「もう大丈夫だから」

 映がそう言って笑ったのは、10分ほど経った頃だった。

「……うん」
「家まで送るよ」

 時刻は19時少し過ぎ。私が早く帰らないと、お父さんとお母さんが心配すると気遣ってくれたのだろう。
 でもこのまま映を独りにするのは、なんだか気が進まなかった。
 ストーブを点けてもなかなか暖まらないこの広い家で、映はひとりで夜を明かすのだ。映にとって今夜はどれだけ長い夜になるだろう。
 そう思ったら、せめて今夜だけでも隣にいたいと思った。
 私は映に向き直るようにソファーの上で座り直す。そして勇気を振り絞って切り出す。

「私、今日ここに泊まってもいいかな」
「は?」

 映はぽかんと目を見張った。そしてすぐに私を安心させるように、ぽんと頭に手のひらを置く。

「今日は帰ろうな。俺は大丈夫だから」
「でも、私がここにいたいの」

 私が食い下がると、映の顔がほんの少し険しくなった。
「日依」と私の名前を呼ぶ声は、ぴんと芯が通って穏やかながら怒っていた。今まで一度として私を叱ったりせずすべて受け止めてくれた映が、初めて私に対して怒っていた。
 ずいっと顔を寄せてくる。

「俺が男だってこと、わかって言ってる?」

 映の瞳に、見たことのない熱が揺らめく。
 私の知らないひどく大人びた表情に、ぞくりとした。静かだけど圧のある忠告に、思わず唾を飲み込む。けれどここで引き下がるわけにはいかなかった。
 私のエゴかもしれない。でも映を独りにしたくないと、その一心だった。

「わかってるよ。でも映が、私の嫌がるようなことはしないとも知ってる」

 すると映はため息をつき、なぜか小言を並べ始めた。過保護発動だ。

「日依は人を信用しすぎる。それがいいところだけど、俺は心配だよ。もっと警戒心をもって人を疑うことも覚えて。絶対に他の男にはそうやって簡単に気を許すなよ」
「でもこんなこと言うのは、映にだけだよ」

 最後の一押しが効いたのか、根負けしたというように映が額を押さえ、再びため息を吐きだす。そして苦々しく呟いた。

「おじさんとおばさんの許可が下りたらな」
「うん!」

 その後、スーパーで買った食材と共に急いで帰宅し、お母さんに事情を説明した。
 今夜だけ映と一緒にいたいと包み隠さず伝えると、お母さんは「映くんと一緒なら安心だわ」と二つ返事で受け入れてくれた。そして「お父さんにはうまく言っておくわ」とも。