週が明けて月曜日。クラスの半数程度が登校している時間帯に教室に入ると、前席の住人は既にそこにいた。ぺたんこの鞄を枕にし、机にうつ伏せて眠っている。人が増えて教室内が賑やかになり始めても寝息を立てていた。

チャイムにも動じず、担任の先生が点呼を始めてからも起きる気配のない風太を隣の席の男子が小突いた。ガタッと椅子を揺らして飛び起きた風太は何が何だかわかっていない様子で辺りをきょろきょろと見渡す。見計らったように先生が名前を呼ぶと、え、これ何の授業中? とすっとぼけた返事をして教室に笑いが起こった。

今朝の一件が功を奏したのか、風太は驚くほど教室に馴染んでいた。休みがちな生徒。どうしたって周りも気を遣う。つい先週までは風太の方からも一線を引いているように感じられたのに、彼の元の気質もあってか、ガードを緩めると一気に人を引き寄せる。

数学教師の嫌がらせで一ページ丸ごと当てられた際も難なくこなし、新単元で早速躓いたお馴染みの面々が授業後風太の周りに集まっていた。

帰りのホームルームが終わると、クラスメイトが捌けていく間際に風太に向けてまた明日、と声をかけた。風太は面食らって目を見開き、すぐに懐っこい笑みを浮かべて頷く。

この分なら、今日はわたしが念押しせずに済みそうだ。明日の約束を、わたしではない誰かとも交わせばいい。風太にとって、居心地が悪い場所ではないでしょう、と伝えられたことが第一歩。


出された課題は休日の間に終わらせたようで、残るはノートの書き写しのみ。一日二教科のペースで今週中には終わる。自分の課題と復習をしながら、心地よく流れるペンの音を聞いていた。日が傾き始める頃、マーカーを引き終えた風太が両手を掲げて伸びをする。


「終わったー!」
「お疲れさま。どっち飲む?」
「サイダー。ありがとう、貰うな」


早々に課題を終えて、復習にも飽きて風太を待つ間に自動販売機で買ってきた。手元に余ったオレンジジュースと乾杯をする。

ノートを鞄に仕舞おうとした風太が、あ、と声を上げて取り出したのは大量に課されていた課題だ。よくこの量を休日で終えたなと感心していると、何故かそのまま鞄に戻そうとする。


「今度にしよう。あんまり早いと、余裕だなとか言って追加されそう」
「いやいや、終わってるなら今日持っていきなよ。そんなことされないって」
「だってさ、今日の数学のとき、見てたろ? おれ嫌われてるのかな」


まあ意趣返しではあるかもしれないよね、とは口にせず、ジュースを飲み干したところでさっさと提出するように促した。渋々課題を持って教室を出ていった風太を待つ間に、この時間になると赤らみ始めるはずの空が静かなことに気付く。空が夕焼けではない、ということは。天気予報を開くと、明日は雨の予報になっていた。週末にかけて下り坂。寒くなりそうだと独り言ちていたとき、教室のドアが開かれた。

風太が戻ってきたにしては早いなと顔を上げると、そこにいたのは風太ではなく絢斗だった。珍しいと思いながら、携帯を置くと絢斗が不機嫌そうに口を開く。


「あいつは」
「風太なら課題提出しに行ったよ」
「おまえさ」


ずかずかと教室に乗り込んできた絢斗は、バンっと机に手をついてわたしを睨みつけた。そんな態度を取られる筋合いがどこにあるのだろうかと、ひるまずに見つめ返す。


「あいつに関わるのやめろよ」
「何、あいつって。そんな言い方しないで」
「十時に構うのはやめろ」


その物言いにカチンと来て、思わず席を立つ。


「絢斗には関係ないでしょ。そんなこと言うためにわざわざ来たの?」
「ああそうだよ、わざわざ言いに来た。この前も一緒にいただろ。何のつもりだよ」
「別に、絢斗に関係ない」
「それしか言えないのかよ。答えろ、何してるんだ、おまえ」
「絢斗こそ、風太がいないときじゃないと聞けないなら来ないで」


この場に風太がいたら絢斗はわたしに詰め寄りはしていない。そこを突くと絢斗は眉間の皺を深めた。

留年のことは、わたしの口からは絶対に言えない。本来ならわたしが知っていてはいけないことだ。たまたま耳にしてしまっただけ。

絢斗は絢斗で、とても苛立っているように見える。その理由は何となく察しがつくけれど、核心に触れることをお互いに躊躇する。


「今まで、こんなことしなかっただろ。あいつが来なくたって、別におまえ何もしなかったのに、なんで急に」
「それは……」
「今更、余計なことするなよ」


怒っている。それ以上に、何かを懇願するような目をしていた。何かに、怯えているような。絢斗がそういう顔をする理由にも検討がつく。だからこそ、それが理由ではないことを伝えないといけなかった。

思いもよらない人物からの切り口に、言葉の用意はない。少しでも間違えたことを口にすれば、それが回り回って自分の首を絞めることになる。それほど、絢斗と対峙することの意味は深く重い。

意を決して口を開こうとしたとき、絢斗が開け放しにしていたドアから風太が入ってきた。わたしと絢斗の姿を見止めて、すっと目を細める。


「おれの話?」
「風太……」
「いいよ、続けて」


風太は何でもないように言い放って、わたしと絢斗の前を横切り、自分の椅子に座った。追加の課題が出たのだろう。持っていったものとは別の冊子を机に置いた。

妙な緊張感が走って、黙っていることしかできずにいると、絢斗が一歩風太の方へ近付く。近距離で見下ろす絢斗を、風太は感情の読めない表情で見上げた。


「日丘に何させようとしてる」
「何って、ノート借りようとしてる」


端から食ってかかる絢斗を、飄々とあしらう風太。これは、どう見たってよくない流れだ。わたしに対しても絢斗は誤解をしているし、風太は渦中にいながら何もわかっていない。問答が繰り返されるうちに絢斗の語気が荒くなっていって、とうとう、触れた。


「おまえ、その怪我のこと、まだ」
「絢斗!」


ほとんど被せるように叫んで、絢斗の腕を力いっぱいに引く。はっと我に返ったようで、絢斗はふらっと机から距離を取る。


「もう、帰って。さっきも言ったけど、絢斗には関係ない」


風太の視線が背中に刺さる。振り向けなかった。絢斗の体にぶつかるようにして教室からせり出す。ドアを閉めると、絢斗は廊下にしばらく立ち尽くしていたけれど、わたしの肩越しに風太を睨みつけて、その場を去っていった。