終幕(エピローグ)



 廃教会の地下をめぐる一連の事件は、その後の報道によって世間に知れ渡った。殺人事件の犯人である夜半月七夏は最初、未成年としてプライバシーに配慮されていたが、元芸能人という経歴のせいで週刊誌に特集を組まれ、あっという間に広まっていった。一般人であり傷害事件に留まった波止場水景の知名度は七夏ほどではなかったものの、私立山手清花女子学院の中では誰もが知ることとなった。行方不明だった城ケ崎碧の遺体が確認され、親しかった生徒たちは少しの悪口と深い哀悼の意を示した。学内の高嶺の花たちの事件は少女らに多大なるショックを与え、憤る者、落胆する者、悲嘆に暮れる者など様々な様相を呈していた。
 それでも季節は移り変わってゆき、11月は瞬く間に通り過ぎた。12月の半ば、デートスポットとして有名な横浜の街はイルミネーションに彩られ、浮かれた人々が行き交う様子が至るところで見られた。それは山手清花のほど近く、元町商店街でも同じだった。昼どきで客足の緩やかになった磐井洋品店の中、れおなの母親は街行く人を眺めていた。

「れおな、どこに行っちゃったのかしらね」

 レジスターの前で備品の準備をする父親が返事をする。

「心配だな」

 それは既に幾度も繰り返された会話だった。愛娘であるれおなは、廃教会の事件の後に姿を消してしまっていた。

「当たり前よ。どこかで事件に巻き込まれていないといいんだけど……」
「困ったら連絡してくるだろう。あの子は助けてって言える子だから」
「……そうだといいんだけど……」

 家族のグループメッセージには、11月3日の朝、れおなから送られてきたメッセージが残っていた。

『突然いなくなる親不幸な娘でごめんなさい。どうしても助けたい人がいるので、私は日本を離れます。また落ち着いたら、或いは困ってどうしようもなくなったら連絡します。冬は冷えるから、あったかくして過ごしてね。大好きなお父さんとお母さんへ。れおなより』



 緞帳(どんちょう)の内側で、彼は佇んでいた。ここは私立山手清花女子学院の講堂で、今日の日付は12月24日だった。客席側からは期待に胸を躍らせる少女たちの話し声が聞こえてくる。

「この主演の白砂さんって知ってる?」
「知らない。高一なんだっけ?」
「高等部からの受験組なんだって。それで主演なんてすごいよね」
「まあ、今年は色々と……ね?」
「本当に色々あったよねぇ……ねえ、やっちゃん?」

 噂話の輪の中、れおなの友人である少女は自分に話を振られたことで流れを察した。

「れおなちゃんのこと?」
「そう。磐井さんって誰かの恨みを買うような人じゃなかったよね? 城ケ崎先輩と違って」
「廃教会はあの事件を期に取り壊されたから、れおなちゃんが城ケ崎先輩みたいな目に遭ってるとは思わないけどなー?」
「まあね? やっちゃんは心配じゃないの?」
「れおなちゃんは……きっと大丈夫でしょ。しっかりしてるからね。今もどこかで元気にしてるんじゃないかな?」

 厚い緞帳を隔てた彼の耳に、彼女らの話す内容までは届かない。

「緊張してる?」

 脇役の演者である生徒が彼に声をかけてきた。そちらへ顔を向け、彼は――主演の衣装を身に纏ったジュリは、微笑みを浮かべた。

「多少はね?」
「でも、みんな白砂さんのこと楽しみにしてるから! 今まで練習一緒にやってきた私から見ても素敵だったし! 自信もってやれば大丈夫!」
「ありがと。頑張るよ」
「……私さ、白砂さんって大人しい人なのかな? って思ってたんだけどね。話してみたら明るいし、楽しいし、この劇が白砂さんと話すきっかけになってよかったって思ってるよ!」
「……」
「一緒に頑張ろうね!」
「うん」

 脇役の彼女は所定の位置まで戻る。客席の照明も落ち、開演のブザーが鳴った。

『ご来場いただき、誠にありがとうございます。これより学内演劇『クリスマスの奇跡』を上演いたします。携帯電話などお持ちの方は、マナーモードにするか、電源をお切りいただくようお願いいたします』

 ジュリはすう、と深呼吸をする。心臓の高鳴りはだんだんと落ち着いてくる。ジュリは今、全身で人生の息吹を感じている。その身体の元の持ち主は――彼の内側で、眠ったままだった。

 廃教会での事件以来、樹里亜は表に出てこなくなってしまった。連絡ノートにどうして出てこないのかと書き込んで数日、ようやく来た返事は「もう外に出たくない」といった簡潔な一文だった。その後ろにはなぜ外に出てきて生活したくないのか、その理由を書こうとした痕跡が見られたが、樹里亜自身が消しゴムで消したらしく、詳しいことは分からなかった。それ以降、樹里亜からノートに伝言を残されることはなかった。ところどころ判読できる箇所を繋ぎ合わせて推測したところ、彼女が人生を放棄した理由は――「理想と現実の乖離、そして失望」といった様子だった。

(お前がまた出てきたくなるまでは、俺が保守しといてあげますかね)

 ジュリは引きこもってしまった樹里亜に対する心配と、自分が表舞台に立っていられる喜びの両方を抱いていた。
 緞帳はゆっくりと上がる。男物の靴を履いたつま先から現れる主役の姿に、観客たちの期待は最高潮に達する。ジュリは朗々と最初の台詞を唱えた。

「どうしたんだいお嬢さん、そんな浮かない顔をして。街はこんなに煌めいているというのに……今宵の君の時間、俺にもらえるかな?」

 着け慣れたウィッグのいたずらっぽく跳ねた黒髪、着こなしたスーツの男装。危うさと純真さを併せ持つ瞳の魔力に、観客はたちまち虜になった。期待は歓喜に変わり、黄色い声援が上がる。講堂の座席は満員御礼、誰もがジュリに心を奪われている。ずっと日陰に隠されていた彼にとって、これ以上の幸福はあるのだろうか? ――それでも、彼は孤独だった。

(れおな先輩が居なくなったから、俺はこの舞台の上に立っている。みんなから歓迎されている。それでも――れおな先輩と、ずっと一緒に居たかったよ)

 彼が愛した人は、ジュリを残して消えてしまった。恐らく、大切な友人を守るために。ジュリには何も告げることなく……。
 ジュリはちらりと最前列の生徒の方を見た。慣例となった赤いポインセチアとクリスマスローズの大きな花束を抱えた生徒が座っている。彼女もまた、ジュリに釘付けだ。

(あの花束を両手いっぱいに抱きしめても、俺の空虚な心が満たされることはないんだろうな)

 彼が最後の台詞まで演じ切っても、拍手喝采はいつまでも続いていた――。











『男装喫茶ベラドンナの親密な関係』

END