映が亡くなって、4回目の春が来た。
 時間は一寸も狂うことなく進んでいき、私は大学4年生になった。

 そして雲ひとつない突き抜けるような青が頭上に広がる日。

「日依氏~! 個展開催おめでとうだよ~!」

 自分の顔より大きなカスミソウの花束を持って現れた夏葉に、私は顔を綻ばせた。かちっとしたフォーマルな衣装に身を包み、ずっと自分より目上の偉い人たちと話をしていたから、顔馴染みの友人の顔を見てほっと力が抜けたせいもある。

「夏葉、来てくれたんだ。ありがとう!」
「もちに決まってるじゃん! こちらこそ招待状ありがとう!」

 夏葉との再会は1ヶ月ぶり。高校を卒業し、大学は別々になってしまったけど、定期的に食事会を開き近況報告をおこなっていた。

 そして今日は念願の個展開催の日。

 私は音無先生からの推薦を受け、美大へ進学した。
 私の最後の大きな目標は、個展を開催すること。
 その夢に向かって、今日まで一心不乱に絵を描き続けてきた。コンクールなどに積極的に出展し少しずつ支援者を集め、クラウドファウンディングで資金を募って、ついに晴れの日を迎えることができたのだ。

 この小ホールには私の絵しかない。そんな私の心の中を具現化したような空間に、地域の人や知り合いがわざわざ足を運んで絵を見に来てくれる、それは今でも少し不思議な感覚だ。

「どれどれ。じゃあ、見せてもらおうかな」

 夏葉がちょっと渋い声でそんなことを言うから、私は吹き出しながらエスコートする。

「どうぞ、こちらです」
「どうもどうも。お? この景色はなに?」

 夏葉がまず足を止めたのは、田畑に囲まれた一本道の絵の前だった。
 どこにでもあるような、ありふれたなんてことない景色。でも、私と彼が生きた街。

「この絵は高校の通学路の景色。この道を映と並んで歩いてたんだ」

 私の口から出たその名前に、夏葉がわずかにぴくりと眉根を寄せる。

「映氏……」

 私は夏葉の心配そうな眼差しに小さく笑い返し、次の絵を指す。

「それでこれが、一緒に秘密基地を作った公園。これが一緒に行った海。これが私たちの幼稚園」

 すると夏葉は、ぐるりと360度を見回すようにして呟いた。

「すごいね。この空間全部が映氏なんだ。日依氏の心は全部、映氏なんだね」

 市民センターの一角の小ホール。その小さな四角い空間は、映との思い出で埋まっていた。
 この個展は私の生きた証。そして私の21年の軌跡を振り返った時、そこにはいつだって映がいた。私の生きた証、それは映そのものだった。

「うん……。本当は映に見てもらいたかったんだけど……」
「きっと見てくれてるよ、日依氏の1番のファンなんだから」
「へへ、そうだといいな」

 ひとつひとつの風景を説明しながら、ホールの中を進んでいく。
 そして順路の最後の一角に来た時、夏葉が「あっ……」と声を漏らした。
 区切られた小さな空間、そこには3面に渡って映の姿を描いた何枚もの絵が飾られている。

「映氏だ……」
「うん」

 映が亡くなってから、私はなにかに駆り立てられるように映の絵を描き続けた。
 瞼の奥に次から次へと映の姿があふれて、一瞬の姿も見逃すまいとキャンバスにその姿を映した。

「これ、すごいね……」

 夏葉が圧倒されるように見上げているのは、映がスマホのカメラを構えている絵だ。
 その横には、浜辺で笑う私の写真――私の遺影が飾られている。私の描いた絵と映の撮ったの写真、それが対になるようになっている。
 映が私の遺影を撮ってくれたあの時、私も瞳のシャッターを押したのだ。夕陽と海を背にカメラを構えて笑う映は、とても絵になって綺麗だったから。

「映氏はさ、日依氏と生きられてこんなに幸せだったんだ。映氏の全部で日依氏を愛してたんだ。ね?」

 涙を浮かべ、感情を共有するように私を見上げてくる夏葉。
 夏葉の呟き声は琴線に触れて、涙の波を呼び起こす。
 そう。君は、一生分愛した人でした。
 私は顔面をくしゃりと崩し、泣き笑いを作った。

「うん……っ」

 私にあと何年残されているかわからない。どれだけ映に触れたら、どれだけ命が短くなるか、はっきりしたことはわかっていないから。
 その日はもしかしたら数年かもしれないし、あるいは明日かもしれない。
 何度もいつか終わりの来るレールの上を生きることに怯えたけれど、私に遺された命には意味があった。
 今の私なら、いつその日が来たとしても、生き切った!って悔いなくこの世に手を振ることができる気がしているのだ。
 そのくらい必死に懸命に一瞬一瞬をこの瞳に刻みながら、毎日を生きている。

 映が命を懸けて繋いでくれた私の命。私は最期の時まで、君への愛を胸に精いっぱい生きていくよ。
 だからどうか、もう少しだけ待っていてね。
 いつかその時が来たら、一目散に君の元に駆けて行くから。




◻︎ 完