大人しく尻尾を振っていただけのシェパードに視線をおろすと、わふっとくぐもった鳴き声をあげていた。

握られていた手が離れたかと思うと、彼はその場にしゃがみこむ。

そしてシェパードと目線をあわせて手のひらを前に突き出していた。


「さぎうさ、パンチ」

「バウッ!」

「痛い。夢じゃない」

「手!? 手が噛まれてるよ!?」


やっぱり何かがおかしい。

さぎうさと呼ばれたシェパードに噛まれる彼はヘラヘラと笑っている。

これは非常事態だと、私はカバンの中を焦りだした。


「血が出てる。早く洗わないと……絆創膏持ってたかな?」


何から手を出していけばよいのかわからない。

優先順位がつけられず、ひたすらにカバンをあさっては水場に目を向ける。

ようやく変化への第一歩として絆創膏を見つけ、顔をあげると彼がくしゃっとした笑顔を浮かべることに気づく。

別世界で生きていると思っていた人が、はじめて同じ大地に立っていることを知る。

とても人間らしく、私の心臓を握ってくる人だと思った。

彼は少し潤んだ目をして、顔を赤らめて絆創膏を受け取った。


「改めてまして、鈴木 隼斗です。よろしくね、武藤さん」

「えっと……」


何がよろしくだろう、と考えがまとまらない。

今なにが起きているのか整理しなくてはと首を傾げていると、だんだんと彼の口角が吊り上がっていく。

ぱっと顔を反らされ、さぎうさのリードを引っ張って立ち上がる。


「さ、さぎうさ! 帰るぞっ!」

「バウッ!」


彼とさぎうさの主従関係が逆転し、さぎうさが勢いで公園の出口へと走っていく。

体重の重いさぎうさに引っ張られ、彼は足をもつれさせながら走っていた。


「また明日学校でね! 武藤さん!」


まるで嵐だ。 勢いばかりで私の内側を荒らしたあと、一瞬にして去ってしまう。


「意味がわからない……」


何の冗談を言いたかったのだろう。

学校の隅っこに生きる人種をからかって彼にメリットはない。

私と彼の認識は異なるのかもしれない。

コミュニケーションの下手くそな私はとんでもない聞き間違いをしているのだろう。

そうでなければ私なんぞが彼の目に留まるはずもない。


……だが後日、それは本気だったと判明。

なんだかんだで断ることが出来ずにいた。