昔から、本が好きだった。

一人になることが多く、時間潰しで読んでいた。

絵本、小説、漫画、解説本、基本なんでも読んだ。

特に好きだったのが、小説だった。

読んでるうちにその世界に引き込まれる感覚が好きだった。

文字で、繊細な心理描写をできるのがすごいと思った。

でも、小さいうちは「じゃあ自分で書こう」だなんて全然考えてなくて、ただの読者に過ぎなかった。

転機が訪れたのは、小一の時の国語だったと思う。

よくありがちな、この物語の続きを書きなさい、だか、この数枚の絵から物語を作りなさい、みたいな授業をした。

どういうふうに人の心が移り変わっていくのか、じゃあ誰がそこに立っているのか。

それを考えるのが、すごく楽しかった。

担任の先生は「上手だね」って褒めてくれた。

今思えば、それは“小学一年生”をやる気にさせるための一言だったんだと思う。

でも、私はちょっと浮かれたんだ。

私の執筆活動はそこから始まった───わけじゃないけど、ちょくちょく設定を書き連ねるようになった。

ノートに対面して、自分の考えてることを書き出すのが楽しかった。

自分が考えたことが物語として構成されていくのが嬉しかった。

でも、まだ小一だったから、正しい作文の仕方なんて分からなかった。

だから、文に起こすことはしなかった。

その時に書いた設定が、私の『今夜もまた、蝶が舞う』の設定の基盤となった。

小二になって、ある程度作文力がついてくると、拙くも文章を書き始めた。

ずっと本を読んでいたから、同年代の子達より色々な表現方法を知っていたし、たくさん言葉を知っていた。

とはいえ、所詮小二の戯れ。

まともな文章ではなく、今読み返してみると、少し気持ち悪い。



「なに書いてるの?」



と聞かれたことがあった。

お話書いてるの、みたいな答え方をしたのかな。

そしたら、楽しい?、って聞かれて、すぐにうん、とは頷けなかった記憶がある。

本格的に書き始めたのは小三からだった。

小三になると、思っていたよりも知識がつき、表現力が発達した。

でも、小三からは隠れてやってきた。

なんか言われたらやだな、ってまだ言われてもないのに隠してた。

ある時、



「本、おもしろい?」



って聞かれた。

うん、て迷わず答えた。

そしたら、自分は文字多いから嫌いなんだよね、って。

それ、わざわざ本好きの前で言うかな、ってすごく思って、言い返したくなったけど、そうなんだ、で済ませておいた。

かなり本格的に書き始めたのはそこからだった。

ろくに読みもしないくせに嫌いとか決めつけないでよ、ってすごく思って、今までよりたくさんの本を読んだ。

序文で引き込ませるために。





始まりの声は、突然だった。