☆本日の作業用BGMは『プリンプリン物語』(石川ひとみ)でした。
もう一本、『楽園』(平井堅)。いいお歌。MV切ない。
ーーーーーー
――気が付くと、目の前に小振りなミカンがひとつ、転がっておりました。
テーブルから落っこちたであろうそれを掴み、炬燵からのっそりと身を起こします。
正面の液晶テレビから、小さく音が漏れ聞こえています。
目を細めて画面右下を凝視すると、朝の七時台のようです。珍しい時間に目を覚ましてしまいました。
気象予報士が何やら語っています。
さっきから、やたらオヤジギャグを挟んでは「PM2.5がヤバイ」と連呼しております。
天気予報で、こんな注意もしているのですね。
で、どうしたらいいのでしょう。
外を出歩くなと? 車の窓を開けるな、とか、そんな感じなのでしょうか。
PM2.5が何者かはよく知りませんが、殆ど家にいる私には大した脅威と言えないでしょう。
☆☆☆
店に着いても、頭の中で「PM2.5」の合唱が続いております。それも輪唱です。
なんでだろう、特に語呂が良いワケでもないのに。
釈然としないまま、大きく伸びをした頃合いで、表がカランと鳴りました。
黒のロングコートを羽織った、背の低い男性が立ち竦んでおります。
小さな丸レンズの眼鏡をくいっと押し上げ、コートのまま椅子に腰を下ろしました。
やや薄目の頭髪が、エアコンの風を受けてぱやぱやと靡いております。
中年に差し掛かった、というところでしょうか。広すぎる額が妙にテカっています。
両膝に手を置いて、背筋を伸ばしたまま説明書きを眺めていましたが、躊躇することなく『暮れなどぅむ街の~』というボタンを押しました。
再びの……。でもまだ少し時期が早いでしょう。
【お忙しいところ申し訳ありません。今よろしいですか?】
どこかの営業みたい。
ちょっと大きめの四角いお顔、ホームベースのようです。小さなお口だけが別の生き物みたいに、もにょもにょ蠢いています。
「のーぷろぶれむです。ツイてない御苑へようこそ」
「ツイてない」のあたりで、心なしかピクッと反応しました。
「今日はどうされました?」
【……私、とある女子高で教師をしておりまして……】
「おっとぉ、『僕○ちの失敗』ですね」
今度は大きくびくッと反応します。輪郭が一瞬ブレました。
ははあ、先生ですか……。それでこの「声」を。
【昨年、中途採用で……日本史を教えております】
表情は全く変わりません。キリッとしたお顔で、やはり小さな口だけがもにょもにょ。
先生は、PM2.5のような(肉眼で見えるのか?)モヤっとした塊を吐き出すと、
【なんと申しますか……私の授業は、あまり生徒の「受け」が良くないようで……】
ああ、またヤバイやつですかね。「相談」になりそうな。
先生は少しだけ俯きました。細い目を薄く開けたまま、瞬きもありません。
「受けが良くない、とは」
【「面白くない」らしいです。実は、内緒ですが姪っ子が担当クラスにおりまして。情報元は彼女です】
「面白くない……」
授業なんて、そもそも「面白くない」ものでは? 偏見でしょうか。
【気にしないように……とは思っていたのですが、今日、勇み足でおやじギャグをぽろっと……】
「どうでした?」
【所謂スベりました。大寒波でした……思い出すだに、体が震えてしまいます……】
先生は――青白い顔で首を竦め、涙目です。
……真面目か。
過敏な反応からして、若干ネガティブな気質なのかもしれませんね。
私は絵面を思い浮かべないように自制しました。もらい泣きしないように。
「お初のおやじギャグだったので?」
【そ、そうですね。私、駄洒落は大好きなんですが、恐れ多くて授業で口にすることは無かったんです。迂闊でした、腰が砕けそうになりました】
「そのう、なんて駄洒落を?」
【あてた生徒の回答がちょっとひどかったので、思わず「おそマツダな松田」と……】
「アハ、ハハハ(棒)」
うむ。分かりづらいか? でもそんなヒドイレベルでしょうか。
先生の周囲だけ真冬日という塩梅です。
冷え切った(と思われる)お顔がちょっとコワイ。
打ちひしがれた先生のご尊顔を見詰めているうち、ふと自分の高校時代を思い出しました。
「……先生の使命、と申しますか、最優先課題はなんでしょう」
ぼんやり顔を上げた先生、それでも即答しました。
【ざっくり言えば、皆が志望校に合格する事ですね】
「目的の為には、先生の評価は置いといて……面白さを排除しても構いませんか?」
【まあ……そうですね。そうは思うのですが……】
「これは単なる私の勝手な思い出としてお聞き流しいただいて結構です……。高校生の頃、地理の先生がやたら駄洒落を連発する方で。勿論、授業内容に紐付けした駄洒落です。出来は悪くは無かったと思いますが、やはり全くウケませんでした。いつも教室内は苦笑一色……やがてそういった反応すらも無くなりました」
【……】
「そういう意味では、まさしく『面白くない授業』でした。しかし、定期考査になると――何故か、その先生の駄洒落に紐付けされた諸々が頭に浮かんだのです。私は地理が苦手でしたが、お陰で(?)赤点になる事は一度もございませんでした。あの先生に感謝いたしました」
【……】
先生は無表情ながらも、食い入るような視線を向けております。
「スベリまくりの先生も、メンタルは相当やられていたかもしれません。でもめげなかった。最後まで駄洒落まみれの授業を貫きました。その甲斐あって、私たちの脳内に、彼の駄洒落は浸透していったのです。助けられた生徒は多かったと思います」
先生が微かに「ごくっ」と喉を鳴らしました。
【……私にも、そんな授業が可能でしょうか?】
「先生の心が折れない限りは、可能性もあるかと」
【……】
先生は一度顔を伏せ――再び顔を上げた時には、双眸に光を湛えていらっしゃいました。
【なるほど……ちょっと勇気、というか、とっかかりが不安ではありますが……】
「ひとつ、冒険のご提案を」
【なんでしょうか】
「幸い、先生はビジュアル的によく似ておいでです」
【え? ど、どなたに?】
私は大きく息を吐いて、丹田に力を込めました。
「授業開始時に、一発かましてみてください」
【な、何を?】
「両手で耳を回しながら、『るーるーるーるー、予感です、予感がします』と」
【?】
「昔、某国営放送で放送された人形劇で、先生にそっくりなお人形が出演しておりました」
【そっくり……】
「ええ。その名も『カセイジン※』です。『予感です、予感がします』は口癖(?)です」
【……はあ……】
「ああ、『PM2.5からやって来たカセイジン』という設定もアリですね」
【PM2.5は惑星ではありませんよ?】
「最初の『るーるーるーるー』が重要です。掴みは大事です」
【そ、そうですね、ええ……】
閉店まで(やけくそで)練習いたしました。
しかし、生徒たちに「カセイジン」が通じるものか……。
一抹の不安を感じたので、動画を検索していただくと。
先生は涙目で爆笑しました。
「似ている」と私がかました失礼をすっ飛ばして。
◇◇
後日談をひとつ。
一年後の三月半ば、再び先生——いやさ「カセイジン」が来店した時のこと。
その日は卒業式だったそうです。
「カセイジン」は、過日とは別人のように晴れやかな笑みを浮かべ、語ってくださいました。
担当した卒業生の多くが感謝の言葉と共に、先生と笑顔で握手して去って行ったことを。
……関係ありませんが、先生が二十代前半と聞いて、私は文枝さんの如く椅子から転げ落ちたのでございます……。
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※『プリンプリン物語』(NHK総合テレビ制作、1979-1982)に登場するキャラクター。「カセイジン」は本名か渾名かは不明。人間。実際に火星人というワケではないと思われます。
もう一本、『楽園』(平井堅)。いいお歌。MV切ない。
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――気が付くと、目の前に小振りなミカンがひとつ、転がっておりました。
テーブルから落っこちたであろうそれを掴み、炬燵からのっそりと身を起こします。
正面の液晶テレビから、小さく音が漏れ聞こえています。
目を細めて画面右下を凝視すると、朝の七時台のようです。珍しい時間に目を覚ましてしまいました。
気象予報士が何やら語っています。
さっきから、やたらオヤジギャグを挟んでは「PM2.5がヤバイ」と連呼しております。
天気予報で、こんな注意もしているのですね。
で、どうしたらいいのでしょう。
外を出歩くなと? 車の窓を開けるな、とか、そんな感じなのでしょうか。
PM2.5が何者かはよく知りませんが、殆ど家にいる私には大した脅威と言えないでしょう。
☆☆☆
店に着いても、頭の中で「PM2.5」の合唱が続いております。それも輪唱です。
なんでだろう、特に語呂が良いワケでもないのに。
釈然としないまま、大きく伸びをした頃合いで、表がカランと鳴りました。
黒のロングコートを羽織った、背の低い男性が立ち竦んでおります。
小さな丸レンズの眼鏡をくいっと押し上げ、コートのまま椅子に腰を下ろしました。
やや薄目の頭髪が、エアコンの風を受けてぱやぱやと靡いております。
中年に差し掛かった、というところでしょうか。広すぎる額が妙にテカっています。
両膝に手を置いて、背筋を伸ばしたまま説明書きを眺めていましたが、躊躇することなく『暮れなどぅむ街の~』というボタンを押しました。
再びの……。でもまだ少し時期が早いでしょう。
【お忙しいところ申し訳ありません。今よろしいですか?】
どこかの営業みたい。
ちょっと大きめの四角いお顔、ホームベースのようです。小さなお口だけが別の生き物みたいに、もにょもにょ蠢いています。
「のーぷろぶれむです。ツイてない御苑へようこそ」
「ツイてない」のあたりで、心なしかピクッと反応しました。
「今日はどうされました?」
【……私、とある女子高で教師をしておりまして……】
「おっとぉ、『僕○ちの失敗』ですね」
今度は大きくびくッと反応します。輪郭が一瞬ブレました。
ははあ、先生ですか……。それでこの「声」を。
【昨年、中途採用で……日本史を教えております】
表情は全く変わりません。キリッとしたお顔で、やはり小さな口だけがもにょもにょ。
先生は、PM2.5のような(肉眼で見えるのか?)モヤっとした塊を吐き出すと、
【なんと申しますか……私の授業は、あまり生徒の「受け」が良くないようで……】
ああ、またヤバイやつですかね。「相談」になりそうな。
先生は少しだけ俯きました。細い目を薄く開けたまま、瞬きもありません。
「受けが良くない、とは」
【「面白くない」らしいです。実は、内緒ですが姪っ子が担当クラスにおりまして。情報元は彼女です】
「面白くない……」
授業なんて、そもそも「面白くない」ものでは? 偏見でしょうか。
【気にしないように……とは思っていたのですが、今日、勇み足でおやじギャグをぽろっと……】
「どうでした?」
【所謂スベりました。大寒波でした……思い出すだに、体が震えてしまいます……】
先生は――青白い顔で首を竦め、涙目です。
……真面目か。
過敏な反応からして、若干ネガティブな気質なのかもしれませんね。
私は絵面を思い浮かべないように自制しました。もらい泣きしないように。
「お初のおやじギャグだったので?」
【そ、そうですね。私、駄洒落は大好きなんですが、恐れ多くて授業で口にすることは無かったんです。迂闊でした、腰が砕けそうになりました】
「そのう、なんて駄洒落を?」
【あてた生徒の回答がちょっとひどかったので、思わず「おそマツダな松田」と……】
「アハ、ハハハ(棒)」
うむ。分かりづらいか? でもそんなヒドイレベルでしょうか。
先生の周囲だけ真冬日という塩梅です。
冷え切った(と思われる)お顔がちょっとコワイ。
打ちひしがれた先生のご尊顔を見詰めているうち、ふと自分の高校時代を思い出しました。
「……先生の使命、と申しますか、最優先課題はなんでしょう」
ぼんやり顔を上げた先生、それでも即答しました。
【ざっくり言えば、皆が志望校に合格する事ですね】
「目的の為には、先生の評価は置いといて……面白さを排除しても構いませんか?」
【まあ……そうですね。そうは思うのですが……】
「これは単なる私の勝手な思い出としてお聞き流しいただいて結構です……。高校生の頃、地理の先生がやたら駄洒落を連発する方で。勿論、授業内容に紐付けした駄洒落です。出来は悪くは無かったと思いますが、やはり全くウケませんでした。いつも教室内は苦笑一色……やがてそういった反応すらも無くなりました」
【……】
「そういう意味では、まさしく『面白くない授業』でした。しかし、定期考査になると――何故か、その先生の駄洒落に紐付けされた諸々が頭に浮かんだのです。私は地理が苦手でしたが、お陰で(?)赤点になる事は一度もございませんでした。あの先生に感謝いたしました」
【……】
先生は無表情ながらも、食い入るような視線を向けております。
「スベリまくりの先生も、メンタルは相当やられていたかもしれません。でもめげなかった。最後まで駄洒落まみれの授業を貫きました。その甲斐あって、私たちの脳内に、彼の駄洒落は浸透していったのです。助けられた生徒は多かったと思います」
先生が微かに「ごくっ」と喉を鳴らしました。
【……私にも、そんな授業が可能でしょうか?】
「先生の心が折れない限りは、可能性もあるかと」
【……】
先生は一度顔を伏せ――再び顔を上げた時には、双眸に光を湛えていらっしゃいました。
【なるほど……ちょっと勇気、というか、とっかかりが不安ではありますが……】
「ひとつ、冒険のご提案を」
【なんでしょうか】
「幸い、先生はビジュアル的によく似ておいでです」
【え? ど、どなたに?】
私は大きく息を吐いて、丹田に力を込めました。
「授業開始時に、一発かましてみてください」
【な、何を?】
「両手で耳を回しながら、『るーるーるーるー、予感です、予感がします』と」
【?】
「昔、某国営放送で放送された人形劇で、先生にそっくりなお人形が出演しておりました」
【そっくり……】
「ええ。その名も『カセイジン※』です。『予感です、予感がします』は口癖(?)です」
【……はあ……】
「ああ、『PM2.5からやって来たカセイジン』という設定もアリですね」
【PM2.5は惑星ではありませんよ?】
「最初の『るーるーるーるー』が重要です。掴みは大事です」
【そ、そうですね、ええ……】
閉店まで(やけくそで)練習いたしました。
しかし、生徒たちに「カセイジン」が通じるものか……。
一抹の不安を感じたので、動画を検索していただくと。
先生は涙目で爆笑しました。
「似ている」と私がかました失礼をすっ飛ばして。
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後日談をひとつ。
一年後の三月半ば、再び先生——いやさ「カセイジン」が来店した時のこと。
その日は卒業式だったそうです。
「カセイジン」は、過日とは別人のように晴れやかな笑みを浮かべ、語ってくださいました。
担当した卒業生の多くが感謝の言葉と共に、先生と笑顔で握手して去って行ったことを。
……関係ありませんが、先生が二十代前半と聞いて、私は文枝さんの如く椅子から転げ落ちたのでございます……。
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※『プリンプリン物語』(NHK総合テレビ制作、1979-1982)に登場するキャラクター。「カセイジン」は本名か渾名かは不明。人間。実際に火星人というワケではないと思われます。