正しく言葉が拾えない世界で、キミは怖かった

「さっき野乃花ちゃんも言ってた通り。本当はサイコパス野郎なんだよ」


愛情や思いやりが欠如した人間。

良心のない人をサイコパスと呼ぶ場合がある。

だが彼が自認するものと一般的な定義は異なるようだ。

何をもって彼は自分をサイコパスに分類するのか。

誰かにやさしさをもって接することの出来る彼がそう認識せざるを得ないことが悲しかった。


「私はそう思わない。鈴木くんは優しいよ?」


私に歩幅を合わせてくれる。

怒らないで待ってくれる。

たくさんのやさしさをもらって、私は彼を好きになった。

私の好きな人が、優しくないと言って卑下をする。

彼を縛り付けるものは何?

根深く彼に絡む闇は彼から本音を奪っていった。


「オレは自分がどう思われるかを一番に考えてるから。全然、相手のことなんて考えてない」

いつも穏やかで、柔らかくて、甘ったるい。

ブラックコーヒーの中にミルクと砂糖を大量に入れて出来た味。

それを除けば人には苦すぎる獣が顔を出した。

捕らえて離さない。

狼に目をつけられた子兎のように震えてしまう。

「武藤さんに嫌われたくないから優しいふりをしてる。本当はやばい思考なんだよ」

危険だからと突き放そうとする言葉。

冷たい言葉に甘えて逃げ出すのが一番安全だろう。

(でも私、知ってる)

彼は噓つきだから、私に逃げ道を残している。

私が悪者にならないように自分を下げて下げて下げて……。

彼の本音はギラギラした肉食獣の向こう側にある。


「武藤さん?」

かえって彼を困らせてしまうかもしれない。
それでよかった。

自分勝手なのはお互いさまで、下げることが癖になった似たもの同士なのだから。


「自分が一番でなにが悪いの?」

人と向き合うことは怖い。

まだ好きだと口にできるほど勇気はない。

だけど自分を否定する彼を、私は否定したくなかった。

それを含めて彼は優しい人なのだと全力で肯定する。

「誰だって自分がかわいいものだよ。守ろうとして何が悪いの?」

「……かわいくないから困るんだよ」

か細い声は不安に満ちている。


「全然、かわいくない。 めちゃくちゃムカつくよ」


憂いのこもった息を吐いたかと思えば、彼は私の手を握って声を低くする。

「なのに武藤さんに好かれたいなんて、究極のワガママ言ってるんだ」

泣きたいくせに彼は笑う。

私と違って器用に笑えるタイプなのだろう。

仮面の向こう側はボロボロで、傷を隠すように厚くしていった。
(こんなことしたら後戻り出来ないってわかってるのに)

私は自分が大嫌いだ。

だが彼を抱きしめるくらいには許されたい。

誰かを傷つけるしか能のない私にだって焦がれるものがあると知る。

(鈴木くんはやさしい。誰が何と言おうと、やさしくあろうとする鈴木くんが好き)

その心根を好きだと痛感する。

言葉はまだ重たくて、せめてもの勇気を形にしたいと手を伸ばし、彼の両頬に触れた。


「武藤さん?」

「鈴木くんはみんなに好かれてるから取り繕わなくても大丈夫だよ」

何を言えば彼は救われるのか。

言葉がわからない。

口にできたところでそれが届くかもわからない。

不安定なものだ。

安心させるには何をするのが良いのだろうと、悩みながらに彼の目を見た。


「きっとみんな、鈴木くんのことわかろうとしてくれるから」

「……オレは武藤さんに受け入れてもらいたい」

熱っぽい視線に胸が締め付けられる。

「オレにとってかわいくて大好きなのは武藤さんだから!」

それは唐突で、むき出しになった彼の癖。

覆い被さるように抱きしめ、圧迫感に私は酸素をもとめる鯉のように口をパクパクさせた。

「うっーー。いた……いたいよ!」

「そう、痛い。痛いはずだよ!」

相手を舐めるような目つき。

身体をぐっと引き寄せ、それが性的に欲していることを示すよう強く掴む。

じっとりと濡れた息遣いで彼は私の耳を食み、目を細めてうっとりとする。

額が重なり、間近に狼が顔を出したことに震えあがった。


「そうやってオレに振り回されて、困ってる武藤さんがかわいくてたまらない」

「それってどういうこと……」

「言葉のまま」

生理的ににじみ出た涙がまつ毛を濡らす。

防衛反応からポロポロ涙がこぼれ、それを餌とみた彼が唇をよせて掬い上げる。

まるで動物だ。

本能のままに雄の彼が私を愛撫するようなもの。
「ムリ。こんなにかわいいんだ。抱き潰したい。……なんかもう、小さいしぺちゃんこになりそう」

「全然わかんない」

「これがオレのおかしなところ。かわいいものを見ると加虐的な気持ちになる」

これを理解したいと思うのは、私も相当に侵食されているのだろう。

「反応がかわいすぎて、ついいじわるしたくなるんだ。だから武藤さんの色んな反応が見たい」

弱虫で卑屈な私でいいと言ってくれる彼を、愛してみたい。

「かわいくて抱きしめたくて、大好きなんだ」

「バカ……」

いや、きっともう恋をしている。

愛情を隠し切れない彼が好き。

人の中に混じろうと努力する彼が好き。

別になんだっていいのかもしれない。

こんな私を好きという彼は変人なのだから、私も変人でいい。

「私、鈴木くんが思ってるようなかわいい人間じゃない。きっと鈴木くんもすぐに嫌になる」

「そんなことない。オレは本当に武藤さんが好きだから」

(やっぱりずるい)

これだけのむき出しの感情をぶつけられて、動揺せずにはいられない。

嫌われる前に逃げてしまおうと癖のついた私が、欲張りになる。


「……嫌わないで」

嫌われたくない。

同じ感情を返してほしい。

隣に立ってもいいというのなら、がんばってみたい。

意気地なしの私は、彼に解かれて殻を破るんだ。


「鈴木くんが好き」

目が見開かれる。

チカチカする視界の中で私は委縮しそうな声を振り絞り、言葉に変える。


「いじわるでもいいよ。そうやって気持ちをぶつけてくれる鈴木くんが好き……」

欲求は止まらない。

気持ちを試すかのように唇に優しくなでるようなキスをされる。


「ーーこうやって、いじわるしたくなるんだよ?」

「……バカ」


下唇を甘噛みされると小さな容量から情報があふれ出す。

それを見てニタリと口角をあげ、頬を摘まんで楽しむ彼は意地悪い。

嫌がる人は嫌がる彼なりの愛情だ。


(いやなような、嫌じゃないような……)

自分の気持ちに整理がつくのはもう少し先のようだ。

再びキスをせまってくる彼に私は限界を超え、防衛反応で両手を前に突き出す。


こうして私たちははじめて想いが通じあったのだった。
正式に交際をはじめて数日。

だんだんと彼の特性が見えてきた。

わかりやすいのが”かわいいもの”への思考だ。

かわいいもの好きを隠していた理由は……理解されにくい感情だからかもしれない。


「まゆタレうさぎってさぁ、一々反応がかわいいんだよね」

まゆタレうさぎは国民的人気キャラクターであり、愛でられるべき存在だ。

泣き虫で、おどおどしてて、だが何事にも一生懸命な姿がファンの心を掴んでいる。


「わぁってなってるの見るとゾクゾクする。潰したくなるし、ほっぺ引っ張りたい」

(加虐的な気持ちってそういうことなの?)

実際にそれをやることはない。

害を与えたい、傷つけたいというわけではないそうだ。

かわいいと思う気持ちが万が一、暴走してしまい相手を傷つけてしまったら……という恐怖と戦っている。

愛情に満ちているのに、攻撃したい矛盾。

実現欲はなく、それを行なったらサイコパスだと彼は困ったように苦笑いをした。

かつて野乃花ちゃんをいじめた理由は本当にかわいいと思ってたからだと。

泣いて自分を見る姿にゾクゾクしてたとか。

……それだけ聞くと、一般的には理解されないとわかる。

今はそれも相手を傷つけると認識し、大切にしようと自戒していた。

ようするに、かわいいものへの防衛反応。

ほんの少し制御が必要な愛情ということだ。


(それは抱きしめる力も強いわけだよね。ほっぺ触るのもそういう理由だったとは)

気持ちがあふれ出した結果、締め付けるように抱きしめる。

全身で呼吸をしようと必死になる姿がかわいいと、彼は頬を染めて語った。


(理解は出来ない。……でもそれはそれでいいのか)

嫌がることをしない。

これがポリシーだと彼は強く訴えるのだから。

(私がかわいいだなんて、不思議な人。……ゆるキャラと同じ扱い?)


まゆタレうさぎと私。


(少し複雑……)

ニコニコと嬉しそうにする彼にはとてもではないが言えなかった。



「そうだ、これ武藤さんにあげる」

休み明けの学校。

昼休みに中庭のベンチに腰かけて昼食をとっていた。

ちょうど食べ終えたところで彼が紙袋を差し出してくる。


「ドーナツ?」

まるっとした輪っかに艶やかなチョコレートソースがデコレーションされている。

かわいいの詰め込まれた食欲そそる出来栄えに私は唾を飲み込んだ。
「やっと美味しく焼けたから。武藤さんに食べてほしいなぁって」

「いただきます」

「えっ!? 今!?」

彼の好意を受けた瞬間にそれを受け止めたいと思った。

自然と手はドーナツにのびていて、ぱくっと噛みついてもごもごと味わった。

「うん、美味しいよ。ありがとう鈴木くん」

「……武藤さんかわいい」

(ほ、ほっぺツンツンされてる……)

その行為に刺激されるのか、その反応を見るのが楽しいのか。

そういう愛情表現なのだと思えば割とすんなり受け止めることが出来た。

人によってはそれを狂ってると言うであろうが……。

彼が重々言うには”相手に害を成したいわけではない”が、大きな違いだそう。

幼少期にそれは人を選ぶことがわからないので、彼にとっても野乃花にとってもトラウマとなった。

わからないことで傷つけあう。

だからといってすべてを理解するのは難しい。

その中で人は言葉にして伝えようとする。


(……大事なことを聞き取れない。相手に負担を強いてしまう)

そうやってすれ違って、誰もいなくなる。

仲の良い友達でも、アルバイト先の人でも。

伝わらないことは苛立ちへと繋がっていくものだからーー。


(こうしてウジウジしてても何も変わらないとわかってるけど)


怖い。

私は現実から目をそむけるようにスマートフォンを手に取り、電源を入れた。


「あ……」

アプリから通知がきているようだ。

心当たりのある私はすぐにアプリを開き、通知の内容に目を通す。

「どうしたの?」

「鈴木くん、バイト決まった」

「えっ?」

休みの日に面接に行った。

以前、彼に提案を受けて応募した動物園の清掃アルバイトだ。

質問を受けてもあまり聞き取ることが出来なかったが、根気強く粘ってみたのが功を奏した。

問題はこれからだとわかっていても、やはり先が見えることは嬉しいものだった。


「やったじゃん! おめでとう!」

「……うん」

自分のことのように喜んでくれる彼。

心根はやさしい人だと知っているから好きになった。

彼にとって”かわいい”は興奮の引き金なのだろうが、それは彼の個性なのだと受け入れていた。


「学校があるだろうから、時間ある時に連絡くれって書いてあった」

「清掃なら一人作業も多そうだし。動物園内の仕事だから役立てて嬉しいね」

「本当にありがとう。私、がんばるね」

このふわふわした気持ちは心地よい。

足枷となっていたネガティブでも彼は受け入れてくれる。

たくさんの好きを向けてくれる。

感謝の気持ちと、うれしさと愛情と。

少しずつ彼に向けていきたいと私は前を向くきっかけを得ていた。
授業の合間の休み時間。

特進クラスとの境目となる渡り廊下でアルバイト先に連絡をし、初日を決定する。

電話を終えて私は一時的な安心感に胸をなでおろした。


「あれー? ひなたちゃんだ」

教室移動のために渡り廊下へと集団がやってくる。

その中から顔を出したのは特進クラスの野乃花と絵里だった。

ぺこっと頭をさげると、野乃花がニヤニヤして左手を猫の手にして動かす。


「はろーん、ひなちゃん。アイツとは別れたー?」

「え、いや……」

「別れてないかー、残念。じゃあこれ、アイツに渡しておいてくれる?」

そう言って手渡されたのは蛇の玩具だった。

本物かと思うほどにその作りは立体的で、ぞわりと背筋が震える。

和解したとはいえ、彼を嫌悪する気持ちは変わらないようだ。

彼にとって”かわいくないもの”、つまり嫌がることをよくわかっている。

そんな野乃花の邪気まみれな行動を見て絵里が野乃花の額を弾く。


「コラ、野乃花! あんたはそうやって変なものばかり出すんだから!」

「かわいいじゃん。干からびてたり、うねうねしてて」

(変わった収集癖だったー!?)

嫌がらせもあるだろうが、主に野乃花の趣味だった。

どうやら彼から嫌がらせを受けているうちに耐性がつき、やがてそれがかわいいものだと認識するようになったそうだ。


「悪趣味」

「そんなことないもん!」

彼と野乃花の確執を知らない絵里からしたら理解できないもの。

だがそれで野乃花を避ける理由にはならない。

価値観は人それぞれだと独立して楽しむ二人はちょうどよい距離感の友達に見えた。


「そういえば、そっちのクラスは修学旅行の班決まった?」

高校三年生の7月、夏季休暇の前に修学旅行がある。

だが具体的なことは何も決まっておらず、どのような内容かを知らない。

四六時中誰かと行動することになると、コミュニケーションの発生が多くなることに恐怖を抱いていた。

「いえ、これからです」

「そっか。ドタバタで決める感じだよねー。1ヶ月後ってあっという間でしょ」

「あの。班での話し合いって何を……」

会話を遮るようにチャイムが鳴ってしまう。

「やば、授業遅れちゃう! またねひなたちゃん!」

「ひなちん、バイばばーい」

「……行っちゃった」

彼と向き合うようになり、少しだけ前を向けるようになった。

だがそれはあくまで感覚であり、現実を想像すると恐怖心が勝る。


(……私も戻らないと)

逃避癖は簡単に治ってくれない。

植え付けられた恐怖心はちょっとやそっとでいなくなるほど甘いものではない。

その程度ならば私ははじめからポジティブだっただろうから。
「ということで来月修学旅行だからな。今から班決めして、話し合いしろよー」

今日一日の最後の時間帯を使い、修学旅行の詳細を決めていく。

場所は京都で、判別行動を主としたものとなる。

教師の橋場は特別口出しをしないようで、教室の隅に椅子を運んで腕を組み、座り込んでしまう。

ざわつきだした教室で、一人の女子生徒が立ち上がり前に出た。


「じゃあ、班決めは男3女3でくじ引きねー」

癖のないナチュラルな声が教室の隅にまで響く。

チョコレート色の髪をボブにカットした正統派の明るく真面目な女の子。

クラス委員長の上原 杏梨だ。

キレイな猫のような顔立ちにすらりとした体格をしており、男女問わずに人気者だ。

いつもみんなの輪のなかにおり、てきぱきと行動する自立した人だと思っていた。


列に並び、教卓に置かれたくじの箱に手を突っ込む。

引いた紙を開くと太文字で「5」と書かれている。

黒板に描かれた班別の座席に向かって歩いていく。

くじの紙を凝視しながら歩いていたため、前方不注意の状態だった。

大きな背中に直撃し、鼻をさすって顔をあげる。

「鈴木くん!」

「大丈夫? 武藤さん、5班かな?」

鼻のてっぺんをチョンと触られ、はずかしさに顔を反らす。

小さくうなずいて、彼の反応を伺うようにじっと上目に見た。

対してじっと見つめ返されたかと思うと、彼は素早く近くにいた男子生徒のくじを奪い取る。

そして満面の笑みでくじの結果を見せてきた。


「やった、武藤さんと一緒だ」

「おいー! 俺のくじ……」

彼にくじを奪われた男子生徒がゆっくりとこちらを見て、言葉を収める。

そしてニヤリと口元を歪めながら、元々彼が持っていたくじの紙を取り去っていく


(鈴木くん、強引すぎる……)


普段、クラスの人気者として人徳のある彼。

加えて私と彼がお付き合いをしているのはクラスメイト全員が知っていた。

恋愛に寛容なクラスメイトに注目され、恥ずかしさとむずがゆさを味わった。


「あれ、まっつーもこの班?」

「うん。まさかの隼斗と同班~」

明るい髪を巻いた長身の女の子がやってくる。

彼と仲の良い女子生徒の一人で、彫りの深い顔立ちが印象的だ。

いわゆる見た目はギャルであり、長い手足は細身でありながらも筋肉質だった。

スポーツ大好きアクティブ女子でもある。

松丸 莉央、愛称「まっつー」と呼ばれるフレンドリーな性格。

特定のグループには属さず、どこにいても楽しそうに笑う姿は好感が持てた。
「旅行中、武藤さんのこと頼んでいい? まっつーが一番安心」

「もち。前から武藤さんと話したいと思ってたんだよねー」

面倒見の良さにも定評があり、莉央はさっそく私を手招きして頭頂部を撫でてくる。

私は身長が平均よりも低いので、長身の彼と莉央に挟まれると埋もれてしまいそうだ。


「でもなんで隼斗が頼むの?」

「か、彼女だから」

ポッと赤くなる彼。

普段は豪快なほどに好意をむき出しなくせして、他人に問われると年相応に恥ずかしがる。

爽やかな彼が特定の人にデレデレする姿はクラスメイトに不思議な光景として見られていた。

「本当に付き合ってたんだー。隼斗の片恋だと思ってた」

「かわいいだろ?」

「かわいい。かわいいけど! 隼斗が自慢することじゃないよ」

「すみません……」

「あああ! 武藤ちゃんが謝ることじゃないよー!」

(武藤ちゃん……)

ほとんど会話をしたこともないのに、早くも友好的だ。

陽気な莉央は眩しく見えた。

私とは真逆の人種に、つくづく彼の友好範囲の広さを痛感した。


ーーーーーーー


「女子はこの三人でー、男子はーー……」

決まったのは私、莉央、そして杏梨だった。

どちらもクラス女子、しいては学年でも目立つ華やかな女の子だ。

隅っこに座りながら一人だけ湿気まみれなことが後ろめたい。

男子生徒は彼と、友人の拓海。

もう一人は一匹狼の無口な男子、登坂 史也だった。


「メンバー濃っ!」

(それは私が言いたいです……)

莉央の突っ込みは私の代弁となっており、ますます肩をすくめて小さくなった。

自己紹介はするまでもないと、杏梨がテキパキと話し合いを進めようとする。


「じゃあ班別行動時に行く場所を決めましょう。……リーダーは私でよかった?」

「おっけーよろしくね」

「上原なら頼もしいな」


能天気に返事をする拓海に、にこっと爽やかに微笑む彼。

すると杏梨がパッと目を反らし、動揺で声を震わせながら続けようとする。

耳まで真っ赤な様子に気づいたのは私だけだった。
「行きたいところの意見出していこう!」

京都は観光スポットが多く、候補が豊富だ。

高校生としての一大イベント、修学旅行への期待値は高く、特に拓海が目を輝かせて意見を出していった。

「俺は金閣寺とーー……」

「アタシはーー……」

教室内は同じように意見が飛び交っており、私の耳は四方八方に飛び交う声を拾う。

だがそれがどこからのものなのか。

自分の属する班の声はあふれる音に紛れて聞き取れない。

話し合いについていくことの出来ない私は口角をあげて、その場の空気と化す。


「オレは宇治神社」

「宇治神社?」

「見返り兎の置物が欲しくって」

「い、いいんじゃない?」


順調に話が進んでるのだろう。


(あまり聞き取れてないけど、大丈夫だよね?)

どうせ会話についていくことが出来ない。

聞き取れないことで空気を壊すくらいならば私は何も言わない。

最初はやさしくても段々と空気が不穏になる感覚。

白けた状況を作ってしまうのは胃がキリキリと痛むものだった。


「……おーい、武藤ちゃん?」

自己防衛で口角をあげる癖があった。

一つのことで頭がいっぱいになり、笑うことが私の精一杯だった。


「は、はいっ!」

莉央に声をかけられても気づけず、顔の前で手を振られてようやく反応が出来た。

冷汗が背中を伝う。


「武藤さんはーーーーーーでーーーーの……」

(どうしよう……)


何一つ単語が聞き取れない。

通じていないと思われることが怖い。

根付いた恐怖心は膨張していき、私を乱す。

おそらくどこに行きたいのかを聞かれたのだろう。


(違ったら?)

会話が怖い。

品定めをされている気分だ。

聞き直すことは何度許される?

笑顔の裏に苛立ちはない?

ぐるぐるぐるぐる。

嫌な思考は人と交われない背中の丸い女の子を作る。


「と、特にはないので」

「えっと、どういう意味?」

「あっ……」

(聞き間違えたんだ)


杏梨の貼りついた笑みが怖い。

いや、杏梨は普通にしているだけだ。