ふわりと意識が浮上する。私は、病院のベッドの上に横たわっていた。
視界に映る、見慣れた白い天井。ピッピッと規則正しくリズムを刻むのは、心電図モニターの音だろうか。
夢を、見ていた気がする。長い、長い、夢を。
夢の中、私は何をしていたんだっけ。なんだかぼんやりする頭で、少しずつ記憶を辿る。
階段。確か、私は階段を降りていた。段々と周りが暗くなって、こわくて振り返りたくなって。でも、振り返ってはいけないと言われたから。
言われた。誰に?
言いつけを守って、最後の一段。やっと地面に足がついたと思ったら、急に視界がぐにゃりと歪んで。暗転。そこからの記憶は、ない。今、目覚めたら私はここにいた。
「千晴? 千晴!」
突然、名前を呼ばれ、まだ寝ぼけていた頭が少しだけ覚醒する。
「千晴、目が覚めたんだな!」
声がする方に首をそっと向ける。そこには、両親と、白衣の男性の姿があった。
「千晴さん、分かりますか? ちょっと眩しくなりますよ」
白衣の男性は、よく見るといつもお世話になっている私の主治医の先生だった。ヒョロヒョロした体躯がなんだか今にも折れてしまいそうで、実はいつも心配している。
先生が、胸ポケットに入れていたペンライトのようなものを、私の目に翳す。言われた通り、その光は寝起きの目にはかなり眩しい。
「よく頑張りましたね」
そう言った彼が、私の頭を優しく撫でた。
「お父さん、お母さん。手術は昨夜お伝えした通り、無事に終了しています。今、意識も戻りました。これで峠は越えましたよ。もう大丈夫です」
「先生、本当に、ありがとうございました」
母が泣き崩れる。そんな母の肩を支えながら、父はしきりに先生に向かって頭を下げていた。
先生が言っていた昨夜の手術。そう、私は昨日の朝から、約十時間に及ぶ大きな手術を受けた。成功率は半々。このまま目覚めない可能性もあるという説明を受け、それでもこの心臓が完治する未来に賭けた。手術が終わった後、そのまま眠り続けた私は、翌日の夕方になってようやく意識を取り戻したのだ。
目覚めてからは少し 忙しなかった。看護師さんや他の先生たちが、順番に私の容態をチェックしたり、点滴をかえたりと、入れ替わり立ち替わり病室にやってきたから。
それがひと段落すると両親も、「家から着替えを取ってまた戻る」と言い残し、そうして一度、病室を後にした。
誰もいなくなり、静かになった病室で。私はようやく一人、ゆっくり考えに耽ることを許された。思い出しかけていた夢の続き。私は目を閉じ、意識を集中させる。すると掌に触れる、何やら柔らかい感触に気がついた。右手をそっと持ち上げる。
私は、ずっと何かを握りしめていた。
ゆっくりと手を開く。
そこに握られていたのは、赤い、お守り。
「あっ……」
それを目にした瞬間、バラバラになっていた記憶のパーツが瞬く間にはまっていった。夢、違う。夢なんかじゃない。これは、確かにあった、私の記憶。
此岸と彼岸の狭間の世界と、そこで出会った様々な人たち。秋さん、それから、彗にぃ。
彗にぃがこの部屋からいなくなって、約一年の月日が経っていた。
全てを思い出した。途端に、私の目から涙が溢れる。
「彗にぃ」
再び出会い、そして別れた、大切な人。
頬を伝う涙を拭おうと、腕を持ち上げる。手術を終えたばかりの体は、重く、そんな些細な動きさえ、今は億劫になる。
重くて、重くて。
でも、きっと、これが命の重みなのだろう。
「私、帰ってきたんだね」
帰ってきた。この世界で、私は再び目を覚ました。だから、ここで、もう一度生きていく。救われたこの命を、大事に抱えて。
腕にぐいっと力を入れて、涙を拭った。それからゆっくりと、窓の外に視線を向ける。そこにあるのは、見慣れた景色。そのはずなのに。
瞳に映るそれは、驚くほどの色彩を帯びていた。
視界に映る、見慣れた白い天井。ピッピッと規則正しくリズムを刻むのは、心電図モニターの音だろうか。
夢を、見ていた気がする。長い、長い、夢を。
夢の中、私は何をしていたんだっけ。なんだかぼんやりする頭で、少しずつ記憶を辿る。
階段。確か、私は階段を降りていた。段々と周りが暗くなって、こわくて振り返りたくなって。でも、振り返ってはいけないと言われたから。
言われた。誰に?
言いつけを守って、最後の一段。やっと地面に足がついたと思ったら、急に視界がぐにゃりと歪んで。暗転。そこからの記憶は、ない。今、目覚めたら私はここにいた。
「千晴? 千晴!」
突然、名前を呼ばれ、まだ寝ぼけていた頭が少しだけ覚醒する。
「千晴、目が覚めたんだな!」
声がする方に首をそっと向ける。そこには、両親と、白衣の男性の姿があった。
「千晴さん、分かりますか? ちょっと眩しくなりますよ」
白衣の男性は、よく見るといつもお世話になっている私の主治医の先生だった。ヒョロヒョロした体躯がなんだか今にも折れてしまいそうで、実はいつも心配している。
先生が、胸ポケットに入れていたペンライトのようなものを、私の目に翳す。言われた通り、その光は寝起きの目にはかなり眩しい。
「よく頑張りましたね」
そう言った彼が、私の頭を優しく撫でた。
「お父さん、お母さん。手術は昨夜お伝えした通り、無事に終了しています。今、意識も戻りました。これで峠は越えましたよ。もう大丈夫です」
「先生、本当に、ありがとうございました」
母が泣き崩れる。そんな母の肩を支えながら、父はしきりに先生に向かって頭を下げていた。
先生が言っていた昨夜の手術。そう、私は昨日の朝から、約十時間に及ぶ大きな手術を受けた。成功率は半々。このまま目覚めない可能性もあるという説明を受け、それでもこの心臓が完治する未来に賭けた。手術が終わった後、そのまま眠り続けた私は、翌日の夕方になってようやく意識を取り戻したのだ。
目覚めてからは少し 忙しなかった。看護師さんや他の先生たちが、順番に私の容態をチェックしたり、点滴をかえたりと、入れ替わり立ち替わり病室にやってきたから。
それがひと段落すると両親も、「家から着替えを取ってまた戻る」と言い残し、そうして一度、病室を後にした。
誰もいなくなり、静かになった病室で。私はようやく一人、ゆっくり考えに耽ることを許された。思い出しかけていた夢の続き。私は目を閉じ、意識を集中させる。すると掌に触れる、何やら柔らかい感触に気がついた。右手をそっと持ち上げる。
私は、ずっと何かを握りしめていた。
ゆっくりと手を開く。
そこに握られていたのは、赤い、お守り。
「あっ……」
それを目にした瞬間、バラバラになっていた記憶のパーツが瞬く間にはまっていった。夢、違う。夢なんかじゃない。これは、確かにあった、私の記憶。
此岸と彼岸の狭間の世界と、そこで出会った様々な人たち。秋さん、それから、彗にぃ。
彗にぃがこの部屋からいなくなって、約一年の月日が経っていた。
全てを思い出した。途端に、私の目から涙が溢れる。
「彗にぃ」
再び出会い、そして別れた、大切な人。
頬を伝う涙を拭おうと、腕を持ち上げる。手術を終えたばかりの体は、重く、そんな些細な動きさえ、今は億劫になる。
重くて、重くて。
でも、きっと、これが命の重みなのだろう。
「私、帰ってきたんだね」
帰ってきた。この世界で、私は再び目を覚ました。だから、ここで、もう一度生きていく。救われたこの命を、大事に抱えて。
腕にぐいっと力を入れて、涙を拭った。それからゆっくりと、窓の外に視線を向ける。そこにあるのは、見慣れた景色。そのはずなのに。
瞳に映るそれは、驚くほどの色彩を帯びていた。