目の前の女子高生を睦月(むつき)遼真(りょうま)は見下ろした。その制服は遼真もよく知っている星暦学園のものである。となれば、彼女は術師華族。立ち居振る舞いと容姿からも、それなりの家柄と推測する。

 けれども、いきなり遼真の手を掴んで「わたしと結婚してください」というのは、新手の軟派だろうか。
 彼女の力強い瞳は、しっかりと遼真を見つめている。

「お前、名前は?」
「失礼いたしました。わたし、卯月乃彩と申します」

 そう名乗った彼女であるが、遼真の手を離そうとはしない。

「卯月公爵家の?」
「長女です」

 術師華族の四大公爵家の一つの卯月家。最近はいい噂を聞かない。それよりも、最近の彼らの行動には目にあまるものがあった。

 娘を利用して、他家から金銭をむしり取っている――

 それが噂であるか事実であるかを確認するため、卯月公爵を問い詰めたものの、穏やかな口調でのらりくらりとかわされたのは、つい先日のこと。

「お前、俺を睦月の者と知っていて声をかけたのか?」

 卯月公爵家の長女であれば、あの噂の娘かもしれない。しかし、彼女の目は真ん丸になった。

「あ……も、申し訳ありません。睦月公爵家の血筋の方?」

 彼女の様子を目にすれば、本当に遼真のことを知らなかったのだろう。術師協会に顔を出すようになるのは、成人してからだ。いくら術師であっても、未成年は協会に出入りできない。

 遼真が睦月公爵を継承したのは今から一年半前、大学を卒業してすぐのことだった。その場に乃彩はいなかっただろうから、遼真の顔を知らなくても仕方あるまい。協会に入らなければ、術師同士、顔を合わせる機会もそうそうないのだ。生徒であればなおのこと。生徒同士、同じ学園の建屋で顔を見るだけ。

「俺が睦月公爵家当主、睦月遼真だが?」

 彼女はひゅっと息を呑んだ。名前くらいは知っていたのだろう。だが、遼真を知らずに声をかけてきたようだ。

「……あっ」

 はくはくと口を開けている彼女を見ると、庭の池の鯉を思い出す。

「お前は、卯月公爵から睦月家に入り込むようにとでも言われた……わけではなさそうだな」

 そうであれば、遼真の名を聞いてここまで驚かないだろう。

「申し訳ありません。たいへん失礼いたしました」

 彼女は遼真の手を掴んだままであり、やはりその手を解放する気はないようだ。

「この手を離してくれないか?」

 小動物のようにふるふると首を横に振る。

「お前、そんなに俺と結婚したいのか?」

 苦笑しながら遼真が尋ねると、乃彩は困ったように目尻を下げる。
 神秘的な美少女といった印象を受けたが、ふとゆるんだ表情は年齢よりも幼く見えた。

「あの非常に言いにくいのですが……遼真様は、呪われていらっしゃいますよね?」

 遼真は、その事実を誤魔化すかのように、周囲を大きく見回す。

「すまない。その話はここでするようなものではない……俺の屋敷に来るか?」

 その言葉に、乃彩はゆっくりと頷いた。

 どちらにしろ、遼真は今、屋敷に戻ろうとしていたところなのだ。ただ、彼女と並んで歩くと人の目が気になる。
 遼真自身も他人から注目されやすい容姿をしているが、彼女も目を惹く。背筋が伸びて姿勢よく、艶やかな黒髪はまっすぐに背中に届き、まるで日本人形が制服を着て歩いているような感じである。

 そのような彼女と遼真が並んで歩くと目立つ。
 今も、人の視線に晒されないようにと気をつかって歩いていたというのに。さらにこのやりとりだけであっても、チラチラとこちらを気にしている人たちはいた。

 仕方なくスマートホンを取り出して車を呼ぶ。この車から逃げていたはずなのに、自ら檻に戻った飼い犬の気分である。

「……啓介か? 車を頼む。場所は……」

 用件を告げる前も告げたあとも、スマートホンの向こう側では相手がぎゃぁぎゃぁと文句を言っていた。だから必要最小限だけの会話にして、通話を切った。

「今、迎えがくる。俺もお前も、あまり外を出歩いてはならない人種のようだな」

 遼真の言葉に、乃彩は首を傾げたものの、手を離してはくれなかった。

 すぐに車はやってきた。後部座席に乃彩を押し込めて、屋敷へと向かう。

「遼真様。見合いをすっぽかして、軟派ですか?」

 それは車を運転している冬月(ふゆつき)啓介(けいすけ)の言葉である。

「うるさい、黙っていろ」

 遼真がそうやって暴言を吐けるのも、啓介が信頼のおける人物だからだ。むしろ彼も遼真のこの言葉に慣れている。

 やれやれとでも言いたそうな雰囲気が、ミラー越しに伝わってきた。

「それで、お前はいつまで俺の手をそうやって掴んでいるつもりなんだ?」
「ごめんなさい。一応、解呪を試みているつもりなのですが。やはり、遼真様はわたしの『家族』ではないので、うまくいきそうになくて……」
「解呪……そうだ、お前。俺が呪いを受けていることに気がついたんだよな?」

 遼真が落ち着いた口調で告げると、乃彩はこくっと頷く。

「この呪い、霊力の弱いものは気づかない。それに、解呪もできない」
「睦月公爵家の当主様を呪うような相手とは、いったい……。それに、妖力も強い?」

 遼真の手をさわさわと触れながら、彼女は目を細くした。呪いの根源となっている妖力を探っているようだ。

「……この、妖力……」

 彼女の言葉の先を遼真が奪う。

「ああ、屍鬼のものじゃない。それの親玉、鬼の呪いだな」
「……もしかして、酒呑童子の呪い?」

 彼女が口にしたのは、鬼の頭領の名でもある。遼真は自嘲気味に笑うものの、その呪いを感じ取った乃彩の霊力は興味深い。

「そうだ。不覚をとった」
「遼真様は酒呑童子とお会いになられた?」
「いや?」

 遼真は呪いを受けた経緯をかいつまんで話した。

「つまり、贈り物を開封した途端、呪われたと?」
「ああ、油断していた俺の落ち度ではある」

 ただでさえ、遼真が公爵位に就いたことを面白くないと思っている術師は多い。それに、鬼たちにとっては、年若い公爵は絶好の鴨でもある。経験も浅く、霊力も安定していないためだ。

 遼真に呪いをかけたのが同じ術師か、はたまた鬼かはわからないが、こうやって酒呑童子の呪いをかけた。ただの呪いではない。霊力の弱い術者では、遼真が呪われていることすら気づかない。そういった緻密に術式が組み込まれている呪いである。

「ですが、この呪い……遼真様はお気づきですか?」
「何をだ?」

 遼真の声が冷ややかになるのも仕方ない。ただでさえ、厄介な呪いであるため、少しでも情報は欲しい。

「この呪いは、遼真様の霊力と生命力を徐々に奪っていきます」

 呪いは肉体を傷つける行為と併用されるのが多い。怪我をした場所から妖力が体内へと入り込み、その妖力を全身へと送り込む。妖力によって体内が侵される現象が呪いなのだ。

「まあ、呪いだからそうなるだろう。だが、俺は怪我をしていないし何も心配ない」
「いえ……遼真様は、あと一か月の命です」

 ガタッと車は急ブレーキで止まった。

「おい、啓介。何をやっている」
「申し訳ありません。目の前を猫が横切ったもので」

 その言葉の真偽を問い質すのはやめておこう。それよりも、乃彩の言葉のほうが気になる。

「……どういうことだ?」
「もし、わたしの言葉が信じられないのであれば、睦月の分家には呪いに詳しい家があったはずです。確か……冬月家? そちらの方にも視ていただいたほうがよろしいかと」

 その息子なら目の前で車を運転している。だが啓介は遼真の呪いは知っているものの、それを解呪できる霊力など持ち合わせていないし、その命が一か月以内であるとも言っていない。

「ああ、わかった。すぐに冬月に視てもらう」

 けして乃彩の言葉を信じなかったわけではない。ただ、信じられないという気持ちが働いたのだ。

 屋敷に着くと、すぐさま啓介の父親を呼んだ。
 応接室で彼の到着を待ちながら、乃彩の話を聞く。

「つまり、お前が俺に求婚したのは『家族』になる必要があるからだと?」
「……はい。遼真様の呪いをわたしが祓うためには、遼真様と家族にならなければなりません。わたしの力は、家族にしか使えないので」

 そこで遼真は腑に落ちた。ちらほらと聞こえてきた卯月家の娘の話。そして、報酬の件。今の乃彩の話を聞けば、つながるものがある。

「もしかしてお前。今までも()()()()()解呪やら治癒やらをしてきたのか? その、術師たちに」
「はい」

 乃彩はしっかりと頷いた。

 そこへ、ドタドタと足音を立てて白衣姿の冬月がやってくる。彼は呪術医である。

「遼真様。いったいどのようなご用件で? 今日はお見合いだったはずでは?」

 きょとんとした顔で、冬月はずれ落ちた眼鏡を押し上げる。

「冬月。俺にかけられている呪いを視てくれ」

 彼は驚いたように息子の啓介に視線を向け、厳しく問いただす。

「啓介。遼真様の呪いとはいったい、なんなんだ?」
「冬月。そう声を荒らげるものではない。お前に黙っておけと言ったのは、俺だから」

 父親と遼真に挟まれた啓介は居たたまれないのか、身体を小さくしている。

「ですがね。なんのために啓介を遼真様のお側においているのか、お考えください。遼真様のことを逐一、私に告げ口するためですよ」

 冬月は遼真の手をとり、目を閉じて何やら呟く。しばらくの間そうしてから、かっと目を見開いた。
 言いにくそうに、不自然に身体を動かしている。

「どうだ? 俺の命はあと一か月か?」
「ご存知だったのですか? この呪い……鬼の妖力? とてつもなく強い力を感じます。早く解呪をしなければ、遼真様の命はあと一か月で妖力に呑み込まれます」
「なるほど。では、解呪師を手配しよう。お前が知っているもっとも腕のいい解呪師をここに呼んでくれ」

 冬月は黙ったままで、何も言わない。困っているようにも見えるし、悩んでいるようにも見える。

「私が知る限り、この呪いを解呪できるのは卯月公爵家くらいでしょう」
「なら、問題ない」

 遼真がさらりと答えると、冬月は眉間に力をこめて深くしわを刻む。

「卯月の娘ならそこにいる」

 その言葉に合わせて乃彩は深く頭を下げると、黒い髪も一緒に揺れ動く。一つ一つの所作が整っており、つい目を奪われる。

「もしかして、遼真様のお見合いの相手……は、分家の侯爵家だったはず……。え? お見合い、すっぽかして、女子高生と逢引ですか?」

 親も親なら子も子であり、遼真にこのような口をきけるのも冬月親子くらいしかいない。

「ちがう。いいから黙って聞け」

 遼真は乃彩から聞いた話を、要点だけおさえて冬月に伝える。

 その結果、彼は眼鏡を外して目頭を押さえていた。

「なんて、むごい……乃彩様の力を金のために利用していたと……それでも彼らは乃彩様の親ですか! それでは、毒親じゃないですか」

 冬月の悲痛な叫びに、乃彩は少しだけ眉尻を下げる。冬月には啓介という息子がいるからこそ、親としての痛みがあるのかもしれない。

「……だから、俺は彼女と結婚しようと思う」

 遼真の言葉に冬月も啓介も目と口を大きく開けるが、乃彩だけはやわらかく微笑んでいる。その間も、遼真の手を握っていた。

「ですが、乃彩様は未成年では? いくら術師華族であっても、未成年の結婚には親の同意が必要なはず。乃彩様と遼真様の婚姻では、あの親が許さないのではないですか? もしくは一億とかふっかけそうですよね」

 ははっと冬月は笑うが、その言葉が真実味を帯びているのが怖い。そもそも四大公爵の関係は仲良しこよしというものではない。互いに互いを見張るような、それで釣り合いがとれている関係なのだ。

「わたし、十八歳になりました。ですから、わたしの意思で結婚できます。もう、あの人たちの許しなどいらないのです」

 乃彩は生徒手帳を制服から取り出し、遼真に手渡す。そこには彼女の誕生日が書かれており、その日付は昨日だった。

 彼女が涙を見せたわけではない。それでも、彼女が泣いているような気がした。

「逆プロポーズも悪くないな。よし、結婚するぞ。啓介、今すぐに準備してくれ。冬月は自分の仕事に戻っていい」
「仕事に戻っていいって。この状況で戻れるわけがないでしょう? 啓介は急いで乃彩様の部屋の準備を。他の使用人たちにも声をかけて。私は婚姻手続きの書類関係を準備します」

 慌てて彼らが部屋を出ていくが、乃彩は少しだけ身体を震えさせながら、遼真の手をしっかりと握っていた。