「君はまだ緊張を解くべきじゃない。最初に言っただろう? 『千晴さんは今、これから死ぬか、それとも生きるか、生と死の、その境界線上に立っている存在なんだ』って」

言われて思い出す。確かに彼はそう、言っていた。

「ここから帰ることができなければ、千晴さんはそのまま死ぬことになる。これまでにも、そういう人を何人も見てきた」

「そんな」

「だからまだ気を緩めないで。ここに長くとどまれば、その先に待つのは死だ。帰らなければならない、帰る場所があるという思いを、強く持っていなさい」

「……」

「意識していないと、ここでは忘れる。取り込まれてしまうんだ。帰ろうとする意思がなくなれば必然、そのまま、ね。それから、もう一つ。先に一度言ったけれど、帰りたいならここの食べ物は決して口にしてはいけないよ」

「それも、帰れなくなるから、ですか?」

「うん。あ、さっきの水は例外だから安心してね」

その言葉でふと、ここに来てすぐ、ぶつかった女の子から林檎飴を差し出された時のことを思い出した。彗さんのあれはてっきり、食べたくないという私の気持ちを察しての行動だと思っていたけれど。本当は、私がこの世界の物を間違っても口にすることがないよう、守ってくれていたのだ。

そしてもう一つ。ここにきて、私はあることに思い至った。

「……あの」

「何かな?」

「秋さんは……彗さんも、さっきの男の子も……」

「……」

恐る恐る、言葉を繋いだ。秋さんは、黙ってじっと待っている。そんな彼を前に、私は努めて冷静であろうとしたが、張り裂けんばかりにドクンドクンと大きな音を立てる心臓の鼓動を、抑えることはできそうもなかった。

秋さんは私の戸惑いなんて、すぐ見破ってしまう。だから、今もきっとそう。もしかしたら、これから私が口にする問いも、既に察しがついているかもしれない。

それでも、何も言わずに、ただ黙って。

その余裕はもしかしたら、この話を始めた時点で“そのこと”に言及されることが分かっていたからかもしれない。意を決して、私は口を開いた。

「ここの人はみんな、私以外みんな“もう死んでしまっている”っていうことですか?」

言ってはいけないことかもしれなかった。けれど、聞かずにはいられなかった。だってそんなの……。

祈るような心地で、秋さんの返事を待つ。

「そうだよ」

その瞬間、周りから一切の音が消えた。秋さんの声だけが、まるでそこだけ切り取られたみたいにはっきりと耳に届く。

果たして返ってきたその言葉は、鉛のように重く、私の心にのしかかった。