「率直に申し上げますと、日依さんの余命は10年です」
いつだって終わりは足音もなく私のすぐそばまで迫っているものだ。そして逃げる間もなく、ちっぽけで無力な私のことなんて覆いつくして飲み込んでしまう。
信じていたはずの世界なんて、前触れもなく1日で反転してしまうのだ。
50代前半くらいだと思われる医師が神経質そうな表情を崩すことなく放った言葉はあまりに事務的で、言葉としての輪郭を認識するのにほんの少しの時間を要した。
「厳密には、この診断がついてからの平均寿命が10年ということです」
眼鏡の奥の瞳は窺い知れないけれど、多分こういう機会はもう何度も経験してきているのだろう。その声音からは一切の同情や動揺の色を削ぎ落としていることがわかった。
そうしてわずかなタイムラグののち頭の中で咀嚼した言葉はあまりに現実離れしていて、自分に向けられているものだと気づけなかった。
先々月あたりから急な眩暈に襲われたり、動悸や手足の痺れが気になるようになっていた。私は全然気に留めていなかったのだけど、お父さんとお母さんがひどく心配して病院に行くことを何度も勧めてきたため、どちらかといえば両親の気休めになればと思って近くの大学病院を受診しただけだった。
どうせただの風邪かなにかだろうと軽く考えていたのに、あれよあれよという間にいくつかの重々しい機械で検査を受けさせられ、結果まさかこんなことになるなんて。
漠然とまだまだ続くんだろうと思っていた未来への道が突然断絶され、突然タイムリミットが設定された。
この事実を、どれだけの人生の経験値を積んでいれば受け止めることができただろう。もちろん私には受け止めることなんてできなかった。
心が震え、そしてそれは体へと伝播し、ぎゅっと握りしめた拳と、それを置いた膝とががたがたと震え始めた。息をしている実感はなく、かろうじて自我を保っているだけで精いっぱいだった。
私、死ぬの……?
あと10年で自分が死ぬなんて想像ができなかった。
信じられない。
信じたくない。
現に今、私の体はぴんぴんしていて、こうして普通に診察室の丸椅子に座っている。
こんなに元気なのに。
私は普通の女子高生なのに。
これがもっと不調だらけで、あなたの余命は数か月ですとでも言われたら、もっと現実味があったのかもしれない。
まだ17歳。人生100年だとするならば、半分にだって全然達していないのだ。
夢なら早く覚めて。お願いだから、覚めて。
そう願うのに、目の前の景色は揺らぐことなくそこに在るばかり。
「どうにかならないんですか……!」
「うちの子を助けてください先生っ」
お父さんとお母さんの悲痛な叫びが耳朶を打つ。けれど、振り返り、いつもみたいに笑って「大丈夫だよ」となだめるほどの気力はもうなかった。
「厳しいことを言うようですが、今の医学では有効な治療法がありません。症例が少ないために研究が進んでいないのです」
まるで余計な感情をそこに介入させないように、つらつらと言葉を並べていく医師。
そこにお父さんとお母さんの嗚咽が重なる。ふたりの泣き声は、耳の奥で幾重もの波紋を作りこだました。
その後、なぜか私だけ診察室から出され、両親ふたりで医師から続けて説明を聞くことになった。
診察室から出てきたふたりはまるで魂の抜けた抜け殻のようで、病名は長くて難しいからと、なぜか教えてくれようとしなかった。ただ、心臓に関するすごく珍しい病気なのだと、すごくふんわりとした表現で伝えられている。
そこまで話しにくいのなら、あえて深掘りしようとも思わなかった。病気のことを知れば、逃げ場のない現実と向き合わなければいけないような気がして。このふわふわと曖昧な状態でいれば、なんだかそれは夢物語のような、ドラマの中の世界のような、そんな他人事でいられる。
現実を遠ざけること、それが唯一の逃げ道だった。
それに私の前に立ちはだかる揺るぎない事実は、自分にはあと10年しか残っていないということだけ。そこに至る原因なんて、途方もなく大きな現実を前には、なんだかとても些末なことに思えていた。
これが高校2年生、今年の夏のこと。