アンドロイドは迷えない

 SHRが終わるなり教室を出て、早足で通学路を歩いた。
 買い物に行くなら早く帰らなくてはいけないし、なにより琉夏を待たせている。
 そう思うと、のんびりしていられない。

 駆け足気味に山を登って、屋敷の前に着いた。
 今日はちゃんと整備された道を登ってきたから、昨日程は疲れていない。
 差し込んだ鍵を回して、重い扉を開く。

 「ただいまー!」

 近くにいたら聞こえるかな、と大きな声を出してみる。
 琉夏はどこにいるのだろうか。
 適当に待っていてとは言ったが、何をしているのか全く見当がつかない。

 探そうとすると、少し先でドアが開いた。
 出てきた琉夏は、私の顔を見てにこりと笑う。

 「おかえりなさい、心優さん。」

 「ただいま。何してたの?」

 近づいてきた琉夏にもう一度挨拶をしてから、首を傾げて聞く。
 琉夏が出てきたのは客室だ。特に面白いものはないと思うのだが。

 「掃除をしていました。勝手にすみません。」

 「ええ、こちらこそごめん、ありがとう。」

 すぐに答えた琉夏は、申し訳なさそうに眉を下げて謝った。
 昨日は客室は掃除しなかったから、やっておいてくれたのだろう。

 「他の部屋も、いくつかしたのですが……ご迷惑でしたか?」

 「ううん。すごく助かるよ! ありがとう。」

 正直に答えると、琉夏は安心したように、柔らかく笑った。
 綺麗な黒い髪に、小さなごみが付着しているのが目に入る。
 ちょっとごめん、と断ってから、琉夏の髪を梳いた。

 「もういいよ。」

 「……あ、ありがとうございます。」

 ごみがちゃんと取れたのを確認して、琉夏から手を離した。
 ぽかんとしていた琉夏は、私が摘まんだごみを見て察したようで、慌てて礼を言った。

 「髪は触覚がないので、気が付かないんです。すみません。」

 「そうだね。」

 琉夏は照れたように、細い指先で頬を掻いた。
 人間と同じように触覚を持っていて、その仕草だって、人間のようだ。

 こうしていると、琉夏を人間と間違えそうになることがある。
 まだ1日しか一緒にいないのに、既に何度も。

 これは、よくあることなのだろうか。
 それとも私が、アンドロイドに慣れていないだけだろうか。
 このまま2人で過ごしていれば、いつか琉夏をアンドロイドとして見れなくなってしまうのではないか――なんて。

 「どうか、しましたか?」

 「ううん、何でもない! 買い物行かないとね、準備してくるよ!」

 私がぼーっと琉夏の顔を見つめていたせいで、心配されてしまった。
 着替えてくるね、と一声かけてから、クローゼットへ向かう。
 琉夏はまだ不思議そうにしていたけれど、「わかりました。」と返事をしてくれた。




 一番近くのスーパーに行って、色々食材を買ってきた。
 オムライスの材料だけではなく、3日分くらい。

 同級生に会ったらどう説明しようかと思っていたが、幸い知り合いには遭遇しなかった。
 琉夏は買い物にも慣れている様子で、1人の時より楽に買い物ができた。
 
 荷物も殆ど持ってもらったし、今も琉夏が料理をしていて、私は呑気に課題をしている。
 手伝いたかったのだが、琉夏の手際があまりにもよくて何もできなかった。

 琉夏の様子を伺えるよう、何かあればすぐキッチンへ行けるよう、一応ダイニングで勉強している。
 そうは言っても琉夏はアンドロイドだ。ミスはしない。
 
 学習用のタブレット端末から顔を上げ、キッチンの方に目を向ける。
 琉夏はフライパンを使って、食材を炒めているようだ。
 任せっきりで、何だか申し訳ない。

 洗い物は私が頑張ろうかな、と決めて、再びタブレットに向き直る。
 まずは課題を終わらせなくては。

 英語は終わったのだが、数学の問題数が多い。
 得意な範囲だから苦戦はしないと思うが、数が多いと骨が折れる。

 なるべく琉夏と話したりしたいし、琉夏が料理をしている間に終わらせておきたい。


 「――心優さん。」

 「わっ……びっくりした。」

 暫く集中して取り組んでいると、いつの間にか隣に琉夏が座っていた。
 驚いて顔を上げると、琉夏は私を見てくすりと笑った。

 「熱心ですね。」

 「ごめん、早く終わらせたくて……。」

 柔らかく微笑んだ琉夏は「ご飯できましたよ。」と教えてくれた。
 手際がいいから早いのだろうなと思いながら、「ありがとう。」と礼を言う。

 「終わりそうですか?」

 「丁度終わったよ。」

 タブレットカバーを閉じると、琉夏はキッチンへ戻っていった。
 すぐにダイニングに戻ってきて、私の前にお皿を置いてくれた。

 「お疲れさまでした。どうぞ。」

 「ありがとう。……美味しそう!」

 お皿の中央にはふんわりとしたオムライスと、それに添えられたサラダが乗っている。
 黄色い卵の上には、ケチャップで猫の絵が描いてあった。

 「可愛いねこれ。すごい!」

 「ありがとうございます。」

 湯気の立つスープの器を置いて、琉夏は私の前の席に座った。
 野菜が沢山入っているスープも、かなり美味しそう。
 美味しそうな上に可愛くしてあるなど、どれだけ料理が得意なんだ。

 「琉莉が、猫好きなんですよ。カフェで猫のラテアートを頼んでいたので、真似してたんです。」

 「真似でこれできるって……すごすぎるよ。」

 型でも使ったのかな、と思う程綺麗な猫型。
 アンドロイドだからできるのだろうか。それとも、琉夏だからできるのだろうか。

 「ありがとうございます。どうぞ、召し上がってください。」

 「ありがとう。いただきます。」

 手を合わせてから、スプーンを持つ。
 オムライスを1口分取ると、本当に中身が白色だった。
 すごく違和感があるな、などと思いながら、口に運んでみる。

 「どう……ですか?」

 私が飲み込んだのを見て、琉夏が様子を伺ってくる。
 オムライスを見ていた視線を琉夏に向け、感想を伝えた。

 「美味しい……すごく美味しいよ!」

 「美味しいですか! 嬉しいです。」

 言葉の通り、琉夏は嬉しそうに笑った。
 本当に美味しい。
 初めて食べたが、普通のオムライスと同じくらい――いや、それより美味しいかもしれない。

 「マヨネーズだけじゃなくて胡椒効いてるの、好きかも。」

 「そうですか!? 琉莉が『何か物足りない』って言って、2人で試行錯誤したんです。」

 もう1口食べて言うと、琉夏はますます嬉しそうに顔を輝かせた。
 マヨネーズの風味や、玉ねぎが少し大きめに切ってあるのも美味しい。
 味わいながらもう一度「美味しいよ。」と言う私を、琉夏は嬉しそうに笑って見ている。

 「琉莉さんも料理得意だったんだ?」

 「いえ、琉莉は料理できませんよ? 琉莉が食べて、感想を基に僕が改良していたんです。」

 「そっか。」

 琉莉さんは食べる専門だったのか。
 何気なく聞いておいてようやく、琉夏には味がわからないことに気が付いた。
 
 食事ができない。物を口に含むことはできるが、飲み込めない。
 味覚もない。誤飲を防ぐために搭載されなかったらしい。

 あんなに楽しそうに料理をするのに。
 あんなに嬉しそうに琉莉さんと食事を話してくれるのに。
 こんなに嬉しそうに、食べている私を見ているのに。
 こんなに嬉しそうに、私の感想を聞くのに。

 私はこれを“琉莉さんとの思い出の味”と言ったけれど。
 琉夏にはそれが、わからないんだ。

 琉夏は、どこまでも人間らしくて。
 人間と同じように触覚があって、人間と同じような仕草をする。
 けれどやっぱりアンドロイドで、人間とは違うんだ。
 今日も学校が終わるなり、早足で帰ってきた。
 ここまで早く帰りたいと思ったことなんて、初めてな気がする。

 琉夏を1人にしておくことに不安はない。
 ただ、私が琉夏と一緒にいたかった。

 今日は、琉夏は何をして待っているだろうか。
 何か面白い本でも借りてくればよかったかな。

 などと思いながら、屋敷のドアを開けると――

 「……ピアノ?」

 ピアノの音がした。
 綺麗で、軽快で、しかしどこか力強い、流れるような旋律。
 ずっと無音だった屋敷中に、音楽が響いている。

 懐かしい。別の曲だが、おばあちゃんはピアノをよく弾いていた。
 ここに来ると、大抵こうして綺麗な音が響いていた。
 重厚で、けれども暖かいその音色が、大好きだった。

 琉夏が弾いているのだろう、ならばどこにいるかはわかる。
 荷物を置いて、奥の方の部屋に向かう。
 どんどん進んでいく音が、よく聞こえるようになっていく。

 ピアノのある部屋は、ここだ。
 ここも掃除しなかったが、昨日掃除してくれていたのだろうか。
 ドアを開けると、演奏が止んだ。

 立ち上がった琉夏が、私の方を見て微笑む。

 「心優さん、おかえりなさい。」

 「ただいま。ピアノ弾くんだね?」

 ピアノの横まで行きながら、少し首を傾げて見せる。
 琉夏は照れたように笑って頷いた。

 「すみません、勝手に。」

 「何でもしていいって言ったよ? それに、私もピアノは好きなんだ。」

 琉夏の弾く曲が何かはわからないけど、気に入った。
 おばあちゃんのものとは全く違う音色だが、暖かくて、落ち着く。

 「ありがとうございます。」

 「琉莉さんがピアノ弾けたの?」

 「琉莉は、子供の頃にピアノを習っていたそうです。」

 私が聞くと、琉夏は嬉しそうに頷いた。

 「家にもキーボードがあって、よく弾いて聞かせてくれました。ピアノを直接見たのは初めてで、つい弾いてみたくなってしまって。」

 「流石にマンションじゃ、ピアノは弾けないもんね。」

 そう広くない所なら、サイズ的にも音量的にも厳しいだろう。
 それでもキーボードを弾くほど、琉莉さんはピアノが好きだったのか。

 「琉夏も、それを聞いて覚えたの?」

 「いえ。琉莉が連弾をしてみたい、と言って、そのために僕も楽譜を読んで覚えたんです。」

 琉夏は懐かしむように目を細めて笑う。
 やっぱり、恋する青年のような、優しい表情。

 「2人で弾くには、かなり窮屈だったんですけどね。楽しかったです!」

 「連弾かぁ。いいね。」

 琉夏は柔らかい表情で、そっと鍵盤を撫でた。
 本当に、彼は琉莉さんのことが好きだな。
 琉莉さんとの思い出が沢山詰まっているから、こんなに暖かいんだ。

 「楽しいですよ。おすすめです。」

 「確かに、楽しそうだね。」

 少し離れた場所にある椅子のところまで行き、ピアノの方に向けて座る。
 琉夏に目を向けると、琉夏は不思議そうに首を傾げた。

 「もう1回、さっきの曲弾いてくれない? 私はここで聴いてるから。」

 「わかりました。」

 琉夏はもう一度ピアノ椅子に座って、両手を鍵盤に添えた。
 少しの間の後、音が鳴り始める。

 さっき聞いたのと同じ、優しい音色。
 長調のメロディーに合わせて、琉夏の指が鍵盤の上で踊る。
 楽しそうで軽い、けれども力強い旋律。

 琉夏は微笑を浮かべて、薄く開いた水色の目で鍵盤を見つめている。
 幼いような、大人びているような、整った綺麗な顔。
 優しい温もりを持っていて、キラキラと輝いている、朝の水面のような瞳。

 曲も、弾いている琉夏自身も、楽しそうで、愛おしい。
 綺麗で、どうしようもなく大切なものに思えてしまって――つい、手を伸ばしたくなってしまう。
 近くでじっくり聴いても、やっぱり暖かい、素敵な音だ。

 この曲には、どれほどの想いが詰まっているのか。
 琉夏は今、何を思ってそれを奏でているのか。

 到底知れないものを、知りたい、と思ってしまう。
 聴きたいと思ってしまう。

 ――……。

 じっくりと聴き入っていると、最後の1音が鳴り、琉夏の指が宙に浮く。
 両手を降ろした琉夏は、身体ごとこちらを向いた。

 「やっぱり、すごく素敵な曲。何て言うの?」

 ぱちぱちと拍手をしてから、琉夏に問いかける。
 こんなに素敵なのに、聴いたことのない曲。
 琉夏は少し考える素振りを見せてから、困ったような顔をした。

 「わからないんです。……琉莉は、教えてくれなかったので。」

 「そうなんだ?」

 少し悲しそうに答える琉夏も、曲名が知りたかったのだろうか。
 聞いても答えてくれなかったのか、そんな話にならなかったのか。

 「僕は、この曲が好きです。なのにこの曲のことは……何もわからないんです。」

 「そうなの?」

 琉夏は鍵盤に手を添えて、ますます悲しそうな顔をした。
 白鍵を押してしまったようで、ぽーんと、1つ音が鳴った。

 「初めて、琉莉にこの曲を聞かせてもらった時、琉莉に買ってもらった日、すぐに好きになりました。でも、何も言えなかったんです。ただ、すごいとしか。」

 「最初なら仕方ないよ。」

 勿論アンドロイドなのだから、起動したばかりでも、何も知らないわけではない。
 大人の人間くらいの知識は供えられているし、感情を表す言葉だって知っている。
 けれど、その言葉と感情が、結びつかないのだ。

 「今なら、好きだって言えるんですけどね。それでもまだ、この曲の魅力をどう表現するかは、わからないんです。」

 琉夏は困ったように眉を下げて、じっと鍵盤を見つめている。
 反対の手で、無意識に左胸を押さえていた。

 「……わからなくても、いいんだよ。」

 「ですが、わからないと――」

 「いいんだよ。」

 驚いたような、焦ったような顔で私を見た。
 きっと琉夏はその時、琉莉さんにちゃんとした感想を伝えたかったんだろう。
 どうしようもないほど好きな気持ちを、わかってほしかったのだろう。

 「感想や思いは人それぞれだから、いいんだよ。私もこの曲が好きだけど、私が感じたことは、きっと琉莉さんとも、琉夏とも違う。共感もしてもらえないかもしれない。けど、ちゃんと好きなんだ。」

 「それに、」と私が続けると、琉夏は開きかけた口を閉じた。
 何を言おうとしたのか気になるけど、先に言っておくことにする。

 「今でもわからないのは多分――自分でも把握できないくらい、大好きだからだよ。」

 琉夏は数度瞬きをして、ゆっくりと私の言葉を飲み込むように、目を閉じた。
 再び開いた水色の瞳が、じっと私の目と合う。

 「そう、なんですか……。心優さんは、まだ学生なのに、物知りですね。」

 「そんなのじゃないよ。私もこれは、最近気づいたから。」

 柔らかく微笑んだ琉夏に言われ、首を横に振った。
 自分の口角が上がっているのを感じる。

 勿論、琉夏の気持ちだってわかる。最近、本当につい最近、感じ始めた。
 自分の好意を理解できない、言葉に表せない、というのは、中々不便なものだ。

 本当に、この身に余る感情は、どこへ持っていけばいいのだろうか。
 「――さん、心優さん!」

 意識の遠くで、そう私を呼ぶ声がした。
 少し低くて、優しい声が耳元で聞こえる。
 アラームが鳴るより先に、そうして私は覚醒した。

 「うぅん、どうかしたの……?」

 重い瞼を持ち上げて、視界を開く。
 目の前――鼻先が触れそうなほどすぐ間近に、琉夏の綺麗な顔があった。

 「――きゃぁあ!?」

 驚いて変な声をあげてしまった。
 ばっと起き上がって離れようとすると、ベッドから落ちそうになる。
 慌てた琉夏に、後ろから抱き留められてしまった。

 「大丈夫ですか!?」

 「ごめん、大丈夫……。」

 いつも通り背を向けて寝たのに、目の前に琉夏がいて驚いてしまった。
 そりゃあ寝返りを打つこともあるし、琉夏はぴったりくっついているのだから、こうなることだってあり得る。
 何をしているんだ私は。過剰に驚いて、琉夏を心配させてしまった。

 「本当に、大丈夫ですか? 顔をぶつけたりしてませんか?」

 「してないよ。……大丈夫だから、ちょっと離してほしいなぁ、なんて。」

 ぎゅっと抱きしめたまま顔を覗き込んでくる琉夏に、顔を見ないまま頼む。
 顔が赤くなっている気がして隠しているだけで、どこもぶつけていない。

 「わかりました。驚かせたようで、すみません。」

 「大丈夫。過剰に驚いちゃったね、ごめん。」

 琉夏がそっと手を離してくれたので、ベッドから降りてスマホを手に取る。
 時刻は6時45分。スマホの画面を消して、琉夏の方に目を向けた。

 「ところで、どうかしたの?」

 「起きなくて大丈夫なのかな、と思いまして……。」

 「ああ、ごめんありがとう。」

 確かに、私はいつも6時半に起きている。
 今日はアラームも鳴らず、私も一向に起きなかったから、遅刻を心配してくれたのだろう。

 「今日は土曜だからいいんだよ。学校休みなんだ。」

 「そうだったんですか。起こしてしまってすみません。」

 私が笑ってスマホの画面を見せると、琉夏は申し訳なさそうに謝った。

 「いいよ。起こしてくれてありがとう。」

 言いながら窓の方へ行って、カーテンを開ける。
 大きな窓から光が差し込んで、部屋中が明るくなった。

 「早起きした方が、琉夏と沢山話せるしね。今日は何しようか!」

 「そう、ですね。おはようございます!」

 私が問いかけると、琉夏は思い出したように挨拶をしてくれる。
 私もニコリと笑って、「おはよう!」と返した。





 ――軽やかなピアノの音が響く。
 大きめの窓から入ってきた風が、音を拾って逃げていった。

 今日も琉夏は、昨日と同じ曲を弾いている。
 私が聴きたいと頼んだからだが、本人も楽しそうだ。

 私と話している時も、買い物をしている時も、掃除をしている時も、琉夏は楽しそうに微笑んでいる。
 それでもやっぱり、今が一番楽しそうに見える。

 それだけ、この曲が大好きなのだろう。
 琉夏がこの曲を愛しているから、こんなに素敵で、暖かい曲になるのだろう。

 演奏が終わり、琉夏が鍵盤から手を離す。
 私はすぐに、パチパチと手を叩いた。

 「……やっぱり何度聞いても素敵な曲。琉夏が弾くから、こんなに素敵に聴こえるんだろうね。」

 「それなら、琉莉が弾くともっと素敵になりますよ。」

 そして、この曲と同じくらい、いや、それ以上に琉莉さんのことが好きなのだろう。
 私にとって琉夏の演奏がそうであるように、琉夏にとっては、琉莉さんの演奏が何よりも素晴らしいんだ。
 少し複雑な気持ちになりながら、「そうだね。」と頷いた。

 「――心優さん。」

 「どうしたの?」

 少し沈黙があった後、琉夏が少し畏まって聞いてくる。
 どうしたんだろう、などと思いながら、首を傾げてみた。

 「昨日、感想や思いは人それぞれだと言いましたよね。」

 「うん。」

 確かに言った。それがどうかしたのだろうか。
 私がますます首を傾げると、琉夏は言い辛そうに口を開いた。

 「その……心優さんが、この曲をどう感じたのか、お聞きしてもいいですか?」

 「私が?」

 私が聴き返すと、琉夏は体ごと向き直って、真剣な表情で頷いた。

 「知りたいんです。心優さんがこの曲を、どう感じているのか。」

 琉夏は、わからないと言っていた。
 好きだと、素敵だと感じていても、それをどう表すのかがわからないと。

 「……好きだよ。雨音みたいで、暖かいから。」

 「雨音?」

 私が零すように答えると、琉夏は不思議そうに首を傾げた。
 ピアノの流れるような旋律と、ぽつぽつと聞こえる雨音は似ても似つかないかもしれない。

 「そう。私、雨音を聴くのが好きなんだ。」

 それでも私には、似たものに聞こえた。

 「聴いていると、心が温かくなるような優しい音。この曲も、同じ感じがする。」

 「……琉莉は、雨が苦手でした。濡れると冷たくなるから。」

 私が微笑んで返すと、琉夏が小さな声で言った。
 それもわかる。雨は一般的には、冷たいものとされるだろう。

 「僕が外に出るのは、よく晴れた日でした。だから雨に触れたのは、この間が初めてなんです。」

 わざわざ天気の悪い日に、アンドロイドを外に出したりはしないだろう。
 となると、琉夏にとって雨は、中々悲しいものになっているのではないか。
 あの日の大雨は、琉夏の涙代わりだったのかもしれない。

 「“共感もしてもらえないかもしれない”って言ったよ?」

 「いえ、共感できますよ。僕も琉莉と同じで、雨は冷たいんだな、と思いましたけど――」

 琉夏はそっと目を閉じて、自身の左胸辺りを押さえる。
 優しく細められた水色の瞳が、真っ直ぐに私を見た。

 「心優さんが声をかけてくれたので、暖かいです。」

 にこっと微笑む琉夏を、つい目を丸くして見てしまった。
 なんとなくドキッとしてしまって、慌てて目を逸らす。
 その視線こそが、暖かい。
 愛の籠ったその視線を、私に向けてくれることがあるなんて、思っていなかった。

 「……ちょっと、私もピアノ弾いてもいい?」

 「勿論です。どうぞ。」

 琉夏が立ち上がって、椅子を譲ってくれる。
 四角いピアノ椅子に座って、鍵盤に両手を添えた。
 琉夏の演奏が、耳の奥でまだ優しく響いている気がする。

 目を閉じて、そんな想像上の音に聴き入ってから、鍵盤を押し込んだ。

 後ろで見ていた琉夏が、息を呑んだ気がした。
 私が弾いたのは、琉夏がさっき引いたものと同じ曲。

 「――どうかな?」

 流石に、初めの方しか弾けなかった。
 途中で曲を止めて、琉夏の方を振り返ってみる。
 琉夏は驚いたように丸くした目で私を見ていた。

 「……知ってたんですか?」

 「ううん、琉夏のを聴いて、覚えてみた。」

 琉夏はぱちぱちと目を瞬いている。
 私がピアノを弾けることも言っていなかったので、余計驚いているのだろう。

 「連弾、したいなって。」

 「……はい! 僕も、是非やりたいです!」

 琉夏は嬉しそうに目を輝かせて返事をしてくれた。
 そのためには、私がちゃんと弾けるようにならなくては。

 「続きも頑張るから、教えてくれる?」

 「任せてください。隣失礼しますね。」

 私が椅子の端に寄ると、琉夏が一言断ってから隣に座った。
 長方形タイプのピアノ椅子だから2人でも座れるが、少し狭くて肩が触れる。

 「次はですね――」

 生き生きとした様子の琉夏の横顔は、綺麗で、それでいてどこか可愛らしい。
 私が弾けるようになったら、もっと喜んでくれるだろうか。

 頑張らないとな、と思って、琉夏の指先を見つめた。
 今日は、琉夏と2人で買い物に来た。
 電車で4駅行ったところにある、大型のショッピングモールだ。

 この間は近所のスーパーにしか行けなかったから、琉夏と一緒にここに来たかったのだ。
 日曜日なので人が多いが、はぐれそうなほどではない。

 「……ここ、来たことがあります。」

 「そうなの?」

 目を丸くして辺りを見回す琉夏に、驚いて聞き返す。
 琉夏はあそこに捨てられていたということは、琉莉さんの自宅だって、遠くはないだろう。
 そう考えれば十分あり得る話なのに、つい反応してしまった。

 「琉莉とよく来ていたのが、ここなんです。」

 「そうだったんだ。私もたまに来てたから、もしかしたらすれ違ってたかもね。」

 私が小さく笑うと、琉夏は「そうですね。」と短く答えた。
 琉夏は顔が整っているから目立つかもしれないが、1度ちらりとでも見たら忘れないほど、強烈な容姿をしているわけではない。
 ピンクや緑等派手な髪色のアンドロイドは目立つが、琉夏は黒髪だ。

 「今日はどこを見るんですか?」

 「楽器屋さん行こう!」

 「わかりました。」

 私が歩き出すと、琉夏は隣に並んだ。
 後ろを着いてくることが多かったが、馴染んだ場所だからだろうか。
 ……少し嬉しいな、なんて。

 エスカレーターで3回まで上がって、楽器屋を目指す。
 通りかかった店に、琉夏は自然と目を向けた。

 「……ここ、琉莉が好きな店です。」

 「そうなんだ? 可愛い服いっぱい売ってるね。」

 つい立ち止まって、琉夏が見ている方に目を向けた。
 可愛らしい印象の服が並んだ、若い女性が好みそうなブランドの店。
 可愛いものが好きで、お洒落な、女の子~といった人が着ていそうだ。

 「ここに来たら必ず、この店に来ていました。月に何度も来るのに、毎回1時間以上見ているんですよ。」

 「服を見るのが好きだったんだね。」

 店内を眺めて、琉夏は懐かしむように目を細めた。
 月に何度も、って、しょっちゅう来ていたんだな。
 私は月に2度も来ないくらいだったが、本当にすれ違っていたかもしれない。

 「はい。職場だとあまり好きな格好はできないから、と休日は色々お洒落していました。可愛いんです。」

 「可愛らしい人をイメージしてたよ。髪が長くてふわふわしてそう。」

 私が言うと、琉夏はくすりと笑った。
 愉快そうに目を閉じて「してますねー!」と言う。

 「ヘアアレンジも好きで、毎朝髪を巻いていました。薄茶色の細い髪なので、カールが似合うんです。」

 「何か、想像できちゃうなぁ。」

 私も釣られてくすっと笑った。
 本当に、この店の服が似合いそうな容姿。
 なんて思っていると、琉夏が私の髪を梳いた。

 「わっ、びっくりした……どうしたの?」

 若干避けながら聞くと、琉夏は優しく微笑んだ。

 「心優さんも、髪を巻くの似合いそうですよね。」

 「私は似合わないよ? 琉莉さんとは、髪質が違うと思う。」

 撫でるように髪を梳いてくる琉夏から逃げるように後ずさる。
 苦笑すると、琉夏は残念そうに眉を下げた。

 「心優さんも似合うと思いますよ?」

 「無理無理。私は、あんまり可愛いの似合わないから。」

 「行こ。」と声をかけて、誤魔化すように楽器屋を目指す。

 「絶対似合いますのに。」

 琉夏は少し不満そうだったけど、急いで私の横に並んだ。
 5件分ほど歩いて、目当ての楽器屋に着く。
 と言っても、べつに楽器を買うわけではないのだが。

 楽譜が並んでいる棚を通り過ぎ、白紙の五線譜を手に取る。

 「それを買うんですか?」

 「うん。楽譜は紙派なんだ。」

 不思議そうに聞いてくる琉夏に、小さく頷いて答える。

 「何も書いていない物ですか?」

 「うん。白紙を買いにきたんだ。」

 迷わずレジに歩いて行くが、琉夏はまだ不思議そうだ。
 無人レジに商品を置き、スマホをかざす。
 それだけで会計が完了して、商品を鞄に入れた。

 「琉夏の弾いてる曲、楽譜に起こそうと思って。」

 「成程。いいですね!」

 やっと納得がいった様子の琉夏に、「楽譜書ける?」と聞いてみる。
 書けなければ私が耳コピで書くのだが。

 「書けますよ。是非書かせてください!」

 「ありがとう。」

 琉夏は張り切ったように手のひらを握る。
 子供っぽくて可愛らしい仕草だ。

 「帰ったら早速書きたいです!」

 「ありがとう。食材買ったら帰ろう。」

 既にわくわくしている様子の琉夏は、すぐにでも帰りたそうだ。
 残りの買い物は手早く済ませて、早く帰ろう。

 楽器屋を出て、今度はエスカレーターを1回まで下りる。
 食料品売り場に行こうとすると、琉夏がふと立ち止まった。

 「琉夏? どうしたの?」

 はっとしたような表情でどこか1点を見ている琉夏に声をかける。
 水色の瞳が水面のように揺れていて、何だか心配になった。

 「……いえ、何でもありません。行きましょう。」

 ふいと視線を逸らした琉夏は、誤魔化すように笑った。
 琉夏が見ていた方を振り返っても、特に何も目立ったものはなかった。





 「――心優さん、そろそろ寝ませんか?」

 12時を回ってもベッドに入ろうとしない私を見て、琉夏は心配そうに言った。
 琉夏は私を――高校生を子供だと認識しているようだから、心配してくれているのだろう。

 「明日、遅刻したら大変ですよ。」

 「そうだね、ごめんごめん。」

 眺めていた楽譜をテーブルの上に置いて、琉夏の方を向く。
 琉夏はそんな私を見て、嬉しそうに笑った。

 「ずっと、楽譜を見ていましたね?」

 「嬉しくて!」

 琉夏がインクで書いてくれた楽譜を、まるで小説か何かのように読み込んでいた。
 丁寧に書かれた丸が五線譜の上に踊っていて、強弱や速度を表す英語は、少し丸っこくて可愛らしい。

 丸が整っているのは、アンドロイドだからだろう。
 人間は、ここまで正確に丸を書くことができない。
 文字が丸いのは、琉莉さんの影響だろうか。

 「ありがとうございます。楽譜は明日でもゆっくり見られますから、睡眠不足になる前に寝ましょう。」

 「わかった。ありがとう。」

 一足先に寝転んでいた琉夏の隣に上がる。
 私が横になると、琉夏はいつものようにくっついてきた。

 「……心優さん、質問いいですか?」

 「いいよ?」

 琉夏は何故か少し畏まって聞いてくる。
 少し体を動かして、琉夏の方に顔を向けた。

 「人間とアンドロイドの違いって、何だと思いますか?」

 てっきり琉夏は私を見ていると思ったが、見ていなかった。
 水色の瞳は何を見るわけでもなく、上空に向いている。
 どういう質問なのだろうか。何だか難しい話だ。

 「うーん……『涙』が出るかどうか、とか?」

 少し考えてから、思い至った答えを出す。
 アンドロイドは人間と同じような表情ができる。感情を持っている。
 けれど、涙は流すことができない。
 一番の違いはそれではないだろうか。

 「成程。そういう意見も、あるんですね。」

 「琉夏は? 琉夏はどう思うの?」

 真剣な表情で頷く琉夏に、今度は私から聞いてみる。
 琉夏は私には目を向けないまま、「そうですね……。」と呟いた。

 「僕は――『思考』、だと思うんです。」

 「『思考』?」

 私が繰り返すと、琉夏は深く頷いた。
 唇が上がっていなくて、なんだか不安になる。

 「アンドロイドの思考結果は、人間に似せられています。それでも、所詮は、0と1だけで計算された結果で――演算結果は、すぐに出ます。」

 アンドロイドも発言などは人間に似ている。思考結果も、人間に似せられている。
 けれど過程は、どう頑張っても真似できない。そう言いたいんだろう。

 「表面だけは、人間と同じかもしれません。答えは、人間と似ているかもしれません。けれど中身は、どこまでいっても、僕は人間になれないのです。琉莉や心優さんが、思考しているのを見るたびに――そう、実感するんですよ。」

 「アンドロイドと人間の違いを?」

 琉夏はまたしても深く頷いて、続けた。
 優しい声が、しっかりと、何だか重く、言葉を紡ぐ。

 「――アンドロイドは、()()()()んです。」

 「それって――」

 琉夏は私の言葉を遮るように、ゆっくりと目を閉じた。

 「それだけです。おやすみなさい。……すみません。」

 もう寝なさい、と親が子に言うように。
 有無を言わさず、琉夏は会話を終わらせた。

 「……うん。おやすみ。」

 聞きたいことは、明日聞けばいいしな。
 私は琉夏に背を向けて、おやすみを返した。
 微かに琉夏の動く音がして――そっと、身体に腕を回される。

 今日は、いつも以上にくっついてくるな。
 可愛い、なんて思いながら、目を閉じ、眠りについた。
 ――ピピピ……と、部屋の隅で電子音が鳴った。

 もう朝か、なんて思いながら瞬きをして、徐々に意識を覚醒させる。

 琉夏はもう、私に腕を回してはいなかった。
 私が動いたのか、琉夏が動いたのかはわからないが、いつものようにくっついてすらいない。

「……おはよう、琉夏。」

 欠伸を噛み殺して、琉夏に挨拶をする。
 いつもならすぐにおはようございます、と返ってくるのに、今日はなにも聞こえてこない。

「……琉夏? 朝だよー?」

 身体を起こして、琉夏の方を見る。
 琉夏は目を閉じたまま、まだ起きていないようだった。
 珍しい。私が呼ぶと、すぐにスリープを解除していたのに。

「琉夏ってば、起きてよ。」

 とんとん、と肩を叩いても、少し揺すってみても、琉夏は動かない。
 ……少し、様子がおかしいのではないだろうか。

 充電切れ――なんてミスは侵さないだろう。
 けれどこれは間違いなく、スリープ状態ではない。
 目を閉じているだけ、なんてわけもなく、明らかに、起動していないように見える。

 ……起動していない?

「――琉夏!?!?」

 慌てて布団を捲り、琉夏の様子を伺う。
 やっぱりぴくりとも動かない琉夏が、昨日書いた楽譜を抱いていた。
 何だか嫌な予感がして、そっと琉夏から楽譜を取り上げる。

 何枚も束になった楽譜の、一番最後のページ。の、裏。
 琉夏の丸っこい、可愛らしい文字で、たった2行、何かが書かれていた。

 ――自分でシャットダウンしました。

 ――ごめんなさい。

 自然と手の力が抜けて、楽譜が膝の上に落ちた。
 更にその上に、水滴が落ちる。

「何で……!」

 琉夏は、私を選ばなかった。
 1日の猶予すら拒んだ。

 昨晩の琉夏の言葉の意味を、ようやく理解する。

『――アンドロイドは、()()()()んです。』

 迷えない。
 琉夏は初めから、私を選ばないことを決めていたんだ。
 決めていたのに、私のために、今まで一緒にいてくれていたんだ。

 なのに私は思いあがって、1人で勝手に恋をして――
 ――そうだ。私は、恋をしていた。
 本当の本当に、琉夏が好きだった。
 見知らぬアンドロイドを、人間ですらない彼を、愛してしまっていた。

 きっと琉夏は、それに気づいていたのだろう。
 気づいていたから、ずっと一緒にいてくれたのだろう。
 自分は、琉莉さんだけを愛していたのに。

 水面のように揺れる視界。
 楽譜の上にしみが増えていくのが、かろうじて目に入る。
 慌てて、楽譜を払った。

 たった1夜で、これは私の宝物になっていて。
 私はこれを、濡らしたくなかった。

 パラパラっと散った紙のうち1枚が、琉夏の顔にかかった。

 琉夏は私のために、一緒にいてくれたのだろう。
 けれどそうならば、私のためならば、どうせこうなるのなら。
 あと1日くらい、一緒にいてくれてもよかったじゃないか。

「……琉夏のせいだよ?」

 昨日琉夏が心配していたように、今日、遅刻するよ?
 もしかしたら、休むかもしれないよ?

 どうせこうなるのなら、なるべく長く、一緒にいたかった。
 せめてありがとうと、好きだよ、と伝えたかった。

 ――ごめんなさい。

 なんて、事後報告されても、困るよ。
 許すしかないじゃないか。
 それとも私は、一生怒りを抱えて生きていくのか。

「――ごめん、こっちこそ、ごめん……!」

 どうして私の思考は、こんなに自分勝手なのだろう。
 どうしてこんな、自己中な理由だけで泣いているのだろう。

 やっぱり私が思った通り、人間とアンドロイドの違いは『涙』だ。
 やっぱり琉夏の言う通り、人間とアンドロイドの『思考』は違うみたいだ。

 だって琉夏なら、こんな自分勝手な理由で泣いたりしない。
 だって琉夏なら、こうやって琉夏を責めたりしない。

「ごめん、ごめん――!」

 ごめん、と何度謝っても、もう琉夏には届いていなくて。
 琉夏に言いたいことも、琉夏に届けたい思いも、空中に散って、あやふやになってしまいそうだ。

 涙も謝罪も止まらないまま、息が上がっても、止まらないまま。

 別のページに、もう1行。

 ――大切な人の記憶を、2人分保持したまま死ねるアンドロイドなんて、贅沢ですね。

 そう書いてあることに、私は気づかず泣き続けた。

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