君は絶対に幸せになる






 
 真夜中にふと目が覚めた。

 兵舎の狭い窓から見上げた月はまだ若く、頼りない姿をしていた。兎の一羽も住めないような、糸のように細い三日月だ。

 十五夜お月さん……と心の中で歌ってみる。 歌いながら、俺は次の満月を見ることはないんだなあ、と思う。
 出立は明日の昼。あと半日の命だ。

 俺の人生、これで終わりか。
 二十一年。
 じゅうぶん長かった気もするし、ずいぶん短かった気もする。

 しかしまあ、なかなかに好い人生だったんじゃないか。
 親に恵まれ、友に恵まれ、仲間に恵まれ――うん、好かった。楽しかった。
 頭も器量もたいしてよくない平々凡々な男の生涯にしては、これ以上ないくらいに幸せだった。

 とはいえ、おふくろはひどく泣くだろうなあ。
 おやじだって、見栄っ張りだから人前ではこらえるだろうが、隠れて涙を流すに違いない。
 仲間や友人たちも、何人かは泣いてくれるだろう。

 疑いもなくそう思えるというのは、やはり俺が両親に愛されて育ち、好い友に囲まれて生きた幸せ者だったという紛れもない証なのだろう。

 俺は幸せ者だ。実に楽しい人生だった。
 この世に未練など何ひとつない。
 そう言い切れるはずだったのに、どうにも振り払えない面影があった。

 ついさっきまで見ていた夢。
 眠りにつく間際に彼女のことを考えていたからだろうか。

 夢の中で俺は、彼女と手をつないで、桜並木をのんびりと歩いていた。

 もう二度と桜を見ることはないのに。
 彼女と手をつなぐことなどないのに。

 もっと生きたかった、死にたくない――そんなふうには思いたくないのに。
 思ったら、せっかく決めた心が揺らいでしまう。
 揺らぐのはどうしようもなく苦しいから、考えたくない。

 それでも、俺を見上げる彼女の眼差しが脳裏に浮かんでくる。

 俺の勘違いでなければ、彼女は俺のことを憎からず思ってくれていたのだろう。
 俺だって好ましく思っていた。

 ほんの短い間の付き合いだったが、彼女の心根の優しさと清らかさは、いやというほど伝わってきた。
 家の手伝いや俺たち隊員の世話をひたむきに頑張る姿も、愛らしい笑顔も、可憐に笑う声も、なにもかも忘れがたく、思うほどに苦しくなる。

 ついさっき、最後のお別れをしてきたところだった。
 出撃の決まった夜に書いた『君に幸あれ』という手紙を、誰にも見られないようにこっそりと彼女に渡した。

 本当はもっと書きたいことがあったが、そう書くだけで精一杯だった。
 万年筆を握った手が震えてしまって、その五文字しか書けなかったのだ。

 手紙には書けなかったが、彼女を目の前にしたら、不思議と力が湧いてきて、

『君は絶対に幸せになる。俺が保証する』

 最後になんとかそれだけは自分の口で伝えられた。
 道化のわりに照れ屋な俺にしては、まあ及第点なんじゃないか。

 俺は夜空の月から目を戻し、身を起こして、枕元に置いていた小さな布人形を手に取った。

 おさげ髪の愛らしい少女を、じっと見つめる。
 戦地へ赴く兵士に贈られる『お守り人形』というやつだ。

 彼女が自分の手で縫ってくれた、自身をかたどった人形。
 別れ際に、渡してくれた。
 大きな瞳に、今にも溢れそうなくらいに涙をいっぱいに浮かべて、それでも堪えて、微笑みながら。

 その健気な表情を思い出しながら、お守り人形に目を落とす。
 お世辞にも巧いとは言えないかもしれないが、いかにも健気で可愛らしくて、まさに彼女そのものだ。

「……君は絶対に幸せになる。俺が保証する」

 俺は人形に向かって、もう一度そう囁きかけた。

 同時に何かが込み上げてきて、口から飛び出しそうになってしまったので、唇を噛んで必死に抑え込む。
 思わず人形を強く握りしめる。

 すると、何かがかさりと音を立てた。