その後、映は保険医の先生に診てもらうことになった。
 ついていたいと懇願したけれど、私自身の心を休めた方がいいと先生に帰ることを促された。

 学校を出て、それからどうやって駅まで歩いてきたのかよく覚えていない。ただどこか遠くに行きたくて、私の足はふらふらと考えるより先に駅に向かっていた。

 帰宅ラッシュ前の無人駅は、ひとけがなくあまりに静かだ。
 次の電車が来るまで20分。電車が来るまでホームの端っこでぼーっと立ち尽くす。
 冷たい風と、たまに来る反対車線の電車が、私の髪を乱暴に揺らしていく。

「映……」

 頭に浮かぶのは彼のことばかり。
 痛くて耐えられない隙間を埋めるため、スマホを取り出そうとする。と、スクールバッグの中を探った指先になにか固いものが当たった。
 明らかに教科書やノートではない。なんだろう……と思いながらそれを取り出すと、それは【日依へ】と書かれた白い封筒だった。その封筒は事故の時、映が持っていたもの。映に返そうと思って、ずっとスクールバッグの中に入れっぱなしだったのだ。

 映に触れたくて、まるで縋る先を求めるように、一心不乱に封筒を開けていた。
 あの日映が私に伝えたかったことが、そこには記されている。そう思うと、遅れて少しの緊張も芽生える。
 そうして震える指で便箋を開くと、そこには少し角ばった綺麗な字が行儀よく並んでいた。

【日依がこの手紙を読んでるってことは、俺は告白したってことだよな】

 思いがけない書き出しに、私はこくりと唾を飲み込んだ。

 告白……? あの日、映は私に告白をするつもりだったの……?

 それから私は、続きのメッセージへ食い入るように視線を走らせた。

【日依の答えがイエスでもノーでも、俺の気持ちはこれから先も変わらない。
最愛の相手になれなかったとしても、日依を守るのは俺がいい。
くだらないことで笑い合って、泣き虫な日依が泣いてる時には涙を拭いて、怖い時には手を繋いで。
そうやって今までと変わらない距離感で一緒に歩んでいけたらいいなって思う】

「どうして私なんかのために……」

 思わず震える声で呟くと、まるで私の気持ちを見透かしていたかのように、次に続くメッセージが返事をくれる。

【余命のことを本当は知ってるんだ、ごめん。
日依のことだから俺に心配をかけまいって俺が幸せになる道ばかり選ぼうとするだろうけど、俺は日依の隣にいたい。
それが俺の幸せだから。
俺は日依のことが好きなんだ、多分日依が思うよりもっと】

 今ではもう叶わなくなってしまったあの日の直向きな映の願いが、胸を切なく絞めつける。

 ずっと、映のすべてで、こんなにも愛されていたのだ。
 映の愛を思い、息もつけなくなる。いつだって私のことをまるごと包み込んでくれていた、火傷しそうになるほど容赦なく温かい愛を。

 カンカンと警報が鳴り、電車が間もなくホームに入ってくることを知らせた。

『間もなく一番線に電車が参ります。危ないので黄色い線からはみ出さないようにお待ちください』

 聞き慣れたアナウンスの後、風を巻き起こしながら電車がホームへ滑り込んできた。
 目の前に停まった電車のドアがプシューッと開き、私は便箋に視線を落としたまま足を踏み入れた。

 そして続くメッセージの最後には、ひっそりと一言。

【こんな俺だけど、君と生きさせてください】

 ――もう、限界だった。
 電車に乗り込み背後でドアが閉まった途端、我慢の糸がついにぷつりと切れて涙腺と感情の器は壊れ、膝から崩れ落ちて嗚咽した。

「ふ、う……っ、う……う」

 こんなにまっすぐで眩しいほど切実な思いでいてくれたのに、映はそれを私のために自ら手放したのだ。

 ――映。
 ――映。
 ――映。

 生きていたかった。映と、10年の時を刻みたかった。まだまだ一緒にやりたいことも、一緒に見たい景色も、数えきれないほどあった。
 でもそれは、君も一緒だったんだね。

「ううぅ……」

 胸が痛い。愛おしさと切なさと苦しさが一気に込み上げてきて、息もつけなくなる。
 大好きだよ、映。この世界の愛を集めても足りないくらい、映のことだけがこれまでもこれからもずっと。

 まわりの視線も気にせず、私は嗚咽を漏らしながら大粒の涙を流し続けた。