一週間後。体育祭当日がやってきた。
 空には雲ひとつない秋晴れが広がり、グラウンドにはジャージに着替えた生徒たちの姿で溢れた。

「みなさん、おはようございます。今日は快晴、まさに絶好の体育祭日和ですね!」

 クラスごとに整列したところで開会式が始まり、溌溂とした校長の声が校庭に響き渡る。
 校長の話は毎度のことながら様々な脇道に逸れ、だらだらと長引いてきた。
 校長の話に飽きたのか、後ろの女子が隣に並ぶ女子と雑談を始めた。

「ねぇ、今日のフォークダンス、あの人のこと誘えた?」
「まだ誘えてないの。だって誘うってことは、気があることバレちゃうじゃん……!」

 ボリュームが抑えられているはずのその会話に思わず耳を澄ませてしまったのは、フォークダンスの話題を耳が拾ったからだ。

 体育祭のラストを飾るのは、全校生徒によるフォークダンスだ。
 けれどこの高校ならではなのは、通常のフォークダンスのようにくるくるとまわり相手を代えるのではなく、ひとりの相手と踊るというルールだ。
 そしてそのルール故に、我が高校のフォークダンスにはあるジンクスがある。それは意中の相手とフォークダンスを踊ると結ばれるというものだ。実際、体育祭の後はカップルが急増するらしい。
 そういったジンクスもあり、体育祭の前はだれを誘うか、校内全体が色めきだつ。

 私は自分のことより、映のことを考えていた。
 異性から人気な男子には相当数のお誘いがあるらしい。ということは、女子たちから絶大な人気を誇る映もまた、大勢の女子から誘いを受けるのだろう。

 私はもちろん快く送り出すつもりだ。
 これがきっかけとなって映に彼女ができたら、それが一番いい。そうしたら私はそっと映のそばを離れることができる。

「それでは怪我のないように、安全第一で体育祭を楽しみましょう」

 20分ほどの長話ののち、校長先生が満足そうに演説を締めた。
 それから開会式はつつがなく終わり一旦解散となって、生徒たちはそれぞれの持ち場へと向かう。

「だる~」
「サボっちゃう?」

 活気で溢れるかと思いきや、憂鬱そうな空気の方が優勢を占めている。夏葉もそのひとりだ。

「うう、卓球のを空振りして笑い者になる未来が見える……」

 ジャージの裾を握り、顔を歪めて泣き顔を作る夏葉。

「大丈夫。球から目を離さないようにするんだよ」
「できるかなぁ……」
「映と一緒に応援に行くから」
「うん……」
「じゃあね、夏葉。私、1ゲーム目だから行ってくるね!」
「すばる氏、頑張れ……!」

 夏葉の応援を背に受け、私は早速体育館に向かう。
 体育館にはすでにネットが貼られており、至るところで生徒たちがウォームアップを始めている。私も急いでクラスの輪に加わり、屈伸をする。
 私たちのクラスの相手は、上学年である3年生のクラスだ。なんでもこの夏部活を引退したばかりの元バレー部員が3人もいるらしい。つまり1戦目から強敵だ。
 けれどゲームはトーナメント方式のため、一度でも負ければそこで出番は終了だから、1戦目からみすみす負けるわけにはいかない。

「気合い、入れてくよ!」

 私のチームのキャプテンが円陣で喝を入れる。

 審判の先生とラインズマンの生徒、そして選手たちがそれぞれの配置につくと甲高いホイッスルの音が鳴り響き、各コートで一斉に試合が始まった。

 けれど予想外だったのが、私のチームの強さだった。全員体育でしかバレーをやったことない程度なのに、一試合目から強敵相手に大差をつけ圧勝したかと思うと、次から次に相手チームを薙ぎ倒していく。特にスパイクなんて、どこからそんな力が出ているのかと目を見張らずにはいられないほど。

 そんな予想外が起きたことで、ある計算違いが生じた。それはトーナメントが進むことによって、3ゲーム目に予定されている映のクラスのサッカーの試合に間に合わないかもしれなくなるということだ。
 こうなったら、仕方ない。一点で先に勝って、試合を早く終わらせるしかない。そうして映の勇姿を見に行くのだ。
 私は自分自身を奮い立たせ、それから自分で言うのもなんだけれど、ボールを拾ってトスしてスパイクしてと、チームの勝利に大きく貢献した。
 そして結果はなんと上級生やバレー部員たちを退け、優勝。
 
「やったー! 優勝だって! うちら、やばくない!?」

 決勝戦で最後の点をとった直後、コートには歓喜の渦が起こった。
 私も輪の中に駆け寄ろうとした、その時。ズキンッと頭の奥にナイフが差し込まれたかのような鋭い痛みが走り、私は思わず頭を押さえた。

「いっ……」

 小さな呻き声は、だれの耳に届くこともなくはしゃいだ喧噪にかき消される。

 激しい運動は控えるようにと医師から言われているのに、少し頑張りすぎてしまったかもしれない。
 外れた輪の外から、優勝に盛り上がっているチームメイトたちを見やる。
 時々こうして、急にまわりの同級生たちが遠くに思えて心の底が冷える時がある。体の中に時限爆弾を抱えた私と、眩しいほどの青春という時間を時折もがきながらも謳歌するみんなの間には大きな隔たりがあって、それを飛び越えることはできないのだ。
 きっとみんなは、人生の残り時間を憂うことも、ずっとどこかで私のことを見張っている死の影に怯えることもない。そんなきらきらした同級生たちに手を伸ばそうとすると、あまりの眩しさで指先を火傷しそうになる。
 多分私はこの先もずっと、手放しでなにかに夢中になって喜んだり幸せを感じたりすることはできないのだろう。
 なんで私だけこんな思いをしなきゃいけないの。なんで私だけが年相応の当たり前の幸せを奪われなきゃいけないの。私じゃなくても、もっと適当に生きてる人だって、生きたくないと願っている人だっているのに――何度、不公平さを恨んだだろう。でもだれも答えをくれはしない。
 ささくれ立つ心を持て余す。最近はもう怒りよりも諦めの方が先に心を占めるようになっていた。まわりのみんなに嫉妬する自分への自己嫌悪にも胸が詰まる。
 いるかもわからない神様を恨むことにはもう飽きた。

 痛みを散らし、叱咤するように頭を振る。みんなの方に駆け寄る頃にはもう、いつもの私の仮面とマントを身に纏って。