僕らは部活が終わった後に作戦会議をするようになった。部活のみんなとプラネタリウムを見に行ったあと、早月の最寄り駅近くの公園でブランコに腰掛けて話をする。
「例の会社から返信来たけど、未成年でも申し込みOKだってさ。ただ、値切り交渉はすごく粘ったんだけど無理だった。ごめん」
 宇宙葬の会社の人との英語のやり取りを見せた。値段を安くはしてくれなかったが、送金方法や手続きに関してはかなり丁寧に教えてくれた。
「うっわー、すごい長文! がんばってくれたんだありがとう!」
「それと、もう一個の方も申し込み通ったよ」
 スマホの画面を市が主催する出店料無料のフリーマーケットのチケットに切り替える。
 僕たちの学校はアルバイト禁止だ。宇宙葬の費用を稼ぐ手段は限られている。早月は去年の入院中に趣味でハンドメイドアクセサリーを作っていた。数もクオリティもなかなかだったので、これらを売る場所を手配しないといけない。元手は少しでも安く済ませたいので近隣の自治体のイベントを片っ端からチェックした。
「すごーい、こういうの初めて! 楽しみ!」
 早月の笑顔を見ると、僕も救われたような気がした。

 フリーマーケットの日、僕はレジャーシートを、早月は作ったアクセサリーを持って会場の大きな公園に集まった。指定のブースにレジャーシートを広げ、一つ一つ丁寧に並べていく。早月の作ったものは星がモチーフのものが多かった。
「早月は本当に宇宙が好きなんだね」
「うん。だから、絶対宇宙に行きたい」
 早月が陽の光にブレスレットの一つをかざした。透明なビーズがきらきらとプリズムを反射する。
「ロケットで行ったことがないくらい高くまで飛んで、青い地球を見下ろすの。それから、誰よりも速く、どこまでも遠く宇宙の果てまで行けたら素敵じゃない?」
 そう呟いた早月の横顔は美しくて、僕は気づけば見とれていた。はっとして、早月の言葉に返事をする。
「僕も素敵だと思うよ」
 僕は早月から目をそらした。
「すみません、これください」
 ちょうどいいタイミングで、女性二人組が僕たちのブースの前にやってきてブレスレットを二つ買ってくれた。かなり強気な値段での販売だったが、完売とはいかずとも売れ行きは好調だった。

 翌週の日曜日、僕たちはまた別の場所で出店した。僕らの家や学校からは少し離れた場所だが、交通費はそこまで高くなかった。
 前回売り切れなかった分のアクセサリーに加え、新たに作ったものもあるようだ。僕は少しでも力になれるようにと手書きのポップを用意した。
「昴って字可愛いんだね、なんか意外」
 僕の字はいわゆる丸文字だ。文字だけ見ると女の子っぽい、と言われるのがコンプレックスだったが、こういう場では活かせると思った。しかし、気恥ずかしいものは気恥ずかしい。
「男に字可愛いは誉め言葉じゃないっての」
「えー、褒めてる褒めてる。すっごい褒めてる」
「なら、一応ありがとうって言っとくよ」
 早月に褒められるなら、悪い気はしない。
 今回のフリーマーケットは前回よりも参加者の年代が若かった。中学生か小学校高学年と思われる女の子がハートのネックレスを見ている。買うか迷っているようだ。付き合いで来たように見える気の強そうな友達は暇そうにしていたが、突然僕たちに話しかけてきた。
「お兄さんとお姉さんって付き合ってるんですかー?」
「えっ」
 早月が面食らっている。僕も動揺を悟られないようにふるまったが、内心焦っていた。
「ちょっと、やめなよ!」
「だってー、あんたが遅いからでしょー」
 商品を見てくれていた女の子は気まずそうにしていた。このままでは貴重なお客さんが帰ってしまう。
「そうですよ。ここのアクセサリー全部、彼女が作ったので買ってくれると僕も嬉しいです」
 女の子たちがキャーと大袈裟に黄色い声を上げた。何人かが振り返った。旅の恥は掻き捨てだ。僕は開き直った。彼女はgirlfriendだけでなくsheと言う意味もあるから、と心の中で自分に言い訳をした。
「惚気やばーい! えー、じゃあハートとかガチでご利益ありそうじゃーん! 買いなよ、恋愛成就ネックレス!」
「ちょっと……声大きいよ!」
 そう言いながらも、ハートのネックレスに恋愛成就の効果があると勘違いした子は結局買ってくれた。お友達が大声で騒いでくれたおかげで近くにいた何人かの目に留まり、彼女たちも買ってくれた。
「ごめん、嫌だった?」
 お客さんが途切れたところで一応謝った。僕は学校ではチャラいキャラで通っているので、こういうことには抵抗がないが早月は箱入り娘なところがあるので困惑しているかもしれない。
「嫌だったら恋人のふりしてなんて頼まないよ」
「じゃあ、嘘も方便だな」
 僕たちは顔を見合わせて笑った。今回も売れ行きは好調、次回には完売するだろう。

 学校では、いつの間にか早月を目で追うようになっていた。早月とは違うクラスだけれど、校庭で早月のクラスが体育をやっている時間帯は窓の外を見るようになった。見学率はおおよそ半分。見学中、彼女は空を見ていた。空のかなたに焦がれているように見えた。
 今日も部活だ。部室までの廊下の壁には陸上部の勧誘ポスターの枚数が増えていた。中等部の頃から男子陸上部は人数不足に悩まされていたことを思い出す。部活のポスターに紛れて一枚、選挙委員からのお知らせが紛れていた。
「生徒会長選、ダメ元で出ようかと思ってる」
 受験に影響が出ないように、生徒会長は代々二年生が務めることになっている。出馬締め切りは三学期のはじめだ。
「えっ、なんで?」
 僕が報告すると早月は驚いていた。
「バイト禁止の校則、変えた方が早いかなって思って」
 僕は生徒会長になるような真面目な人間とは認識されていない。しかし、お調子者キャラとして好かれてはいるので面白半分に色物枠の僕に投票してくれる人もそれなりにいるだろう。それに、アルバイト禁止の校則撤廃を公約に掲げれば賛同者も多いはずだ。
「えー、いいよ。そこまでしなくても。バイト、お母さんが許してくれなさそうだし」
 僕としては名案のつもりだったが、良くなかったようだ。
「入院してた時にね、退院したらバイトしようかなーって言ったら、ほしいものだったらお母さんが買ってあげるから、早月は好きなことだけしなさいって。普段は早月は絶対に治るから弱気になっちゃダメって言うし、死んだ後の話とか完全にタブーになってるんだけどさ、お母さんも私が死ぬことわかってるんだろうなーて感じ」
 しまった。地雷を踏んでしまった。
「まあ、お母さんには色々苦労かけちゃったのに、家族のお墓じゃないとこに行こうとしてる親不孝者だからさ、せめて宇宙葬の費用くらいはちゃんと自分のお金から出そうかなって」
 早月は無理して笑っているように見えた。僕の方が泣いてしまいそうだった。
「早月は親不孝者じゃないよ。子供が夢を追いかけてる姿、親から見たら誇りに思えるんじゃないかな」
 病気は絶対治る、なんて無責任なことは言えなくて、親不孝の部分にだけ反論した。早月は優しい人だから、家族や友達に迷惑をかけないように、悲しませないようにという意識が強い。
「なんて顔してるのさ。やっぱり昴は優しいよね。人のこと全部、自分のことみたいに考えてくれるっていうかさ」
「優しくないよ。僕、昔友達にひどいことしたことがあるんだ。頼ってくれた子を、突き放したんだ」
 いつの間にか僕が懺悔していた。僕もわからないよ、僕には何もできないよ、そう言って僕は隼兎を絶望に突き落とした。
「昴は優しいよ。その子も昴に救われてたと思うよ。昴に助けられた子はたくさんいる。自分のために泣いてくれる子がいるって事実だけで、その人の人生の支えになるんじゃないかな」
「早月がそう言ってくれるなら、そうなのかな」
「そうだよ! 絶対そう! お墨付きってやつ!」
「これじゃ、どっちが相談乗ってもらってんだかわかんないな。やっぱり、早月には敵わないや」
 早月には敵わない。そう言わせるようなオーラが早月にはある。だから僕は早月の頼みを断れなかったのかもしれない。そうぼんやり思った。
「あのさ、昴。私ね……」
 早月が何かを言いかけたところで、二年生たちが部室に入ってきた。
「あっれー、一年ズ早いねー!」
「ちょうどよかった、品評会やろうとしてたの! “ゲテモノポテチ”の新作三種類食べ比べ!」
「昴はスタッフがおいしく完食しました係な!」
「さっちゃんも食べるー? 無理はしなくていいけど」
 一気にまくしたてられた。僕は自分の中でスイッチを切り替える。
「勘弁してくださいよー! 職権濫用反対! 後輩いびり、ダメゼッタイ!」
 へらへら笑いながら答える。
「えー、納豆イチゴ味ってやばすぎー! 逆に楽しみですよー! ってことで、昴も強制参加ね!」
 早月もニコニコ笑いながら答えた。早月は先輩にもものおじすることなく馴染んでいる。元々僕よりも先輩たちといるときの方が楽しそうに見えたが、今は少しそれにもやっとした。
「ほらー、さっちゃん参加してるんだから、昴も男気見せろよ!」
「しゃーないっすね! いざ尋常に勝負!」
 先輩が来る前、早月は何を言おうとしていたのだろう。結局それは聞けずじまいだった。

 冬用のコートが必要になり始めるころ、アクセサリーがついに完売した。目標額には届いていないが、一つの節目だ。僕たちはハイタッチを交わした。手元なんてみなくても息が合い、パチンと軽やかな音が冷たくなり始めた冬の空気の中にこだました。
 本格的に冬になるとフリーマーケットの数が減るし、出店無料の場所はこの近隣では見当たらなかった。これから別の方法で軍資金を稼いでいくことになるが、作戦会議の前にまずはお祝いだ。フリーマーケット終了後、僕らは公園のベンチに腰掛けて水筒を掲げて乾杯をした。
 少し離れた場所で鬼ごっこをしていた子供たちがどこかに行ったのを見て、早月が呟いた。
「私も鬼ごっこしたいなー」
 そう言うなり、早月は立ち上がって手慣れた様子でストレッチを始める。
「走っても平気なの?」
「今日、調子いいんだ。体育も半分くらいは出てるから」
 言われてみれば、先週はダンスの授業に参加している姿を見た気がする。
「ってなわけで、付き合ってよ。私、あんまりまともにやったことなくて」
 子供のころからずっと入退院を繰り返してきたのだろうか。そこまで踏み込んでいいかわからず聞けなかった。
「いいよ。付き合うよ」
 僕も立ち上がった。
「ちゃんと準備運動しないと、肉離れしちゃうよー」
 そう言っている間もずっと早月は体を動かしている。女子相手の遊びで本気を出すつもりはないが、真面目な性分ゆえ僕もしっかりと準備運動をした。準備運動で体が温まった早月はコートを脱ぐと、ベンチに畳んで置いた。僕もその隣にコートを畳んだ。
「じゃあ、十秒数えてから追いかけるよ」
「数えなくていいよ」
 早月は一言だけそう言うと、走り出した。
 早月が走り出した瞬間、風が吹き抜けた。みるみるうちに加速していく。今まで見たどんな走りよりも綺麗だった。早月のポニーテールが揺れていた。
 僕も走り出した。女子相手だから手を抜こうかと思っていたが、最初の加速を見ただけで女子としては信じられないくらい速かったので僕も本気で走った。一瞬、早月との距離が縮まったので腕を伸ばしたが、早月がまた加速した。そのままどんどん僕と距離を広げていく。遠ざかる背中をひたすらに追いかけた。
 ポニーテールが軽やかなリズムに乗って揺れていた。こっちおいで、捕まえてごらん、手加減いらないから。いつもの悪戯っぽい声で僕をからかうように揺れていた。僕は全力で走った。早月の背中はどんどん遠ざかった。
 僕の百メートルタイムは十二秒フラット。クラスで一番速いわけではないが、昔取った杵柄は完全に錆びついてはおらず運動部男子と比べても遜色ないスピードだ。早月はスニーカーと動きやすいボトムスを履いてはいるが、それは僕も同じだ。しかも早月は今日の売り上げを入れたウェストポーチをつけているから僕よりも不利なはずだ。なのに、全然追いつける気がしない。
 夕焼けの中、遠ざかるポニーテールが揺れていた。不思議な気分だった。世界中の音がなくなったように何も聞こえなかった。地面がなくなって宙に浮いているような気持ちだった。もしも宇宙空間を走ったらこういう感覚なのだろうか。早月はまるで流れ星のようだった。

「ダメだ! 降参!」
 結局僕は最後まで早月に追いつけなかった。僕は寝転んで空を仰いだ。早月が僕のところまで引き返して、隣に寝転んだ。
「昴、速いね。追いつかれるかと思った。本気で走れて楽しかったー」
 今、体育は男子は体育館で柔道、女子は外でダンスをやっている時期だ。確かに、ダンスではこの足の速さは活かせないだろう。
「小学生って鬼ごっこするじゃん? ゲームとして成立しないからって、すごいハンデつけさせられてさー」
 そういえば僕も小学校の時は、ダントツに足が速かったからと色々と制約をつけられていた気がする。
「まともにやったことないって、そっちの意味かよ」
「病気になったの中学の時だからさ、それまでは毎日走り回ってたんだよねー」
 夕日が落ちていく中、寝ころんだまま早月が言った。



 女の子に負けるのは五年ぶり、人生で二回目だ。
 小五の夏休み明け、僕は運動会の縦割りリレーの五年三組代表に選ばれた。一年生から六年生までの各クラスの男女一人ずつがバトンを繋いでいく運動会の花形競技だ。
「一番速い奴がアンカーやるべきだろ、僕と勝負しろよ」
 走順に規定はなかったので、僕は六年三組代表の男子に喧嘩を売った。もう彼の顔の顔も名前も覚えていない。僕より遥かにがっしりした体型のアメリカ人の同級生よりも僕は速かったから、上級生相手でも勝てると思った。隼兎の一件がある前だったので、あの頃の僕は無敵感に満ち溢れていた。
「だってよ」
 彼は六年三組の女子にアイコンタクトをした。彼女の顔も名前も覚えていない。正確には後ろ姿しか覚えていない。
 僕、六年男子、六年女子の三人で走った。僕は負けた。男子の先輩には勝ったが、女子の先輩に負けた。実力差をはっきりと見せつけられ、何度やっても同じ結果になると悟った僕は再戦を申し込まなかった。挫折しらずの人生で初めての敗北だった。
 彼女がアンカー。僕が最後から二番目。当日、僕は最下位でバトンを受け取った。所詮小学校の運動会なのでバトンパスの練習は週1回昼休みに行うだけだったので、三年生がバトンパスに失敗して大幅に後れを取った。僕は一人抜いて彼女にバトンを渡した。僕たちのバトンパスはうまくいった。彼女が二人抜いて三組は逆転優勝した。
 運動会はすさまじく盛り上がったが、隼兎が転校してしまって無力感でいっぱいだった時期なので僕にとってはすべてが他人事に思えた。



 人生で初めての敗北を喫したあの日、僕は悔しいと思った。負けたことが恥ずかしくて、誰にも言えなかった。学校では泣かなかったけれど、いろいろな感情が入り混じって布団の中で泣いた。
 けれども今は不思議と清々しい気分だ。早月はこんなに足が速いんだと誰かに教えてやりたい気分だった。
「次は負けないからな」
 早月との“次”がある未来をこの瞬間、僕は信じていた。紫がかった空に一番星が見えた。冷たい風が気持ちよかった。
「あっ、流れ星」
 早月は僕の宣言に答える代わりに空を指さした。ポニーテールのような尾をひいて、流れ星が遥か遠くの地平線へと駆け抜ける。早月みたいに綺麗だと思った。

 僕はあれから早朝に近所のランニングを始めた。僕の家は学校からだいぶ遠いので、陸上部の友人に見つかって勧誘が激しくなる心配もない。このついでに僕だけでも新聞配達をすれば一石二鳥じゃないかと思い、いよいよ本格的に生徒会長選挙への出馬も考え始めた。
 残念ながらリベンジマッチのチャンスはなかなか訪れなかった。登下校中は二人ともローファーを履いているから本気で走れないし、休日に二人で会うこともなくなったからだ。
 冬休み、天文部のクリスマス会に早月はヒールのあるブーツでやってきた。雲一つない星が綺麗な夜だった。帰り道で二人きり。僕も早月の最寄り駅で降りて家の近くの角まで送ってから一駅帰るのはいつしか当たり前になっていた。
「星、綺麗だねー!」
 とびっきりの笑顔で早月が夜空を仰いだ。トクンと心臓が鳴った。
「宇宙、行きたいなあ」
「一緒に行こうよ」
 思わず口を出た言葉に自分でも驚いた。反射的にそう言ったけれど、まぎれもなく僕の本心だった。早月の病気が治って、二人で宇宙旅行に行ける世界線。そんな未来があったらどれだけ幸せだろう。
「えっ、昴、私と心中するつもり? 重いんだけど」
 冗談めかして早月が言った。重いって、それ早月が言うのかよ。そんな言葉をぐっと飲みこんだ。客観的に見ると信じられないくらい重い要求をされているのだけれど、僕にとっては負担ではなかったから。
「おいっ、茶化すなよ。僕、こう見えて怒ると怖いって言われてるんだからな」
 代わりに僕もおちゃらけた口調で言い返した。ふざけるのは僕の専売特許だ。
「ごめんごめん、冗談だから怒らないで」
「僕は冗談のつもりじゃないけどね」
 今日は聖夜だ。部内のプレゼント交換でお互いが用意してきたプレゼントは全然違う先輩にあたってしまった。個人的なプレゼントなんて用意してきていない。君は時々遠慮しいで物欲がないから、何をあげたら喜ぶのか全く分からなかった。
 だから、代わりに僕は約束をする。
「約束するよ。必ず君を宇宙に連れていく」
 言った後、クサかったかなと思う。しかし、早月は茶化すことなくあふれんばかりの笑顔で答えた。
「ありがとう」
 僕はその笑顔にただただ目を奪われていた。