賑やかに人の行き交う表参道からしばらく歩き裏道を通りながら、静かに漂うコーヒーの香りを辿り路地を進むと、ひっそりとその店はある。
『Cafe Mistletoe』
入り口の横に掛かっている、店のコーヒーが長年染みこんだかのような深い色合いを醸しだしているその古い木の看板には「closed」と書かれていた。
カラン・・・・・・。
少し古びた木の扉に美しい色ガラス細工の飾られたドアを開ければ、一気にこうばしいコーヒーの香りが身体を優しく包み込む。
既に外までその香しい香りはしっかりと届いていたが、中で直接浴びれば不思議とその香りだけではなくどんな味を楽しめるのか多くの人がワクワクしてしまうだろう。
「いらっしゃいませ」
サイフォンや食器が並ぶカウンターから、老紳士が穏やかな笑みを浮かべ声をかけた。
まさに絵に描いたような、古いカフェと老マスター。
何かここで自分の知らない世界の物語が始まりそうな雰囲気さえ感じた。
「どうぞ、奥へ」
男はマスターに笑顔でそう促されて店の奥にあるドアを開けるとそこは割と広めの個室になっていて、既に数名の男が大きな一枚板のテーブルを囲み、座っていた。
「僕が最後だったんですね、申し訳ありません!」
「いやいや、時間ぴったりだよ」
イチロウは慌てて頭を下げ、謝罪した。
イチロウはこの会合は初めての出席で、ここも始めて来たため道に迷ってしまい思ったより時間を取られてしまっていた。
戸惑いながら謝罪するイチロウにヒロは笑ってフォローする。
そこには既に、男が四人座っていて、イチロウは急いで空いている席に座った。
それと同時に、個室のドアが開く。
現れたのは、男性か女性か一瞬分からないほどの中性的な顔立ちの長身の男だった。
腰くらいまである長くさらりとした黒髪を、後ろで一つ結んでいる。
20代後半から30代くらいだろうか、なんとも年齢がつかみ取れない、妖艶な容貌をしていた。
その男は薄く笑みを浮かべた後閉めたドアの前に立ち、座っている男達を前にして、スッと頭を下げた。
「皆様お忙しい中、私が運営する『宿り木カフェ』の定期会合にお越し頂きありがとうございます。
本日はDグループのヒロ様、オサム様、リュウ様、タクヤ様、イチロウ様のここ3ヶ月の報告及び問題点等をお話し合い頂ければと思います。
まずは、マスターのコーヒーを」
そういってその若い男が後ろのドアを開ければ、マスターがトレイに5つコーヒーを乗せていた。
それを男がトレイから取り、1人1人の前に綺麗な所作でコーヒーを置いていく。
「セイヤさん、これは、マイセンかな?」
「そうでございます、リュウ様」
最後のイチロウの前にコーヒーを置き終わると、置かれたカップを見ながらカップのメーカーを言ったリュウに男、セイヤは答えた。
「本日はオーソドックスにマイセンのブルーオニオンをご用意させて頂きました。
コーヒーはマスターのオリジナルブレンドでございます。
まずはどうぞ」
そう勧められ、皆、白地に上品な藍色で彩られたカップを手に取り口に運ぶ。
「わぁ!これコーヒーですか?!」
思わず声をあげたイチロウは、周囲を見渡し慌てて口を閉じた。
「そうそう、思った事口にして良いんだよ。
ほんと美味いよねぇ、ここのコーヒー」
なにやら恍惚な表情を浮かべ、オサムはそう言った。
「なんか、チョコレートの感じがした気がして」
「イチロウ様は良い味覚と嗅覚をお持ちのようですね。
とても素晴らしいことですよ?」
運営者であるセイヤという若い男はにっこりとイチロウに微笑み、イチロウは思わず照れてしまった。
そしてマスターは軽く会釈をすると部屋を出て行き、セイヤが席に着く。
大きなテーブルに向かい合う用に大きな椅子が5つ、そして手前の席にセイヤが座った。
セイヤは全員の名前を順に呼び、各自簡単な自己紹介を済ませた。
「さて、初参加のイチロウ様と、本日でスタッフを辞められるヒロ様が顔合わせするのも今日が最初で最後です」
「あれ?ヒロさん辞めちゃうの?」
「えぇ、再婚を機に」
オサムの声に、少し照れたようにヒロが答えた。
「うっそ!また独身者が減る!!!」
「あの、僕も独身ですよ?」
「君、大学生だろう?!結婚関係無いだろう?!」
オサムの悲痛な声に、イチロウは普通に声をかけたが、どうも声をかけること自体まずかったようだ。
それをリュウがくすくすと足を組みながら笑っていた。
「リュウ君その余裕やめて」
「オサムさんの場合、そもそも結婚に興味が無いでしょう?」
「いや、なんというか」
「おや?」
口ごもったオサムに、リュウは面白そうにしている。
それを静かにみていたセイヤが二人を見た後、二人からの反応を受けて話し出した。
「Dチームは、ヒロ様が50代、オサム様が40代、リュウ様とタクヤ様が30代、イチロウ様が20代と非常に良いバランスだったのですが」
「いや、申し訳無い」
「喜ばしい事です。
単にこちらの勝手な話ですのでお気を使わせてしまい申し訳ありません。
幅広く意見を交わせるように、ヒロ様の後に入られる方もある程度人生経験のある方をと思っています。
それはまた今後と言う事で、まずは運営側から一点。
オサム様」
「あーいや、申し訳無い」
「そこ、真似しない」
頭を掻いたオサムにリュウが笑って突っ込む。
「何かあったんですか?」
そう尋ねるヒロにオサムは身をただし口ごもったのをみて、セイヤが口を開いた。
「オサム様からこちらに連絡がありまして、お客様に大変失礼な発言をしてしまったと。
ついては返金及びスタッフを変えて欲しいとの事でした」
そうセイヤが言うと、目線をオサムに投げ、一斉に皆がオサムを見た。
ヒロもスタッフ歴が長いが、オサムがそういったミスをしたのを聞いたのは初めてだった。
「何があったかというと、その、お客様の知りたくない事を探偵気取りでずかずかと話してしまって・・・・・。
彼女が辛くなって途中で切り上げてしまったんだ」
「で、ご自分でそうなってしまった理由はわかっているんでしょう?」
リュウがオサムに尋ねる。
なんとなくリュウはオサムがそんな状況になった理由が分かった気がした。
「とても彼女は自分に近くて、それでいて話しやすかったんだ。
あくまでこちらがスタッフ、相手は客、そのスタンスを今まで保ててきたんだけど、今回はどうしてか」
「好きになっちゃったんですか?」
少ししどろもどろに話すオサムに、イチロウがずばりと聞いた。
それにオサムがうっとなっている。
「イチロウ君ナイス」
タクヤが親指を立てながら楽しそうに追い打ちをかけ、オサムの顔がどんどん俯いていく。
そこを、まぁまぁとヒロが声をかける。
「そういう事もありますよ、こちらも人間なんですから。
ただでさえ男女で話すんです、そういう事が起きない方が無理というものですよ?
あ、私はありませんでしたが」
「ヒロ様は父親的立ち位置としてお願いすることが多かったですしね」
「いや、年齢は関係無いよ。
たまたまヒロさんと合う女性がいなかっただけでしょう?」
セイヤのフォローをリュウが意見した。
「そうですね、確かに年齢は関係無いと思います、失礼致しました。
お客様から熱烈な指名やその後も続けて欲しいなどの要求メールは割とありますが、スタッフ側から何か、というのはあまりないですから。
もちろんスタッフの皆様達一人一人で解決されてこちらに情報が来ていないだけかもしれませんが」
「録音とか運営で聞いてるとか無いんですか?」
イチロウが以前から思っていたことを口にするとセイヤは、
「いえ、そう言ったことはしておりません。
規約にも書いていませんので。
ただ言った言わない、というトラブルがわずかですがありますので、悩ましいところですね」
イチロウの疑問に、セイヤはそう答えた。
「さて、このお話を含め、各自お話ししたいことを席順でお願い致します。
スタッフの対応向上、意見交換、何よりも、カフェでの事は外では話すことは出来ませんので、ここでお話しすることで精神的に少しでも消化して頂ければと思います。
では、ヒロ様から」
セイヤに促され、ヒロはコーヒーを一口飲むと、話し始めた。
「私は妻を交通事故で亡くしているから、そういう関係で意見を聞きたいとか、わかり合いたいというお客様が多い。
だからか、精神的に不安定なお客様が多いんだよ。
大抵は運営側で調べてこちらでさすがに対応は難しいものははじいているいるようだけど、所詮書いてる内容だけでは女性の精神状況がどこまでの状態なのか判断できない。
僕たちは専門家じゃない。
医者でも弁護士でもない。
ただの茶飲み相手だ。
お客様もわかっていて感情が抑えられなくなったりと対応が難しい相手もいる。
そこはいつも悩ましい。
まぁそういう話は後で運営側とも話をするとして」
セイヤはヒロを見て軽く頷いた。
「今回対応した中で一番印象深かったのはまだ20歳くらいの子で、お姉さんが殺され、お母さんが自殺したという今まで私が対応した中でもかなり重い内容だった。
お父さんが早くに離婚して、父親ということを知らないと言うことで、家族ごっこのようなこともしたけど、いや、なんというか、結構対応していて辛かったね」
伏し目がちにヒロは思い出すように話す。
「たまたま私が対応していた時に酷い状況と改善する兆しが彼女に起きたが、その後の状況がわからないというのはいつも不安になるね。
自分が対応してこんなにも消耗している子をもっと苦しめていないだろうか、とか。
それでお客様にお願いしているアンケート以外にも、その後一方的でよければメールを一定期間受け付けるというシステムになってから、少し安心する部分も出来た。
今回も、その子から彼氏が出来た、というメールを本部が受け取ったと連絡があったときには、おめでとうとどんなに彼女へ直接伝えたかったか・・・・・・」
そのまま黙り込むヒロの様子を見て、セイヤが口を開いた。
「以前から、お客様からのその後の連絡を受け付けるのはどうかという意見がスタッフから多く、スタッフの品質向上のアンケートにコメント欄もありましたが、別途お客様の声としてメールを受け付けることにしました。
もちろん再度話をさせて欲しい、返事が欲しいという内容もございますが、一定程度の期間のみの受付ですので、スタッフとしてはその後の状況を知る機会も出来、モチベーションにも良い影響を与えていると思います」
「ほんと、一時期しか関われない分、その後がむちゃくちゃ気になるんだよねぇ。
地味に悶々とするときあるし」
「こればかりは正解が無いからなぁ」
いつも陽気なタクヤが少しため息をつきながらそういうと、オサムが同意した。
「妻の死を経てこんな形で外に広がれるとは思いませんでしたが、本当にこのカフェには感謝しています。
今回で最後ですが、本当にありがとうございました」
そういうと、ヒロは深々と皆に向けて頭を下げた。
「いえ、こちらこそ、ヒロ様からの意見は私ども運営も非常に勉強になりました。
どうぞ最後の会合も忌憚ないご意見を」
そういってセイヤが微笑むと、ヒロは困ったように笑った。
「さて次は、オサム様ですね」
「すみません、やらかしました」
「うん、是非詳しく」
セイヤがオサムに順番を振れば頭を掻いてそういうオサムに、笑顔でリュウが突っ込んだ。
「あー、うん、この会合はミスこそ共有すべきだから恥を忍んで言えば、さっきも少し話したけど、初めて気を許してしまった女性だったと思う。
それで彼女を不快にさせてしまったのに、彼女はまたこんな俺を指名してくれて、会いたい、みたいな事を言われて、その、舞い上がったというか」
最後は顔を赤くしながらぼそぼそと話しているオサムに、タクヤがヒュゥ!と口笛を鳴らした。
「非モテにそれはきついね!」
「タクヤ君みたいにもてる人間には、長年非モテで暮らす人間の苦悩などわからんだろうさ・・・・・・」
タクヤとオサムのやりとりを見て、イチロウが、あのーと声をかけた。
「オサムさんって非モテなんですか?
税理士さんなんですよね?
ここのスタッフもしてるんですし、モテないなんてただの思い違いでは?」
その言葉に他のメンバーはイチロウを見た後、皆顔を背け笑いを堪えた。
「あ、すみません、ずかずか失礼な事を・・・・・・」
「いや、良いんだよ、イチロウ君は始めた理由を知らないんだし。
本当に非モテだからこそ、ここのスタッフになったんだよ。
女性と話す機会がなかなか無いのに、仕事では嫌でも女性と話すわけじゃない?
これには仕事をしていく上でかなりのハードルだったんだ。
ここはスタッフとして現場に出る前にきっちり女性相手に研修あるし、慣れるためと仕事でのコミュニケーション能力向上のためにここのスタッフを始めたんだよ」
「ではもう慣れたのでは?」
イチロウの無邪気な質問に再度皆は笑いを堪え、セイヤは困ったような笑みを浮かべている。
それにオサムは特に嫌そうな顔もせず、ただ情け無さそうに話を続けた。
「そうだなぁ、わかったのは面と向かって話すのと、通話は雲泥の差ってこと、僕の場合」
そう言いきったオサムに、今度は皆が切なげな目線を向ける。
その視線に気がついたオサムは、恥ずかしさに耐えきれないように声を出した。
「もうここで勘弁して!
はい次!次リュウくんでしょ!」
「はは、了解です」
投げやり気味にオサムがリュウにボールを投げた。
「うーん、僕の所には甘えたいとか、癒やされたいとか色々くるんだけど、やっぱり今回は不倫していたあの子かなぁ。
あの子は実に、美味しそうだった」
「アウト」
少し宙を見つつ思い出しながら話すリュウに、オサムが冷めた目で突っ込んだ。
「あくまで感想を言ってるだけですよ。
宿り木カフェには、甘える相手のいない女性が多いから、そういう、特に自立した女性を相手にするためには、やはりある程度の教養や心の余裕が必要だと思いますね。
彼女たちは非常に敏感なので、こちらが無理をしていると感づいたら、一気に甘えるスイッチを無くします。
それに自分より教養の無い人間には気すら許さない傾向がありますね」
「あぁ、それはそうだね」
リュウの言葉にオサムが頷いた。
「え、俺、あんまそういうお客さんいないな」
タクヤの言葉に、リュウとオサムが苦笑いをする。
「私どもの方でお客様の要望に添ったスタッフをお願いしていますので、タクヤ様はタクヤ様なりの得意分野でお客様に対応して頂いているので大丈夫ですよ」
「あっ、今悲しいフォローされた」
がくりと肩を落とすタクヤを見つつ、イチロウが不安げにセイヤに問いかける。
「あの、僕は何かスタッフをする上で勉強の必要があるでしょうか。
こういうことをしてますし、カウンセラーの勉強も必要かと思い始めて」
「いえ、不要です。
ここはあくまでお客様とカフェのスタッフが立ち話をするような場所です。
間違っても何か正しいアドバイスをしなくてはとか、専門知識が必要な訳ではありません。
必要なのはスタッフ皆様がお客様の話を聞き全てを受け入れた上で、率直な言葉や真摯な対応のみです」
セイヤは穏やかにイチロウに語りかけた。
「えぇ、私達はいつもこれで良かったのだろうかと自問自答しています。
私達の言葉がお客様を傷つける事だってあります。
だからこそこういう場で、私達はあれこれ話すのですし」
ヒロの言葉にイチロウはまだ難しそうな顔をしている。
言われたことはテキストも無いこと。
むしろ難しい事だった。
「あんまり力みすぎるとスタッフなんて続けられないって。
俺たちはほぼボランティアなんだし」
「申し訳ありません・・・・・・」
「すんません!
いや、お客さんの出してるあの費用そのままもらってるだけでもありがたいです、はい」
セイヤの謝罪に、慌ててタクヤはフォローする。
「セイヤさん、今度また新しい人を探しているんですか?
それとも既に研修中?」
リュウが尋ねると、セイヤが頷く。
「今研修中の方もいますが年齢がお若いので、もう少し上の方をと」
「本当に全員スタッフってセイヤさんの一本釣りなんですか?」
セイヤの言葉に、イチロウが聞くと、えぇ、と笑みを浮かべセイヤは頷いた。
「ボランティア同然のお仕事ですが、やはり信頼出来る方でないとお任せする事は出来ませんから」
なるほど、とイチロウが頷いていると、セイヤがタクヤに視線を向ける。
コーヒーを飲んでいたタクヤはその視線に気がつき、苦笑いを浮かべた。
「はいはい、次は俺ですね。
うーん、結構恋愛相談系が俺の所は多いんだよね、イケメンに好かれるにはどうしたら良いのか、とかもあるし。
でも今回は美人と思われる客で、美人で男に困らなかったからこそ年齢がきて結婚に焦ってるというお客さんがきて、それは同類じゃないとわからない悩みだよねー」
「僕には絶対振られないお客さんだ」
オサムの呟きに、リュウがくくく、と笑いを堪えている。
「なんつーか、外見目的で寄ってこられると、こっちの何に惹かれたのかわかんないし、結局長続きしないし。
むしろ見た目がイマイチなら、こっちの中身で好意を抱いたんだってわかるだろ?
そういうのが羨ましくなるなんて気持ちは、わかってもらえないだろうからさ」
はぁ、とため息をつきながら話すタクヤに、オサムが顔を背け何かぶつぶつと言っているのを、ヒロが困ったような顔で声をかけている。
「んで、最後はイチロウくんだよね?
どうだった?今回からだったんだろ?」
タクヤにふられ、びくりとイチロウは一気に集まった視線に身を強ばらせる。
「今回から、それもまだ大学生というのに、どのお客様のアンケートでも非常に高評価だったんですよ」
にっこりとそう言うセイヤに、イチロウは少しだけホッとしたような顔をした。
「お若いのにとても大きなものを経験されているので、心を動かされたお客様も多かったのでしょう」
「いえいえ、本当に一杯一杯で」
照れくさそうに頬を掻くイチロウを、みな優しい表情で見ている。
それに気がつくと、イチロウは少し顔を引き締め話し出した。
「既にご存じだとは思いますが、僕は震災で家族を亡くしています。
ですので、災害に遭われたお客様ともお話ししましたが、やはり初めて担当した反抗期のお子さんを持つ主婦の方とのお話がどうしても印象深いですね」
「わかる。俺も未だに初めてのお客さんは覚えてるよ」
イチロウの横に座るタクヤはどちらかといえば兄貴肌な感じで、自分を話しやすく促しているのだとイチロウは感じ取り、嬉しくなった。
「あんなに年齢の離れた方に、たかが学生の僕が何を言えるのだろうと毎回思いました。
どちらかと言えば、いつも自分の事を話していたと思いますし。
あんなので何かなったのかとか、その後お子さんとの関係はどうなっているのだろうととても気になります」
「あの後、イチロウ様に言われたように勉強をされて、お子さん達も少しずつ変わってきたと後日のメールにありましたし、きっと良い方向に向かわれていると思いますよ?」
勉強?とセイヤに聞き返したタクヤに、イチロウが答える。
「えっと、反抗期のお子さんを持って非常に疲れていらしたようなので、元々看護師と伺い、復職されてはどうかと勧めまして」
あぁなるほど、と相づちをうったタクヤに、ヒロ達も頷いている。
「それは良かった。
だけどその後悪い方に行ってないだろうかとか、やはり気になるよね、こっちに情報が来ないだけで」
そういうオサムに、セイヤも頷く。
「そうですね、カフェ終了後、不満もメールで来ることはありますが、良かったと連絡が来るのもあまり多くはありませんね。
でも、そういうことをしなくてもいい、という状況なのだととらえるようにして頂ければ」
そしてセイヤは皆の顔をゆっくりと見回す。
「この『宿り木カフェ』のサイトは、本当に必要な方にしか本来見つけられないようになっています。
ですので、トラブルも非常に少ないですが、その後音沙汰がないということは、皆様このカフェに寄る必要が無くなったと言う事だと思っています。
スタッフの皆様には、またこのカフェを必要とする、新たなお客様の話し相手で今後もお願い出来ればと」
そういうと、セイヤは全員に向かい笑顔を浮かべた。
「それにしても不思議だよね、このサイト。
必要じゃない女性にはたどりつけないっていうの」
少ししてぼそりとタクヤが呟いた。
「僕も半信半疑でしたが、友人に試してもらったら誰も見つけられませんでした」
「イチロウ君、そんなこと頼める女の子の友達が居て良いね」
何故かずれた事を話したオサムに、リュウが軽く笑っている。
「ここのスタッフもセイヤさんが見つけるし、その男達は何かしたい、そして出来る能力のある人間を見つけられるって本当に凄い事だよ。
自分が事業をしているから、『宿り木カフェ』やこの『Cafe Mistletoe』のオーナーでもあるセイヤさんの正体が気になって仕方ないけどね」
「正体?」
少し笑みを浮かべながらそう話すリュウに、首をかしげながらイチロウは言った。
『宿り木カフェ』のスタッフはセイヤ自身がスカウトをし、その時にセイヤ自身の話も聞いていたので、イチロウはリュウの言葉がいまいち理解出来なかった。
「『宿り木カフェ』は完全にセイヤさんの趣味みたいなものだろうし、この喫茶店で他をまかなえるほどの収入が得られるわけがない。
セイヤさんから会社の名刺渡されてその会社の登記確認したけど、あれが本体な訳が無いし。
他で何か大きな事、してるんですよね?」
楽しそうに話すリュウに、セイヤは静かに笑みを浮かべている。
「そうですね、私がというより、私の所属しているところに資金がある、というところでしょうか。
もちろん、不法な組織ではありませんのでご安心下さい」
「あのー、イチロウ君が二人の笑みに怯えているのでその辺にしておけば?」
タクヤが呆れたように突っ込んで、リュウとセイヤは苦笑いを浮かべ謝罪した。
「・・・・・・ありがとうございます、怖かったです」
「だろー、あの二人は笑顔だけど腹の中がわかんなくて怖いんだよ」
イチロウが隣のタクヤに小さな声でお礼を言うと、ニヤリとタクヤは返した。
「さて」
セイヤの声に、全員が視線を向ける。
「そろそろ会合の終了時間です。
何かご質問などございますか?」
セイヤはゆっくり全員と目を合わせたが、皆笑顔を浮かべ特に誰も声を出さなかった。
「本日も遅い時間にありがとうございました。
どうぞこれからも宿り木カフェのスタッフとして、運営にご助力頂ければと思います。
それでは本日の会合はこの辺でお開きに致します」
その一言で、ヒロに声をかけるもの、残りのコーヒーを飲むもの、他のメンバーと話すものなど、一気に話し声が個室に響く。
「どうぞ閉店まで時間はございますのでゆっくり皆様でお話し下さい。
コーヒーのお代わりをご所望の方は?」
セイヤの声に、全員が笑いながら手を上げた。
「では、後ほどお持ち致しますので、お待ち下さい」
そう言うとセイヤは立ち上がり、ドアを開けて出て行った。
「いやぁ、セイヤさんって本当に謎の存在ですよね」
思わず呟いたイチロウに、ヒロが頷く。
「彼はあんな見た目だけどそれなりの年齢のはずなんだけどねぇ」
「俺は実は神様だったとか言われても信じそう」
タクヤの言葉にリュウが笑う。
「まぁかなりの人には間違いないよ。ね?オサムさん」
「・・・・・・もてるんだろうなぁ」
ぼそりとセイヤが出て行ったドアを見ながら、オサムが呟き、皆顔を見合わせると笑い出した。
「今日も皆様盛り上がっていらっしゃいますね」
マスターがコーヒーを準備しながら、カウンターにもたれかかるセイヤに声をかける。
「私が居ない時間がむしろスタッフの皆様には必要ですから」
薄く微笑むセイヤにマスターはちらりと目線だけ向け、また手元に戻す。
「聖人(きよひと)様が本当に楽しそうで、じいやは嬉しゅうございます」
そう言いながらゆっくりと熱い湯を注ぎ、ドリップしていけば、店内に色が見えるかのように香ばしいかおりが充満していく。
「・・・・・・ノブレス・オブリージュは、我らが責務だからね」
セイヤこと、聖人は艶やかな唇に細い指を当て、眼を細めた。
『宿り木カフェ』
そこは本当のカフェではなく、不思議なネットサイト。
今日も素敵なスタッフ達が、疲れた女性に一時の安らぎを与えるためにお待ちしています。
貴女は、どんなスタッフと話がしてみたいですか?
END