治期の歌人じゃ。若くして死んでしもうた……】
【晩年、わりと「いい仲」だったんですよう~】
初めてメイドさんが口を開き、補足しました。
にっこり微笑みます。いい笑顔です。しかし、照れなどどこにも見受けられません。
てか、「いい仲」? 明治の歌人と?
ふと人形に目を落とすと、気の所為か頬が桃色……のような。
「あ! ひょっとして、石○○木ですか? あれ? あの方、妻子がいらっしゃいましたよね?」
ワイドショーを見ながら談笑するママ友の如く、ひとしきり(俗っぽい話題で)盛り上がりました。
やがて――人形は静かに目を閉じたのでした。
☆☆☆
五ツ半(午後九時)になろうかというところで、メイドさんがスッと立ち上がりました。
半身で壁掛けの時計をじっと見詰めております。
ふいに、人形がゆっくりと目を開け、こちらへと首を回し、
(ごくろさん。またお忍びでI'll be backじゃ。デデンデンデデン♪)
確かに囁いたのです。
お忍び? そんなメイド姿でお忍びもどうかと思いますが……。
そう言えば――受話器は既に収まっております。
でもハッキリとその声は私の耳に届いたのであります。
表戸の前で一瞬立ち止まったメイドさん。
今更ですが、傘立てに傘が見当たりません。
土砂降りの中、どのようにしてやって来たものか……。
戸を開けて、一人と一体が漆黒に身を滑り込ませる寸前、
「ゴッド・ブレス・ユー……」
なんとなく釈然としないまま、私は言葉を送り出したのでございます。
☆☆☆
家に帰り着いて、兄様とばったり。
出会い頭に問い掛けました。
「本日の――鬼平さんのお声は、吉右衛門さんじゃないのですか?」
「吉右衛門さんに決まってるだろうが」
「……左様で……」
怪訝そうなハゲを見るにつけ、私は言葉を継ぐ事が出来ませんでした。
モヤモヤしたまま母屋を出ると、頬を冷たいものがスッと掠めていきます。
日が変わる前に、雨は雪になったようです。
気障ったらしい気象予報士の言った通りに。
ふと。
「また来る」と囁いた人形の顔が浮かびました。
私は――睫毛にひと欠片の雪を乗せたまま身震いすると、小走りに離れへと引っ込んだのでございます……。
独特の声・歌い方、真似できるものではないと……思うとります。
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冬にしては珍しく、朝から土砂降りの雨が降り続いております。
昼過ぎに見たテレビでは、ちょっとイケメンと噂の(あくまで世間の評価)気象予報士が、
「日中も気温は上がらず……夜更け過ぎに雪へと変わるだろう……」
前髪をファッサーと靡かせ、妙な余韻を残して言い切りました。
「なに調子こいてんだ」「変わるでしょう、でよか」「達郎かお前は」
私はひとり、声に出して都合三度、画面へツッ込みを入れたのでございます。
☆☆☆
終日雨天の場合、ここへお客さんがいらっしゃる確率は格段に下がります。
本日も五ツ(午後八時)を回りましたが、来店客は皆無であります。
絶対とは言い切れませんが、この後も状況は変わらないでしょう。
早めに店仕舞いして帰ろうか――窓の無い事務所で軽く伸びをしたところで、表がカランと鳴りました。
モニタに目をやると。
店内に足を踏み入れたのは、背の高い女性のようです。雨に濡れた気配もありません。
白いヘッドドレスを付けたメイド姿。
片腕に幼子のような人形が座っております。……デジャブ?
人形は猫耳付きのニット帽を被り、真冬なのに上下ピンクのTシャツ・短パン。足元はフリルが可愛らしい白いソックス。しかしまさかの健康サンダル。
ちらり覗いた金髪の前髪が、上空を漂う暖房の緩い風にパヤパヤ揺れております。
――このメイドさんには、確かに見覚えがありました。
昨年暮れ、天神で遭遇した方です。ミケちゃんと待ち合わせしていたメイドさんでございます。
「お久しぶりです」とは……。自分から身を明かすわけにはいきません。
☆☆☆
人形を抱えたまま、のっしのっしと歩むメイドさんが椅子に腰を掛けます。
コンマ数秒、説明書きに目をやると、視線を落としてボタンを押下いたしました。
丁度、人形も俯く感じにボタンへ視線を向けます。
メイドさんが押したボタンは、『長谷川宣以(幼名・鐡三郎)』。
声はやっぱり、あの方でしょうか。先年お亡くなりになった人間国宝――。
メイドさんは受話器を取り、何故か人形の耳に宛てます。
微かなモーター音? が「ウイーン」と鳴り、人形の首が動きました。
【少年合唱団!】
ソプラノボイスで言葉を発したのは人形の方でした。
また腹話術か。「ウ○ーン少年合唱団」?
ネタ?
メイドさんをちらり見やると、口許を引き結んだまま。
「こんばんは。ツイてない御苑へようこそ」
メイドさん、ひとつ「ぺちん」と人形の頭をひっぱたくと、人形がポロと両目から涙を零しました。
【おお……鐵、久しいのう。二百数十年ぶりじゃ。あの世でも堅固に暮らしておるか? ん?】
はらはら雫を流しながら、人形が唇を震わせました。
「あのう……ここ、どなたかにお聞きになりましたか?」
【最近知り会うた寺の娘からの。噂も耳にしたぞえ? 亡くなった人間を呼び出して語り合えるそうな】
「恐○かよ。私はイタコではありません、残念ながら」
【違うのかえ? 楽しみに参ったのじゃが】
「私の声、どなたに聞こえます? やはり吉右衛門さんですか?」
【吉右衛門……ではないじゃろ? 鐡――鐵三郎の声であろうが】
「???」
――いったい誰の声だと?
しかし、どういう噂か知りませんが、いつの間にかイタコにされていたようで。
まあ仕様がありません、知る人ぞ知るという店でしょうから。
後で綾女を捕まえて、石抱き・海老責めする必要がありますね(火付盗賊改の如く)。
【ふむ。イタコ擬きではないのか。有名人ならイケるかと思うたが……】
「ここは、『ツイてない』を捨てる場所なんです」
【ツイてない、か……】
人形がぼんやり中空に視線を漂わせます。
抱えているメイドさんは無表情で、目だけ人形に向けています。
【ツイてない、というか……昨今、ワシの周りもポツポツ鬼籍に入る者が出て来てな……同胞が減っていくのは寂しいことじゃの……】
鬼籍?
メイドさんをまじまじと見詰めてしまいます。
いっても四十代、いえ、アメリカの女優さん風の濃いお顔ですが、もう少し若いかもしれません。
周りが次々(とまでは言ってないか)お亡くなりになるほどとは思えません。
……仕様がないですね。当てが外れて申し訳ないですが。
「お話は以上で? では、ゴッド・ブレス・ユー」
【待て待て! 待てじゃない!】
「どっちです?」
【せっかくじゃ、もう少し付き合うてくれい】
メイドさんが空いている手で、また五百円硬貨を投入します。
迷わず『たはむれに 母を背負ひて……』というボタンを押しました。
……こんなボタンありましたでしょうや? 誰の声があてられているのでしょう。
【ほい来た! ワシじゃワシじゃ! 久し振りじゃあ!】
「こんどは誰の声です?」
メイドさんが、再び人形の頭を「ぺちん」と引っぱたきました。
すかさず人形の両目から涙が零れます。
「後頭部にスイッチでもあるのですか?」
【おおお! 先生、久し振りじゃあ……】
人形が本格的にダムを決壊させたようです。泉のように、後から後から涙が溢れ出て止まらない勢いです。
相変わらずメイドさんは無表情。口許はピクリともしません。
完璧な腹話術――。瞠目です。
「見事な腹話術ですねえ」
【ん? おお、いっ○く堂にレクチャーしてもらったことがあってのう】
「左様で。……不勉強で誠に申し訳ないのですが、この声の主は?」
【ああ……明治期の歌人じゃ。若くして死んでしもうた……】
【晩年、わりと「いい仲」だったんですよう~】
初めてメイドさんが口を開き、補足しました。
にっこり微笑みます。いい笑顔です。しかし、照れなどどこにも見受けられません。
てか、「いい仲」? 明治の歌人と?
ふと人形に目を落とすと、気の所為か頬が桃色……のような。
「あ! ひょっとして、石○○木ですか? あれ? あの方、妻子がいらっしゃいましたよね?」
ワイドショーを見ながら談笑するママ友の如く、ひとしきり(俗っぽい話題で)盛り上がりました。
やがて――人形は静かに目を閉じたのでした。
☆☆☆
五ツ半(午後九時)になろうかというところで、メイドさんがスッと立ち上がりました。
半身で壁掛けの時計をじっと見詰めております。
ふいに、人形がゆっくりと目を開け、こちらへと首を回し、
(ごくろさん。またお忍びでI'll be backじゃ。デデンデンデデン♪)
確かに囁いたのです。
お忍び? そんなメイド姿でお忍びもどうかと思いますが……。
そう言えば――受話器は既に収まっております。
でもハッキリとその声は私の耳に届いたのであります。
表戸の前で一瞬立ち止まったメイドさん。
今更ですが、傘立てに傘が見当たりません。
土砂降りの中、どのようにしてやって来たものか……。
戸を開けて、一人と一体が漆黒に身を滑り込ませる寸前、
「ゴッド・ブレス・ユー……」
なんとなく釈然としないまま、私は言葉を送り出したのでございます。
☆☆☆
家に帰り着いて、兄様とばったり。
出会い頭に問い掛けました。
「本日の――鬼平さんのお声は、吉右衛門さんじゃないのですか?」
「吉右衛門さんに決まってるだろうが」
「……左様で……」
怪訝そうなハゲを見るにつけ、私は言葉を継ぐ事が出来ませんでした。
モヤモヤしたまま母屋を出ると、頬を冷たいものがスッと掠めていきます。
日が変わる前に、雨は雪になったようです。
気障ったらしい気象予報士の言った通りに。
ふと。
「また来る」と囁いた人形の顔が浮かびました。
私は――睫毛にひと欠片の雪を乗せたまま身震いすると、小走りに離れへと引っ込んだのでございます……。