また朝が来て、瑠菜がいなくなるまであと1日になった。
考えると、苦しくなる。
だから気にしないように振る舞おうと、僕は今日も彼女のもとへ降り立った。
「あ、天使くん。おはよう」
昨日泣いたせいだろう。
少し赤く腫れた目が痛々しかったけれど、彼女はそれを少し隠すようにして僕に話しかけてきたから、わざと指摘しないように徹した。
「おはよう瑠菜」
こんなふうに『おはよう』の言葉を交わすのも、あと数え切れるほどだ。
そんな平凡なことすらも出来なくなる悲しさも、なんとか見えないふりをする。
「今日は、昨日より早いね?」
からかうように僕を見た瑠菜は、昨日よりずっと元気そうに見えた。
というか……どこか諦めたような、終わったような、そんな安らかな表情を浮かべていた。
「うん、寝坊はしなかったよ」
「あはは、それ嘘なんじゃなかったの?」
「いや……嘘だよ」
「だって、天使くんは寝ないもんねえ」
「そうだよ。僕は寝ないから寝坊もしないし、焦りもしない。毎日が平坦なんだ」
「ふふ、山あり谷ありな人生も大変だけどね?」
「それも悪くないと、僕は思うよ」
「じゃあ、結果的には良かったのかもね」
瑠菜の人生を、“ 結果 ”だなんて言って終わらせてほしくないと思う。
もちろんそんなことは口にせず、構わないで話を続ける。
「今日も良い朝だねえ……」
すごく晴れてるよ、とベッドから降りて窓を開けた瑠菜。
ふわりと温かい風が入ってきて、彼女の髪をゆっくりと揺らした。
その横顔が綺麗で、無意識に見惚れてしまう。
じっと瑠菜を見つめていると、視線に気づいたのか、彼女はふっと微笑んだ。
「ね、天使くん。私からのお願いね」
「お願い?」
「そう。欲張らないよ、たったひとつだけね」
窓に寄りかかって、僕を柔らかい笑みで見つめる彼女は、いままででいちばん優しい表情をしていた。
「私がいなくなっても、こうやって、誰かのそばにいてあげてね」
そう言った彼女は、昨日のように泣かなかった。
完璧な笑みを浮かべてそう言うのだから、僕だって泣くわけにはいかない。
「……うん」
なんとか声を絞り出してうなずけば、彼女は途端に唇を尖らせた。
「でも、ちょっとだけ、ほんの少しだけヤキモチ妬いちゃうから、こんなに親しくしたらだめだよ?」
「……」
瑠菜以上に親しくなんて、どれだけ僕の生きている時間が長いとしても、ないという確信があった。
うなずこうとしたのに、彼女との日々が終わってしまう実感が襲ってきて、思うように動けなかった。
「……あはは、やっぱり嘘。だって私、もう明日にはここにいないんだから」
「……瑠菜」
「天使くんが皆んなに優しいのはわかってるよ。でも、ちょっと寂しいなってだけなの」
早口でそうまくしたてる瑠菜に、僕は被せるように自分の気持ちを言葉にする。
「僕は、瑠菜に……生きてほしい」
それがどれほど彼女を苦しめようとも、僕はどうしても伝えたかった。
「……天使くん、ありがとね」
「瑠菜は、……死なないよ」
「うん、私は死なないよ。絶対にね」
ほら笑って、という瑠菜は、ぜんぜん笑えてなかった。
へたくそな笑顔が、強く脳に焼き付いてしまう。
ああ、どうして瑠菜はいなくなってしまうんだろう。
運命をここまで覆したいと思ったのは、初めてだった。
見届けてきた人に、こんなにも生きてほしいと強く願ったのも、初めてだった。
「瑠菜……、生きて」
そんなふうに言葉を紡ぐことしか出来ない僕を、瑠菜はそっと微笑んでくれた。
何も言わずに、ただ、うなずいただけだった。
それから、何を話したかは覚えていない。
虚な記憶を思い返せば、初めて僕が彼女のもとへ降り立ったときの話を永遠としていたような気もする。
────そうしてまた、朝が来る。