言葉とは、どれほど恐ろしいものなのだろう。言葉で人を傷つけることは簡単。言葉で信頼を失うことも簡単で。
 緊張すると失言する自分が大嫌いだ。そして、私は好かれることに慣れてなさ過ぎた。

「私、理華《りか》のこと大好き!」

 素直に「私も大好き」と返せば良かっただけの話。実際にそう思っていたのだから。
 それでも、緊張して私は意味が分からないことを口走った。

「あはは……菊乃《きくの》、そんなこと絶対思ってないでしょー!」

 その一言でその子に嫌われたわけじゃない。それでも、確実に間違えたことだけは分かった。
 菊乃は悲しそうに、「本当なんだけどな」と笑った。

 その日から、私はある癖がやめられない。

4月5日
高校に入学した。隣の席の子に「どこの中学出身なの?」と聞かれた。「河野崎中学出身!大分田舎だけど(笑)」と答えた。その後、話題をふれなかった。「どこの中学出身なの?」と聞き返せば良かった。

4月8日
新しい友達が出来て、一緒にお弁当を食べるようになった。
「そのお弁当美味しそう!自分で作ってるの?」と聞かれた。「そうだよ!冷凍食品がほとんどだから、全然凄くはないんだけどね(笑)」と答えた。
素直にお礼を言うべきだった。

4月12日
テスト前日に友達が勉強をしていた。「凄い!むっちゃ偉いね!」と言った。ただ褒めたかっただけなのに、絶対に嫌味っぽくなってしまった。

 私は、あの日から失言日記をつけている。ほら、よく言うでしょう?

「吐いた言葉は戻らない」、って。

 知ってるよ。分かってるよ。だから、怖くて怖くて堪らないんだよ。

「理華?」
「あ、ごめん、菊乃。ぼーっとしてた……!」

 あの日の後も、高校が別になってからも、菊乃は私と遊んでくれる。今日も菊乃と一緒に私の家で遊んでいた。
 縁が切れたわけじゃないのだから何度も謝ろうと思った。それでも、未だに上手く言葉を紡《つむ》げる気がしないのだ。

「理華、元気ない?いつでも相談乗るよ?」
「なんでもないよ!大丈夫!」

 もう絶対に失言なんかしない。もう絶対に菊乃を悲しませたりなんかしない。

「理華は強がりだね。いつでも頼っていいのにー!」

 菊乃はいつも明るくて、優しい。

「ありがとう、菊乃」
「いいえー!『どんな理華でも大好きだよ!』」

 ヒュッと喉が鳴ったのが分かった。何度もあの日の場面を繰り返した。もう一度、やり直したかった。やっとそのチャンスが来たというのに、それでも心臓が速くなるほど言葉が上手く出て来ないの。

「理華?どうした?」
「あ……えっと……」
「ゆっくりでいいよ!何かあった?」


「私も菊乃が大好き……なの……ずっと、言い直したかった……」


 急にそんなことを言われても、菊乃も困るに決まってるのに。

「言い直したかったってどういうこと?」

 不思議そうな顔の菊乃に私はあの日の後悔を話した。

「うーん、覚えてない!その時は確かに悲しかったのかもしれないけど、もう忘れたよ。だって、理華のこと大好きだもん。それしか、今も覚えてない!」

 気づいたら、涙がこぼれそうだった。私の泣きそうな顔を見て、菊乃が笑う。

「失言は誰にでもあるんだよ。でもね、その分良い言葉も吐いてる。それでも、良い言葉すら人は忘れるの。だって、毎日生きてるんだから。それに、私が忘れられないほどの失言を理華はしない。だって、優しいから。だから、大好きなんだよ?」

 その言葉がどれだけ私の救いになったか菊乃は気づいているのかな?
 だから、もう一度だけ言わせて。

「大好きだよ、菊乃」

「私も理華が大好き!」と菊乃が笑ってくれたから、もう大丈夫。

 菊乃が帰った後、リビングに行くと弟がテレビを見ていた。

「ねぇ」
「何?姉ちゃん」
「この家、シュレッダーあったっけ?」
「父さんの部屋にあったと思うけど」
「勝手に使っていいかな?」
「いいんじゃね?」

 もう私に失言日記は要らない。


fin.