「二人とも、喧嘩しないで」

「「ご、ごめん……」」


困らせるくらいなら身を引く。

傷つくくらいならば私から離れよう。

私がいなければ誰も悲しい思いをしなくて済むのだから。

心なんて……かき消してしまえば何も怖くない。

笑っていれば、そういう子なのだと安心して離れていってくれるから。


「私、聞き取りが上手くできないの。だから……意見とか聞かなくていいよ?」

「は……?」

「別に、聴力に問題があるわけじゃないから」


にっこりと笑うことで、壁を見せる。


「不愉快な思いをさせてごめんなさい。でもどうか、喧嘩しないでください」


立ち上がって、私は距離を取る。


「武藤さ……」

「気にかけてくれてありがとう。私、しばらく席外すね」

「武藤ちゃんっ!!」


もう聞きたくない。

もう見たくない。

一人でいれば何も起こらない。

人の顔を見るのが怖い。

言葉が難しくて、私は普通ではないと思い知る。

みんなにとっての当たり前は、私にとっての困難だった。


走って走って、追いつかれないところまで逃げていく。

浴衣姿では何度も足がもつれて、スリッパが脱げそうになる。

それでも私は走ることをやめなかった。


(あーぁ。またやっちゃった)


勢いだけで走り、旅館のロビーにたどり着く。

私は零れ落ちそうになる涙を拭い、ロビーの隅にあるソファー席に座った。

膝を抱えて顔を埋める。

言葉を聞き取ることが困難。

それが卑屈な私へと繋がり、和を乱すことが多かった。

明るくなろうとして背伸びをしてみても、染み付いたネガティブから脱するのは難しかった。

本音を言っても言わなくても結果はいつも同じ。

最初はみんな理解を示そうとしてくれるが、だんだんと顔が険しくなっていく。

苛立った様子でこちらを見る目がつらい。

だったら最初から人と関わらなければ最小限で済む。

気を使わせないで済むのだと、私は人を遠ざけることを覚えた。

前を向いた行動が出来るならば苦労はしない。

自己肯定感なんて言葉は考えれば考えるほどに、ぐちゃぐちゃに絡まるものだった。