――ピピピ……と、部屋の隅で電子音が鳴った。

 もう朝か、なんて思いながら瞬きをして、徐々に意識を覚醒させる。

 琉夏はもう、私に腕を回してはいなかった。
 私が動いたのか、琉夏が動いたのかはわからないが、いつものようにくっついてすらいない。

「……おはよう、琉夏。」

 欠伸を噛み殺して、琉夏に挨拶をする。
 いつもならすぐにおはようございます、と返ってくるのに、今日はなにも聞こえてこない。

「……琉夏? 朝だよー?」

 身体を起こして、琉夏の方を見る。
 琉夏は目を閉じたまま、まだ起きていないようだった。
 珍しい。私が呼ぶと、すぐにスリープを解除していたのに。

「琉夏ってば、起きてよ。」

 とんとん、と肩を叩いても、少し揺すってみても、琉夏は動かない。
 ……少し、様子がおかしいのではないだろうか。

 充電切れ――なんてミスは侵さないだろう。
 けれどこれは間違いなく、スリープ状態ではない。
 目を閉じているだけ、なんてわけもなく、明らかに、起動していないように見える。

 ……起動していない?

「――琉夏!?!?」

 慌てて布団を捲り、琉夏の様子を伺う。
 やっぱりぴくりとも動かない琉夏が、昨日書いた楽譜を抱いていた。
 何だか嫌な予感がして、そっと琉夏から楽譜を取り上げる。

 何枚も束になった楽譜の、一番最後のページ。の、裏。
 琉夏の丸っこい、可愛らしい文字で、たった2行、何かが書かれていた。

 ――自分でシャットダウンしました。

 ――ごめんなさい。

 自然と手の力が抜けて、楽譜が膝の上に落ちた。
 更にその上に、水滴が落ちる。

「何で……!」

 琉夏は、私を選ばなかった。
 1日の猶予すら拒んだ。

 昨晩の琉夏の言葉の意味を、ようやく理解する。

『――アンドロイドは、()()()()んです。』

 迷えない。
 琉夏は初めから、私を選ばないことを決めていたんだ。
 決めていたのに、私のために、今まで一緒にいてくれていたんだ。

 なのに私は思いあがって、1人で勝手に恋をして――
 ――そうだ。私は、恋をしていた。
 本当の本当に、琉夏が好きだった。
 見知らぬアンドロイドを、人間ですらない彼を、愛してしまっていた。

 きっと琉夏は、それに気づいていたのだろう。
 気づいていたから、ずっと一緒にいてくれたのだろう。
 自分は、琉莉さんだけを愛していたのに。

 水面のように揺れる視界。
 楽譜の上にしみが増えていくのが、かろうじて目に入る。
 慌てて、楽譜を払った。

 たった1夜で、これは私の宝物になっていて。
 私はこれを、濡らしたくなかった。

 パラパラっと散った紙のうち1枚が、琉夏の顔にかかった。

 琉夏は私のために、一緒にいてくれたのだろう。
 けれどそうならば、私のためならば、どうせこうなるのなら。
 あと1日くらい、一緒にいてくれてもよかったじゃないか。

「……琉夏のせいだよ?」

 昨日琉夏が心配していたように、今日、遅刻するよ?
 もしかしたら、休むかもしれないよ?

 どうせこうなるのなら、なるべく長く、一緒にいたかった。
 せめてありがとうと、好きだよ、と伝えたかった。

 ――ごめんなさい。

 なんて、事後報告されても、困るよ。
 許すしかないじゃないか。
 それとも私は、一生怒りを抱えて生きていくのか。

「――ごめん、こっちこそ、ごめん……!」

 どうして私の思考は、こんなに自分勝手なのだろう。
 どうしてこんな、自己中な理由だけで泣いているのだろう。

 やっぱり私が思った通り、人間とアンドロイドの違いは『涙』だ。
 やっぱり琉夏の言う通り、人間とアンドロイドの『思考』は違うみたいだ。

 だって琉夏なら、こんな自分勝手な理由で泣いたりしない。
 だって琉夏なら、こうやって琉夏を責めたりしない。

「ごめん、ごめん――!」

 ごめん、と何度謝っても、もう琉夏には届いていなくて。
 琉夏に言いたいことも、琉夏に届けたい思いも、空中に散って、あやふやになってしまいそうだ。

 涙も謝罪も止まらないまま、息が上がっても、止まらないまま。

 別のページに、もう1行。

 ――大切な人の記憶を、2人分保持したまま死ねるアンドロイドなんて、贅沢ですね。

 そう書いてあることに、私は気づかず泣き続けた。