☆本話の作業用BGMは、『1994―LEBEL OF COMPLEX』(BO●WY)でした。
 日本語で歌ってほしかったなあ(※多分日本語の曲です)。

 締めは『ボヘミアン』(葛城ユキ)。前話サブタイトルから引っ張りました。
 サビに差し掛かると、未だ涙が滲みます。恰好いいお声でした。
 最後の最後までロックでした。

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 ご機嫌で深夜散歩を満喫しておりますと。
 暗い中すれ違う自転車の君。何某か歌いながら、という方が偶に見受けられます。大体若い男性です。
 今に始まった事象ではありません。
 口ずさむなどと可愛らしいものではなく、ほぼ歌い上げる感じ。
 人通りが無いとはいえ、あの大音量……お気持ちは察しないこともございませんが……。
 流行歌(死語?)など存じませんので、曲名も分かりません。
 屋外でひとカラを披露する、その鋼のメンタル――ちよと羨ましくもあります。


★★★


 西からやって来た厚い雲に覆われた、月の見えない夜。
 閉店間際に来客です。

 折り畳みの黒い傘を片手に座った、会社員風の男性。
 リュックを背負ったまま取説を眺めます。
 長めの御髪(おぐし)が額を覆い尽くし、覗いたお顔は蒼白く。

 虚ろな視線がボタン群を彷徨ったのち、

『ギ・ギ・ギ・ギャ●ンドゥ』

 というボタンを選択しました。

【こんばんは】
「♪ まわれま~~わぁれメリーゴ」
【違います、それLA・LA・LAです】
「あ、失礼。ギ、ギ、ギじゃないか」
【感激! の(かた)です】
「そうでしたね。改めまして、ツイてない御苑へようこそ。夕餉(ゆうげ)はカレーで?」
【なぜそれを?!】

 Ans.前歯が黄色いから(あとヒデキ)。

【今日、かなり恥ずかしいことがありまして……】
「左様で。拝聴いたします」

 軽く貧乏揺すりを始めます。
 始動を確認するよう視線を下げると、小さく胸を上下させました。

【勤務先で処女苦する――】
「男の子ですよね?」
【ンンッ、失礼! 所属する課の課長は、三つ上の女性なんです。僕が中途入社した二年前から、変わらずお世話になってまして】
「美人上司――ですね?(フッ)」

 ビクンと跳ねます。

【そ、そうです。ただ、仕事には厳しすぎるほど厳しくて、ナイフのように鋭い舌鋒……銀縁の眼鏡がこれまた冷たい印象を一層煽っている感じで、二つ名が「酒呑童子(しゅてんどうじ)」という】
「はい?」
【お酒めちゃ強いです】
「ははあ。そのうえ巨乳ときたもんだ」
【いいえ?】
「アレレ?!」

 お約束かと思ったに。

【まあ、皆が「鬼」のように恐れている存在で】
「貴方も?」

 零れ落ちそうに目を見開いた彼は、

【……ぼ、僕は……いつも叱られてばかりですが。一度、夜を徹してレクチャーしてくださいまして……それ以来、その……】
「懸想している、と」

 バッと(おもて)を下げると、細く長い息をゆっくり吐き出します。

【…………御意】

 彼我の立場を(おもんぱか)って(?)、恋心はずっと胸の裡に秘めていたのだと。
 ………………ふうん。

【誰にもバレてないと自負してました……】


 大きな取引が契約にこぎ着け、ささやかに祝杯を挙げていた本日夕刻。
 和やかな歓談ののち、一時間ほどでお開きにという寸前。

【魔が差したんです……】
「どうされました?」

 膝上に置いた両拳を固く握り締めると、微動を始めます。

【課長が取り出したお財布に目が行って、思わず「課長、今日の『根付(ねつけ)』も可愛らしいですね。お猿さんですか」と――】
「いまどき根付とは渋いですね」
【すかさず、弱いクセにしこたま飲んでふらついていた同僚Aが――】
「同僚・英……」

 ――女子高時代、お隣のクラスに「少女A」と呼ばれている子がいました。
 少なくとも、そう「聞こえて」ました。
 なんでイニシャル呼び? 
 何かヤバい事情が?
 いやいや、みんな少女Aでしょ?(暴論)

 ずっと不思議でしたが、本名が「庄路(しょうじ)絵依(えい)」と知って得心がいきました。
(リトル)・慈英」でもなかた。ムムッ!
 毎度ほぼフルネームで呼ばれてたなんて……。
 アホですね。わたし。

 閑話休題。

【あいつ、「さすが、いとぅも課長を視姦してるだけあるな! よく見てやがるぜ、このスケベ!」ってガハハと(わろ)たんです!】

 フロアが沈黙の戦艦(?)に――。

 硬直した酒呑童子は、無表情で射るような視線を飛ばしたそうです。

【ギザギザハートの僕の目には、くすんだ床しか映りませんでした……】


 それでも帰り際、勇気を振り絞って腰を折り、

『課長、不快なア、アレでご迷惑をお掛けいたしました。し、視姦なんて言い掛かりです! しゅみまっしぇんでした!』

 顔を上げると――怒りの所為かやや紅潮した顔を窓に向けた課長が、

『……ご苦労様』

 静かにひと言。
 そっぽを向いた横顔にさえ一瞬見惚れたものの、彼は憂いを引き摺りつつ……気が付いたら(カレーを腹に収め)ここにやって来ていたそうです。


 ――というのが先週の事案。


☆☆


 あれから一週間後。
 酒呑童子の眷属が再び現れました。

【今日、課長と二人きりで取引先へ伺いました】
「その後如何です? 屈託もなく?」
【課長は普段通り接してくれてました。僕はずっと気まずかったですけど】

 ちなみに、同僚Aは「別館A」へ異動になったそうです。
 おお、こわやこわや。

 
 とある六本木の某有名玩具メーカーが売り出す「百人一首」の販売を請け負ったそうで。

 会議室で打ち合わせを終えると、「一度現物で遊びませんか」と誘われたのだとか。
 そんなことあるのですね。

【向こうとこちら、二人ずつで。最初に、僕が読み札を】
「緊張するぅ~」


 その第一声。

【ギ――】
「ギ? ギで始まるお歌なんてありますのん?」
【やたら緊張しまして】
「然もありなん」
【ギロッポン! て叫んじゃったんです】
「なんで? ね()み先輩?」

「ギロッポン」なんて口にするましか(馬 鹿)者は私の周囲におりません。


【失態を消そうと夢中で歌いました……取り札を重ねていくのは専ら向こうの二人で。課長は遠慮気味で殆ど手を出さず、「お強いですねえ」とかおべっかを】
「ふむぅ、なるほど」
【ですがその後、『恋すてふ~』と歌ったところで……】※1

 突然。
 酒呑童子が覚醒――。

【課長が「はい''っっ!」って――鬼の形相で取り札を叩き飛ばしたです】
「鬼の面目躍如ですね」

 一同きょとん。

 課長は涼しい顔で、「次!」と促したそうな。


【一回戦目が終わり、今度は課長が読み手に】

 笛の鳴くような声で美しく(さえず)る課長。

【仕事を忘れて聞き惚れてました。課長が『しのぶれど~』と歌うと――】※2

 やや間が空いたのち、部長が札を浚います。

【下の句は二度繰り返すらしいです。でも、この時は部長さんが取った後も、課長は――】

『~物や思ふと人の問ふまで』
→「(秘めた想いが堪え切れずに)なんぞ憂いでもありまっか? って心配されるほど顔に出てたみたい。くっすん」

 ――という下の句を、

【……何回も五回も繰り返したんです】

 囀る課長は、彼の顔をじっと見詰め――。
 歌い終えると、輝くような珊瑚朱色の微笑を浮かべたのだそうです。※3

 時が止まったかの如く、向こうの二人が固まり。
 暫し、真正面からその微笑みを受け止めた彼。

 課長の左目と目があった瞬間、

【彼女の胸の裡と繋がった気がしたんです】


☆☆☆


 帰路。
 どちらからともなく片手を伸ばし、指を絡めて寄り添い歩く二人……。

「はい~デレた」
【えへへ】

 顔を寄せた課長が、

【「年上だし、いま離婚調停中だけど――こんな私でもいいの?」って】

 まさかの不倫に?

「ご両人、真っ直ぐ帰社したのですよね? なんて」
【………………】
「あれ?」


 それでもまあ一応――。
 (とろ)けそうに弛緩する彼へ。

「ゴッド・ブレス・ユー」


【あ、あは。妙な話を――】
「とんでもない。こちらこそありギャランドゥございました」


 (みやび)な時代、かようなお歌が流行したのですか? お母さま。
 これなら私でも、自転車を漕ぎながら口ずさむくらいは出来そうです。
(賢そうに見えるでしょ?)

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※1「恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひ初めしか」(詠み人は壬生忠見さん。という噂)百人一首より。
《誰にもバレぬよう心に秘めていたのに、「あいつ恋してるらしいぜ」て噂になちゃたよ!もう!……今日ケン●ッキーにしなぁい?》という(一部嘘)。

※2「しのぶれど色に出でにけりわが恋は 物や思ふと人の問ふまで」(詠み人は平兼盛さん。という噂)百人一首より。

※3 珊瑚の珠玉のような明るく華やかな赤橙色(サイト「伝統色のいろは」より)