先の言葉を思い出して鼻の奥がツンと痛む。言葉にはきっと裏表はない。深い意味だってないはずだ。ただの、世間話。気にするなと何度も頭の中で繰り返して、前を向こうと顔を上げた。少しだけ視線を上げすぎて、風太と目が合う。
風太は深く茶色みがかった瞳で瞬きひとつせずにわたしを見つめていて、何かを言いたそうに口を開こうとしていたから、入り込まれる前に逸らした。
緩くカーブを描いた道の先に、砂浜へ降りる海岸が見えてくる。この町はぐるりと海に囲まれているけれど、砂浜のある海岸は場所が限られている。夏になると人がひしめき合って、地元の人間ならまず近付かない場所だ。柔らかい砂を踏んで、乾いた倒木の上に風太と並んで座る。
「ん、緑茶と紅茶と炭酸」
「緑茶」
「いちごミルクもある」
「じゃあそっち」
風太がビニール袋の中を漁る横で、鞄からウエットティッシュを取り出す。ぱぱっと手のうちにあるものを交換して、甘ったるいいちごミルクを喉に流し込んだ。内側から体が冷えていく。こんなに外は寒いのに、あたたかい飲み物は買っていなかった。炭酸を一気に煽って、風太はまた袋を漁った。
「サンドイッチ。おにぎり、鮭と梅、あとおかか」
「サンドイッチ」
「はい」
渡されたハムとレタスのサンドイッチを受け取る。わたしが半分食べるころには風太は三つめのおにぎりのパッケージを開けていて、同時に食べ終えた。ふうっと一息ついたあとに、自分の買った袋を膝に置く。
お疲れさまの意味を込めて、お菓子を分けるつもりだった。そこでふと、商店のおじいちゃんが入れてくれたものを思い出す。
「風太、ごめん」
「え、なに」
「これもあった」
袋から取り出したものを風太に見せると、げえっと顔を歪める。あるなら先に出せよ、と不服そうに言われ、本当にごめんと謝る。
「出たよ、巻き寿司」
「風太は貰わなかったの?」
「入れられそうだったけど断ったんだ。月深も断れよ」
「言う前に袋に入れられたから返せなくて。食べよう。今日は飲み物もあるから大丈夫だよ」
美味しくないわけでは決してない。ただなんというか、感覚的な意味で食べても量が減らない不思議な巻き寿司。特徴は、海苔がパサパサ。口の中の水分を全部持っていかれる。半分にちぎって少し大きな方を風太に渡す。一口目から上顎に海苔がべったりと張り付いて、合わないなと思いつつ、いちごミルクで流し込む。
無心で巻き寿司を頬張る風太が、何だか恵方を見つめているように見えて吹き出しそうになると、喉につかえて咳き込む。
どうしてこんな昼下がりに、風太と二人こんな場所で巻き寿司を食べているのだろうと冷静になると、何だか面白くて笑いが止まらなくなる。
「おい、危ないって。笑いながら食べたら、これマジで凶器になりうるから」
「ふっ、ちょ、まって笑わせないで」
「なんでそんなツボってんの」
最初は怪訝そうにしていたけれど、わたしがあんまり笑うからか、風太もつられて吹き出した。口角が上がると、目が細まる。風太ってこんな風に笑う人だったっけ。微笑む姿を見かけることはたまにある。だけれどこんな風に、無邪気に笑う様はずいぶんと久しぶりに見た気がした。
「ごちそうさま」
ぱんっと律儀に手を合わせてそう言うと、風太は鞄を置いて波打ち際へと向かう。わたしも最後の一口を放り、やっぱり上顎に張り付く海苔をいちごミルクで流し込んでから、後を追った。
小波の音が心地よく響く。透き通る水の色がとても好きだった。本州では有数の透明度の高い海としてしばしば記事に取り上げられているということを、数年前に知った。こんな辺鄙な田舎にわざわざ夏になるとやってくる観光客の気が知れなかったけれど、なるほどこの美しさは当たり前ではないのかと、自分の世界の狭さを知った瞬間でもあった。
「お」
波の迫る位置ギリギリを歩いていた風太が不意に立ち止まり、足元に手を伸ばす。ひょい、と拾い上げたそれを太陽に向かってかざす。
「シーグラスだ」
「綺麗な青だな」
ガラスの角が取れて丸くなったそれをひょいひょいと集めながら移動していく姿が何だか可愛らしく見える。
「そういえば、昔……自由研究だっけ、調べたよね。一緒に」
「あー、理科の発表のやつ。班に分かれて調べたな、そういえば」
ガラスがこの形になるまでにかかる年数や色別の見つかりやすさ、簡単な条件をまとめたものを発表したとき、風太も同じ班にいた。小学生の頃の話だ。
まだ角の尖った鋭利なガラスを、出直してこいと遠くに投げながら、厳選したシーグラスをわたしに差し出す。
「くれるの?」
「うん。綺麗だから」
綺麗なものを、分け与えてくれる。他意はないだろう。深く考えてもいないはずだ。けれど、わたしにとっては宝物になりえるようなそれを手のひらに閉じ込めた。