青年の笑いがおさまる頃には、私も少し、落ち着きを取り戻していた。

「あの」

「何?」

「私、帰り道を探しているんです」

「……うん。知ってる」

「え?」

「迷い込んでしまったんだろう?」

その一言で、彼が何かを知っているのだと確信した。

「あの、ここはどこなんですか?」

「……ついてきて」

直球で問うた私の言葉には答えず、青年は徐にこちらに背を向け、歩き始めた。私は急いで後を追い、彼の横に並ぶ。

「どこに行くんですか?」

「まずは面を買う。その姿じゃ、目立ち過ぎる」

「面?」

「俺たちがつけている、これ。ほら、周りを見てごらん」

そう言われて、改めてあたりをぐるりと見回した。目に映るのは、ごった返した人で賑わう、ありふれた祭りの一会場。あたたかくて、どこか懐かしさを感じさせるその風景の、しかしある一点がはっきりと異質だった。

“面”だ。

そこを行き交う人々の顔には、悉く、その全てに面が貼りついていた。先ほどまでは置かれた状況に困惑するばかりで気にもしていなかったが、こうやって改めて冷静に見ると、明らかに異様な光景だ。

そしてこの世界で、私だけが何の面も身につけていなかった。これではどちらが異常なのか分からなくなる。形を潜めつつあった恐怖が、むくりむくりと、私の中で再び首をもたげ始めようとしていた。

不安が顔に出ていたのだろうか。チラとこちらを見た青年は、私に優しく語りかけた。

「ごめん、不安にさせたかな。大丈夫。俺を見て」

「……」

「君は何も心配しなくていい。必ず帰してあげる」

言い聞かせるように、ゆっくりと、青年はそう言った。今日、ついさっき会ったばかりなのに。彼の声を聞くと、なぜだか私は、ひどく安心した。

「……ありがとうございます」

そう伝えた声は掠れていて、自分でも驚いた。ちゃんと届いたかは分からない。けれど確かに頷いた青年が、面の奥、優しく微笑んだような気がした。



*** ***



 皆がそれぞれ何かしらの面をつけているという点以外、ここにあるのはありきたりな祭りの風景だ。

ずらりと並ぶ屋台の数々。先ほど、私の横を歩く彼は『不味い』と語ったけれど、どう考えても食欲をそそる香りがあちこちから漂ってくる。

子どもたちの笑い声と、太鼓に笛の音、 祭囃子(まつりばやし) 行燈(あんどん) 提灯(ちょうちん)、飾られたその他様々な照明のオレンジ色が、世界を明るく照らし出す。

絵に描いたような『楽しい』景色の中、不安を抱えて彷徨う私は、どこかちぐはぐな存在だった。頼れるのは隣にいる、一人の青年だけ。

「名前」

「うん?」

「あの、名前、聞いてもいいですか?」

行き交う人々の間を縫って、二人歩いている途中。私は彼の名前をまだ聞いていなかったことに気がついた。知らなくてもいいことなのかもしれない。けれど、知りたいと思った。明確な理由はない。それでも無性に、知りたいと思ったから。ただ、それだけのこと。

「俺の?」

「はい。私は 蓮山千晴(はすやまちはる)です。あなたは?」

「……狐」

「え?」

「化け狐に名前なんてない」

彼は自分の面を指さして、少し首を傾げてみせた。

「えっと……」

「好きに呼ぶといい」

「……狐さん」

「それでいいよ」

自分のことを化け狐だと語る青年。その言葉は、どこまでが真実なのだろう。もうこちらを見ていない彼に、私はそっと視線を向ける。私より高い位置にある顔を見ようとすると、自然、少しだけ見上げるような形になった。面と顔の間、そこにわずかな隙間ができている。そこから、顔の輪郭をなぞるラインの線上、顎と左耳の丁度真ん中あたりに、ポツリと一つ、 黒子(ほくろ)が見えた。もう少し、もう少し目を凝らせばその奥が、隠された素顔が、見えそうで。

しかし結局のところ、そんな小さな隙間から彼の本当の顔を知ることなんて、できる訳もなかった。