それから、おばさんは「あとのことはやっておくから幸子ちゃんのことよろしくね」と言ってテキパキと片付けをこなしていくのを尻目に追い出された俺たちは宛もなくさまよっていた。
「ねぇ、おじさんのお母さんは死んじゃったの」
「うん。死んじゃった」
「そっか」
幸子と手を繋ぎ道路を歩いていく。
小さな子の扱いには慣れていなくてなんだか気分が落ち着かなかった。
喪服を着た成人男性と女児の組み合わせは周りからどのように見られてるだろうか。考えたこともない考えがよぎって誘拐犯などに見られていないかソワソワもした。
「おじさんは一人?」
「うん。一人になったんだ」
「そっか。私と一緒だね」
子供の純粋さ故か思ったことは口にしてしまうみたいだ。
俺はどう返答すればいいかに非常に困った。
やっぱり自分に子供の相手は務まらないんじゃないかなと思えてくる。
「おじさんは泣かないの?」
「……泣けなくなっちゃったんだ」
「なんで?」
「聞いてて楽しい話じゃないよ?」
「それでも聞きたい」
真っ直ぐと見つめてくるその目は好奇心なのかはたまた別の何かなのか。
俺は幸子のそのなんだか釘付けになるような大きな瞳に貫かれたような気分がしてポツポツと話し始めた。
「昔、父から暴力を振るわれてたんだ。俺がちょうど幸子ちゃん位の時からだね。
父さんが酒に溺れるようになって俺と母さんに手を上げ始めた。
暴力を振られたあとで泣き喚いていた俺の声が煩かったんだろう、特に俺に手を上げるようになった。
毎回母さんが庇ってくれるんだけど、俺の代わりに母さんが痛い目にあっているのが見ていられなくて次第と泣かなくなっていった。
そしたらね、泣き方を忘れちゃったんだ。涙が枯れてしまったのかもね」
幸子の目を見ながら話す事が出来ずに僕は目線が合わないように前を向いて話した。
幸子は静かに全てを聞いたあと無邪気な声で言った。
「私もだよ」
何が同じなのだろう?
その言葉に疑問を持っていると幸子はおもむろに服の袖を捲りあげた。
露出したお腹の辺りには青黒い痣や赤く腫れた肌が痛々しく、その小さな体に似つかわしくないほどの密度で存在していた。
「お母さんもお父さんも私のことが嫌いだったみたいでね。よく叩かれちゃってたの」
「……大丈夫なの?」
「大丈夫だよ!私はまだ泣けるから」
とりあえず幸子ちゃんが捲っている服を降ろすよう言った。
子供らしい無邪気な声とは真逆の内容に思わず息が詰まった。
正直、最初は幸子のことを疎ましく思っていたかもしれない。けれど、自分の境遇と重ね合わせてしまったからか、なんだか放っておけなくなってしまった。
「……幸子ちゃん。家、来る?」
「いいの?」
「うん。もちろん」
幸子はその言葉を聞いて、繋いでいた手を一度離し、その小さな手で零れている涙を拭った。
「私、どこに行っても邪魔だったみたいだから。居ても良いよって言われるの、初めてで……」
「泣いていいんだよ」
幸子は子供らしく泣き喚いた。
俺は胸を貸してあげた。こうやって俺も泣くことが出来たらなと、少し思ってしまった。
僕は幸子が泣き止むまで膝を屈ませて隣で静かに待った。
しばらくすると幸子は泣き止み、もう一度手を差し伸べてきたのでその手を握って再度歩き始めた。
「おじさんはどうしても泣けないの?」
「うん」
幸子は何か考え込むように下を向いたあと俺の方を向いて言った。
「じゃあ、私がいつかおじさんのこと泣かせてみせるよ」
まるで宣誓のように言い放った言葉になんだか笑えてしまい「悪い意味で以外で頼むよ」と返事をすると「任せて」と言わんばかりに幸子は胸を張った。
「それから幸子ちゃん。俺はまだ20代でおじさんじゃないからね?」
「おじさんはおじさんだよ?」
と言われ、このやり取りは俺たちが家にたどり着くまで続いたが、俺の呼び名がおじさんから変わることはなかった。