礼子(れいこ)は目の前に座る義理の娘に告げる。
朝美(あさみ)さん。申し訳ありませんが、我が息子、信長(のぶなが)とは離婚していただくことになりました」
 淡々と告げられた朝美は、静かに「納得ができません」と反抗した。
 落ち着いた色合いの縹色(はなだいろ)木綿地(もめんじ)に、桔梗(ききょう)が描かれた単衣(ひとえ)を纏う朝美は、上品で落ち着いた美しさを秘めた乙女だ。齢十五歳、陰陽師(おんみょうじ)家の名門、安和(あんな)家当主の次女である。

 しかし、少女というには、彼女は少々大人びているように見える。
 それは、彼女のもつ腰まで優しく波打つ黒い髪、凄絶(せいぜつ)なまでに美しい容姿、何かを見据えているような黒瑪瑙(くろめのう)の瞳、これらの醸し出す妖艶(ようえん)さゆえだろう。
 ()美だが、新月の夜を統べるような、美しい娘だ。
 そんな朝美に、礼子は無慈悲にもまた告げる。
「納得できるできないの問題ではありません。夫の言うことに従うことが、妻の仕事です」
「それを言うなら、夫の無事を願い、帰りを待つのも妻の仕事でございます、お義母様。旦那様はまだ、帰ってきておりません」
 礼子はその美しい顔を、わずかに歪ませる。
「それにわたしはまだ——旦那様に一度もお会いしたことがありません。会ってお話しするまで、わたしは離婚しません」
——それに、今離婚し、あの家に帰るのは嫌だ。
 嫌、と言うよりは不都合の方が正しい。膝の上に添えた手に、力が入る。
「‥‥‥無論、旦那様が"直接"出ていけと言えば出て行きます」
 その時朝美は、初めて礼子の顔を見た。朝美の瞳は、新月の夜のようで、見ていると吸い込まれていくような錯覚に陥る。
 礼子はその姿を見て、息を呑んでいた。
「ですが、お義母様、あなたはあくまで前当主のお内儀(ないぎ)(妻)であり、言うことを聞く義理はございません。お引き取りください。今の女主人はわたしなのです」
 そこまで言い切って、朝美は小さく息を吐く。
——お義母様と話すと息が詰まる。
 しかし、あの安和の家で叔母と話すよりは幾分気分が楽だと思った。
「まあ、どちらにせよあの子の気持ちは変わりませんよ」
「構いません。わたしは旦那様から直接、離婚の意思を聞きたいのです」
「‥‥‥そう、なら自由になさい」
 部屋を出ようとする礼子に、朝美は声をかけ引き止める。「待ってくださいお義母様。旦那様はどこにいらっしゃるのですか? 近いうちに帰ってくるのでしょうか?」
 礼子は一拍遅れて振り返る。相変わらず、彼女は楚々(そそ)とした魅力をもつ見返り美人である。「‥‥‥しばらくは、お会いになれません」
「何故ですか?」
「あなたは知らなくても良いことです」
「よいことではありません。先ほども言いましたが、わたしはこの命が尽きるまで、妻として旦那様に尽くすと決めているのです。わたしにも知る権利があります」
 それには何も反応せず、礼子は静かに部屋を出ていった。
 不意に、空いた障子戸から小夜啼鳥(さよなきどり)が入ってきた。朝美はその鳥に、何かを囁く。小夜啼鳥は天井付近を旋回したのち、部屋を飛び出した。