ある日曜。
明け方夢を見ました。おかげで思い出しましたよ。
これは――是非とも様子を見に行かねばなりません。
☆☆☆
デニムの上下をささっと身に纏い、ベレーを突っかけて離れを出ます。
朝早くから外へ出るのは……いつ以来でしょうか。
江戸通りをひたすら徒歩で下ります。
行き交う人も車も、まだこの時間では左程多くもないようです。
信号待ちで棒立ちになっていると、やたらと眩しい光が目に刺さります。
横断歩道の白い帯は、こんなにも眩しいものでしたでしょうか、お母さま。
☆☆☆
浅草橋駅にほど近い本屋を出たタイミングで、バッタリ遭遇いたしました。
清い目を持つ、あの少年でした。
目を見開いて言葉が出ない私に、つるんとした顔を向けた彼は「にぱっ」と笑い、
「奇遇ですね!」
元気な声を上げると、
「こりは運命的ですねー」
冗談ともつかないセリフを、屈託のない笑顔でばしゃっと私に浴びせました。
口を開くのも忘れ、じっと彼を見下ろすだけの私も――実は同じセリフが頭に浮かんでいたのでした。
少年はこちらを見上げ、
「この辺にご用事ですか?」
「ええ――ちょっと、そこの銀杏岡八幡様へ……」
「猫が一杯いるところですね」
「そうですそうです。爽太くんは?」
「ボクはシ●ジマへ画材を買いに」
ああ、お絵かき大好きなんでしたね。そう言えば、彼の住まいは鳥越――ご近所さんといってもよい距離です。
束の間、口元に指をあてて逡巡した彼が言いました。
「もしよかったら――ご一緒していただけませんか?」
☆☆☆
エスカレータで、画材関連のフロアで……彼と手を繋いで歩いていると、何やらちらちら視線を(邪な?)感じます。男女を問わず。
まさか、少年を拐かす犯罪者に見えるのでしょうか? いやいや、私の身長の所為では? いっそ爽太くんが可愛すぎるのがイケナイの?
ぶつぶつ呟きながら歩く私の横で、爽太くんが見上げながら仰いました。
「多分、違います」
「聞こえてましたか……お心当たりがおありで?」
「そりゃ……覚えがないんですか?」
「ええ……なにしろ、明るい内から歩き回るのは久し振りなもので……」
困惑する私を眺めながら、「仕様がないですねえ」といった感じに、彼が言いました。
「見惚れているんですよ、きっと。『羨望の眼差し』というやつだと思います」
ほんとに、色々と難しい言葉をよくぞご存知で……って、
「羨望?」
「モデルさんかと見紛う人や、タ●ラヅカの男役にイメージを重ねちゃう人の視線なんだと思います。一緒にいるボクはとても『鼻が高い』のであります!」
私はキョトン顔で彼を見下ろし、
「それは……恐縮でございます……」
綾女のおべっかが頭に浮かびました。
☆☆☆
爽太くんはスケッチブックと、「カバノキ炭 丸中軸」というちょっと太めの炭を購入。
私もついでに、小筆を一本だけ買い求めました。墨や硯は母屋に行けば馬に食わせるほどあります。これだけで十分です。
お店を出て、江戸通りの一本裏へ廻ると、遮光カーテンのような銀杏の樹々が濃く茂る神社があります。
鳥居前で一礼し、参道端を彼に手を引かれながら、二人一列になって進みます。
早速、でっぷりとした黒猫が出迎えてくれました。私が勝手に「オグラ名誉会長」と呼んでいる重鎮です。
恐らく野良と思しき猫や、近隣の飼い猫が数匹、静かにたむろしていらっしゃいます。
二人、オグラ名誉会長に挨拶を済ませ、私はきょろきょろ首を回しました。
本社の階段に、目当ての猫(恐らく)が蹲っているのに気が付きました。側にぴったりと、三毛猫が寄り添っています。
ひそーり歩み寄り、小さな白い猫の前で膝を折ります。
白い猫はちらりとこちらに目をやると、また興味無さそうに目を伏せました。
「お知り合いですか?」
爽太くんの問い掛けに、
「ええ……と申しますか、昨年の暮れに一度お会いしただけなのですが」
★★★
かつては、この社に不定期ながら参拝しておりました。通っていた高校が近くにあったため、帰りがけに寄っていたのです。
昨年の暮れに、迷い込んだと思われる見慣れない仔猫と遭遇いたしました。
生まれ出でて一、二か月ほどに見受けられましたが、栄養状態が芳しくないものか、か細い体躯で成長が危ぶまれる兆候がありました。
連れ帰って一緒に暮らしたい――という衝動にかられましたが、家では動物を飼うことが一切禁じられております。よくわかりませんが、代々の「掟」なのだそうです。
一瞬で脳内の目論見は霧散し、私は力無くその子を見つめることしかできませんでした。
その後、諸々の事情で、私の足がここへ向くことはありませんでした……。
☆☆☆
本日無事に再会を果たすことができました。夢のお告げかもしれません。
久し振りに会ったこの子は、危惧したよりも肉付きがよいようです。
ほっと息が漏れ、寄り添う三毛猫と目が合いました。
ほんの数秒見つめ合い、
「――ありがとう」
ひと言、声を掛けると、三毛猫は「にゃあ」と小さく返してくれました。
白猫が目を開け、三毛猫の顔をぺろとひと舐めするのを目にして、
「……君にも、側にいてくれる人ができたのですね」
口をついた自身の言葉に、思わず涙が滲んでしまいました。
爽太くんがトコトコ歩み寄り、すっと側にしゃがみます。
しばらくの間、並んで寝そべる二匹を眺めておりましたが、
「……ちっちゃい白い仔、とっても幸せそう」
微笑を浮かべて呟いたのでした。
☆☆☆
神社でひとしきり猫さん達に構っていただいたあと、彼の家とは反対方向に江戸通りを突っ切り、隅田川テラスへと足を運びました。
彼はこの遊歩道で、時折「屋形船」をスケッチするのだそうです。
大川端は蒼天の日曜日にしては人出も少なく、緩い風が凪いで時間がゆっくりと刻まれているようでした。対岸に架かる首都高速からは、行き交っているであろう自動車の音が全く届きません。
空いている二人掛けのベンチにピッタリ並んで腰を降ろしました。嘘です、間に5センチほどの隙間を空けて。
店の椅子に比して確実に固いベンチは座り心地がいまいちですが、彼と並んで同時にひとつ大きな伸びをし終わると――気のせいか、身体はベンチに馴染んだようにすっきりと収まりました。
背もたれに寄りかかり、ほうっと息を漏らして隣の彼をちらと見下ろすと、短パンからのぞく可愛らしい両ひざが微かにもじもじしています。じゅるり(?)。
丁度、上流から屋形船が姿を現したので、
「ああ、いらっしゃいましたよ」
声を掛けると、
「あ、ほんとだ。えと、つ、次で。次のにします」
若干動揺の滲む小さな声で囁きました。
彼は、手を繋いで通り過ぎる若いカップルを、首をゆっくりずらしながらじっと眺めています。
私はよい塩梅に早くも眠気に襲われ、重力に屈しつつある瞼と小競り合いを始めました。
そんなタイミングで、
「――お、お願いがあります!」
突然、彼が小さくシャウトしたのでございます。
明け方夢を見ました。おかげで思い出しましたよ。
これは――是非とも様子を見に行かねばなりません。
☆☆☆
デニムの上下をささっと身に纏い、ベレーを突っかけて離れを出ます。
朝早くから外へ出るのは……いつ以来でしょうか。
江戸通りをひたすら徒歩で下ります。
行き交う人も車も、まだこの時間では左程多くもないようです。
信号待ちで棒立ちになっていると、やたらと眩しい光が目に刺さります。
横断歩道の白い帯は、こんなにも眩しいものでしたでしょうか、お母さま。
☆☆☆
浅草橋駅にほど近い本屋を出たタイミングで、バッタリ遭遇いたしました。
清い目を持つ、あの少年でした。
目を見開いて言葉が出ない私に、つるんとした顔を向けた彼は「にぱっ」と笑い、
「奇遇ですね!」
元気な声を上げると、
「こりは運命的ですねー」
冗談ともつかないセリフを、屈託のない笑顔でばしゃっと私に浴びせました。
口を開くのも忘れ、じっと彼を見下ろすだけの私も――実は同じセリフが頭に浮かんでいたのでした。
少年はこちらを見上げ、
「この辺にご用事ですか?」
「ええ――ちょっと、そこの銀杏岡八幡様へ……」
「猫が一杯いるところですね」
「そうですそうです。爽太くんは?」
「ボクはシ●ジマへ画材を買いに」
ああ、お絵かき大好きなんでしたね。そう言えば、彼の住まいは鳥越――ご近所さんといってもよい距離です。
束の間、口元に指をあてて逡巡した彼が言いました。
「もしよかったら――ご一緒していただけませんか?」
☆☆☆
エスカレータで、画材関連のフロアで……彼と手を繋いで歩いていると、何やらちらちら視線を(邪な?)感じます。男女を問わず。
まさか、少年を拐かす犯罪者に見えるのでしょうか? いやいや、私の身長の所為では? いっそ爽太くんが可愛すぎるのがイケナイの?
ぶつぶつ呟きながら歩く私の横で、爽太くんが見上げながら仰いました。
「多分、違います」
「聞こえてましたか……お心当たりがおありで?」
「そりゃ……覚えがないんですか?」
「ええ……なにしろ、明るい内から歩き回るのは久し振りなもので……」
困惑する私を眺めながら、「仕様がないですねえ」といった感じに、彼が言いました。
「見惚れているんですよ、きっと。『羨望の眼差し』というやつだと思います」
ほんとに、色々と難しい言葉をよくぞご存知で……って、
「羨望?」
「モデルさんかと見紛う人や、タ●ラヅカの男役にイメージを重ねちゃう人の視線なんだと思います。一緒にいるボクはとても『鼻が高い』のであります!」
私はキョトン顔で彼を見下ろし、
「それは……恐縮でございます……」
綾女のおべっかが頭に浮かびました。
☆☆☆
爽太くんはスケッチブックと、「カバノキ炭 丸中軸」というちょっと太めの炭を購入。
私もついでに、小筆を一本だけ買い求めました。墨や硯は母屋に行けば馬に食わせるほどあります。これだけで十分です。
お店を出て、江戸通りの一本裏へ廻ると、遮光カーテンのような銀杏の樹々が濃く茂る神社があります。
鳥居前で一礼し、参道端を彼に手を引かれながら、二人一列になって進みます。
早速、でっぷりとした黒猫が出迎えてくれました。私が勝手に「オグラ名誉会長」と呼んでいる重鎮です。
恐らく野良と思しき猫や、近隣の飼い猫が数匹、静かにたむろしていらっしゃいます。
二人、オグラ名誉会長に挨拶を済ませ、私はきょろきょろ首を回しました。
本社の階段に、目当ての猫(恐らく)が蹲っているのに気が付きました。側にぴったりと、三毛猫が寄り添っています。
ひそーり歩み寄り、小さな白い猫の前で膝を折ります。
白い猫はちらりとこちらに目をやると、また興味無さそうに目を伏せました。
「お知り合いですか?」
爽太くんの問い掛けに、
「ええ……と申しますか、昨年の暮れに一度お会いしただけなのですが」
★★★
かつては、この社に不定期ながら参拝しておりました。通っていた高校が近くにあったため、帰りがけに寄っていたのです。
昨年の暮れに、迷い込んだと思われる見慣れない仔猫と遭遇いたしました。
生まれ出でて一、二か月ほどに見受けられましたが、栄養状態が芳しくないものか、か細い体躯で成長が危ぶまれる兆候がありました。
連れ帰って一緒に暮らしたい――という衝動にかられましたが、家では動物を飼うことが一切禁じられております。よくわかりませんが、代々の「掟」なのだそうです。
一瞬で脳内の目論見は霧散し、私は力無くその子を見つめることしかできませんでした。
その後、諸々の事情で、私の足がここへ向くことはありませんでした……。
☆☆☆
本日無事に再会を果たすことができました。夢のお告げかもしれません。
久し振りに会ったこの子は、危惧したよりも肉付きがよいようです。
ほっと息が漏れ、寄り添う三毛猫と目が合いました。
ほんの数秒見つめ合い、
「――ありがとう」
ひと言、声を掛けると、三毛猫は「にゃあ」と小さく返してくれました。
白猫が目を開け、三毛猫の顔をぺろとひと舐めするのを目にして、
「……君にも、側にいてくれる人ができたのですね」
口をついた自身の言葉に、思わず涙が滲んでしまいました。
爽太くんがトコトコ歩み寄り、すっと側にしゃがみます。
しばらくの間、並んで寝そべる二匹を眺めておりましたが、
「……ちっちゃい白い仔、とっても幸せそう」
微笑を浮かべて呟いたのでした。
☆☆☆
神社でひとしきり猫さん達に構っていただいたあと、彼の家とは反対方向に江戸通りを突っ切り、隅田川テラスへと足を運びました。
彼はこの遊歩道で、時折「屋形船」をスケッチするのだそうです。
大川端は蒼天の日曜日にしては人出も少なく、緩い風が凪いで時間がゆっくりと刻まれているようでした。対岸に架かる首都高速からは、行き交っているであろう自動車の音が全く届きません。
空いている二人掛けのベンチにピッタリ並んで腰を降ろしました。嘘です、間に5センチほどの隙間を空けて。
店の椅子に比して確実に固いベンチは座り心地がいまいちですが、彼と並んで同時にひとつ大きな伸びをし終わると――気のせいか、身体はベンチに馴染んだようにすっきりと収まりました。
背もたれに寄りかかり、ほうっと息を漏らして隣の彼をちらと見下ろすと、短パンからのぞく可愛らしい両ひざが微かにもじもじしています。じゅるり(?)。
丁度、上流から屋形船が姿を現したので、
「ああ、いらっしゃいましたよ」
声を掛けると、
「あ、ほんとだ。えと、つ、次で。次のにします」
若干動揺の滲む小さな声で囁きました。
彼は、手を繋いで通り過ぎる若いカップルを、首をゆっくりずらしながらじっと眺めています。
私はよい塩梅に早くも眠気に襲われ、重力に屈しつつある瞼と小競り合いを始めました。
そんなタイミングで、
「――お、お願いがあります!」
突然、彼が小さくシャウトしたのでございます。