「あ。あそこの山、紅葉してるよ」
「ほんとだ」
「秋ですなぁ」
「秋だねぇ」
昼休み。夏葉と中庭のベンチに並んで座り、遠くの山を見ながら秋を感じてしみじみしていると、駆け寄ってくる足音があった。
「悪い、遅くなった」
夏葉とシンクロしながら振り返ると、そこには水色のランチトートを抱え走ってきた映が立っていた。
「え、ふたりとも食べずに待っててくれたのか?」
「そんなに待ってないし、お腹空いてないから大丈夫だよ」
「そうそう! うちらが遅い時も、映氏待ってくれてるじゃん♪」
お弁当は、こうして映と夏葉と3人で高校の中庭で食べるのが習慣になっていた。窮屈な勉強の息抜きでもあるし、心落ち着く大切な時間だ。
3人揃ったところで円になって石畳の上にハンカチを敷いて腰を下ろし、各々のお弁当を膝の上で広げる。
「ほんとごめん。体育祭の競技決めてたらHRが延びちゃって」
「もう来週だもんね、体育祭」
うちの高校は文化祭と体育祭が1年ごとに交互におこなわれる。去年は文化祭だったから、高校に入学して初めての体育祭というわけだ。
「そっちのクラスはもう決まってる?」
「うん、もうだいぶ前に。私がバレーで、夏葉が卓球だよ」
体育が嫌いな夏葉が憂鬱そうに沈んだ表情を浮かべる。
「卓球しかできないんよ、うち……。選択肢なんてないのと等しい……」
「俺、夏葉ちゃんの応援行くよ」
「映氏、神様すぎん……!?」
子犬のように目を潤ませ、映のことを見つめている夏葉。
いつもの光景に笑いながら、私は映に問う。
「それで体育祭で出場する競技は無事に決まったの?」
「ああ、決まったよ」
続けて口を動かそうとする映を、私は遮る。
「あ、待って。私、当ててもいい?」
「ん、いーよ」
映は運動神経が抜群だ。昔はそんな印象なかったのに、今では校内中に身体能力の高さが広まり、様々な部活からスカウトを受けているほどだ。だから映像研究部に入るとなった時は、反対の声が多く挙がったのを記憶している。今も大会が行われるたびに、あちこちから助っ人選手として呼ばれているらしい。
映はとても足が速い。長い手足を動かし走っている姿が真っ先に頭に浮かんだ。
「リレー?」
「あー、リレーやりたかったんだけど、希望者が多くて違うのにした」
「サッカー!」
隣から夏葉が挙手して割って入る。
けれどこれも映は首を横に振った。
「んー、違うな」
「じゃあバスケ?」
「正解」
私の回答に映が笑う。
「うわ! バスケしてる映氏なんて絶対かっこいいに決まってるじゃん……!」
夏葉が、まるで私の心の中を読んだかのようなタイミングで声をあげる。
クラスが違う私は、滅多に映が運動している姿を見ることができない。だから体育祭は、映の勇姿を拝むことのできるまたとないチャンスなのだ。
体育祭がますます楽しみになってしまうじゃないか。
「うちらも応援に行かなくちゃだね、日依氏!」
「だねっ」
卵焼きを箸で摘まみながらそう答えると、夏葉がなにかに気づいたように私と映を交互に見た。
ちょうど、映も卵焼きを口に運ぼうとしていたところだった。
「ふたりの卵焼き、おいしそ~! 毎日日依氏が作ってるんだもんね」
「そう。おいしいんだ、すごく」
夏葉の言うとおり、私は毎朝早起きして映の分もお弁当を作っている。
そうしようと思い立ったのは、映が毎日コンビニで買ったおにぎりばかり食べていたからだ。
映には、お弁当を作ってくれる母親がいない。あるのは毎月おばさんから口座に振り込まれる数万円だけ。
コンビニのおにぎりだけでは栄養がとれないし、お昼だけでも人の手によって作られたものを食べてほしいと思い、高校生になる春休み、お母さんに料理を習い始めた。映には何度も遠慮されたけど、料理にハマったとかなんとか理由をつけて、2年近くふたり分のお弁当を作り続けている。
「愛だねぇ」
私の気持ちを知っている夏葉がにやにやと笑う。
けれど私は、その壮大な響きに咄嗟に慌ててしまった。
「そ、そんなんじゃないよ……っ」
咄嗟に出た声は、攻撃の色をはらんでいた。そして舌が空回っているのも構わず、ブレーキの壊れた車のように口が走る。
「本当は、いつまでも幼なじみが作ったこんなお弁当なんて食べられてちゃ困るの……っ。早く手作り弁当を作ってくれる彼女ができたらいいのにって思ってるんだから」
違う、こんなことを言いたいわけじゃないのに。こんな突き放すような言い方したくなかった。でもそう思ってももう遅い。
実のことを言ってしまえば、この前神宮寺くんに言われた言葉が今もまだ耳の中に残って尾を引き、あの日に捕らわれたままでいた。
「日依氏、それブーメラン」
「私はいいの! 彼氏なんて作る気ないから」
「日依……」
……ああ、顔なんて上げなければよかった。
顔を上げた先で、映が私を見つめていた。その眼差しは真剣で切実で、映にその気はなくとも私の嘘を咎めてくるようだった。
映の黒目の輪郭がじわっとぼやけて見えたのは、私の視界がわずかに湿りを帯びたせい。
「日依は早く俺に彼女作ってほしい?」
私は映から目をそらした。感情を見透かされそうな映の瞳に晒され、逃げたのだ。そして自分の抱える嘘に耐えられなかった。
「も、もちろん……。そろそろ幼なじみ離れしてもらわなきゃ困るよ」
鉛のように喉につかえながら吐き出した言葉は、自分の身に襲い掛かってきた。
本当に幼なじみ離れできていないのは私の方なのに、なにを言っているのだろう。
「まあまあ! 仲良し幼なじみってことでいいじゃん!」
不穏な空気を察した夏葉が割って入る。
と、それに続くように午後の授業が始まる予鈴が鳴った。
私は映の顔が見られなかった。