「花嫁様の様子はどうでしたか?」

 珀弧が自室に戻り一息ついたころ、襖が開き白い割烹着姿の凛子がお茶を持って現れた。その問いに珀弧の眉がピクリと上がる。

「違うと言っただろう」
「ですが、珀弧様が女性をこの屋敷に連れて来るなんて初めてのことではありませんか。先代が亡くなって早数百年、ばあやはどれほどこのときを待っていたか」

 おいおいと泣き真似をする凛子を、珀弧は冷めた目で見る。早く嫁を、後継を、それを見届けるまで死ねませんと言われ数百年経つが、まったく死ぬ気配はない。
 しかも、凛子は二十代の女性の姿をしており、ばあやという言葉がなんともちぐはぐだ。

「化け猫といえど化けるにもほどがあるだろう」
「何か仰いました?」
「いや、なにも」

 凛子が、ロンとコウとはまた違う猫耳と二股に別れた尻尾をピンと立たさると、反射的に珀弧は居住まいを正す。それを見て、よろしい、とばかりに頷くと、凛子は顎に手を当てた。

「それにしても随分痩せていらっしゃいましたね。人間を見るのは久しいですが、もっとふっくら美味しそうでしたのに」

 ペロリ、と舌舐めずりするのを見て見ぬふりをして、珀弧はパンパンと手を打った。すると、トタトタ、ドタドタと元気な足音がし、駒を手に持ったロンとコウが現れた。

「花嫁さん、僕が分かったよ!」
「左手が僕だって。左ってどっち?」

 ワイのワイと賑やかに話し続ける二人に対し、珀弧が手を上下に振り宥める。しかし、見分けて貰ったのが嬉しいのか二人はなかなか口を閉じない。

「おい! 黙れ。ただの毛玉に戻せるぞ」
「「ひゃ!」」

 二人がぴしゃんと正座をすると、珀弧は脇息に肘をつき鋭く細めた琥珀色の瞳を向ける。

「ロン、凍華の実家に行き育ての親がどんな人物か、どのように育ち廓にきたのか調べろ」 
「とうか?」
「花嫁様のことよ」

 首を傾げるロンに、凛子がわざと珀弧に聞こえるよう耳打ちする。
 珀弧のこまかみがピクピクと動くのを見て、袖で口元を隠し笑うのだから、もう呆れるしかない。

「コウは凍華の父親について調べろ。軍に忍び込まねばならないゆえ、気をつけるように」
「はい!」

 コウのほうが難しそうだと知ると、ロンは不満そうに口を尖らせた。

「それならロン、従妹の雨香についても探ってきてくれ。何か変わった様子があればすぐに知らせろ」
「はい!」

 二人は左右の手を挙げくるりと一回転するとそのまま姿を消した。
 やっと静かになったと一息つくも、凛子がにこにこ微笑んだまま立ち去ろうとしない。
 それどころが居心地悪く茶を飲む珀弧を横目に、自分の分の茶とお茶請けの煎餅までどこからともなく取り出してきた。どうやら長居をするつもりらしい。  

「ロンとコウを使役するなんて、花嫁様を随分気に入っておられるようでなによりです」
「くどい。そういう意味で連れてきたわけではない」
「ふふふ、ではそういうことにしておきましょう」
「……」

 凛子は、ほほほ、と楽しそうに笑う。完全に揶揄われているが、耳も尻尾も隠せないときから世話になっているせいか、言い返すことができない。
 そんなことよりも、と体裁を取り繕うように珀弧は空咳をひとつし、いつもより低い声を出した。

「お前、凍華がどの妖の血を継いでいるか理解しているか?」
「いいえ、猫又の私にそこまでの力はありません。きちんと食事の礼をしてくださり、他に用はないかと聞いてくれる気立てのよいお嬢さんだと思っております」

 凛子は現し世に長くいたせいか、はたまた猫又の直感からか、人を見る目だけはある。
 凍華なら屋敷に置いても問題ない、なんなんらずっといてもらっても構わないと思っていただけに、次に珀弧の口から出た言葉に飛び上がらんばかりに驚いた。

「人魚だ」
「に、にに、人魚!?」

 今までふふっと笑っていた凛子の顔がサッと強張り青ざめ、凍華がいる部屋の方を見る。
 実際に何かが見えるわけではないが、気配を探るかのように耳が細かく動いていた。

「は、珀弧様! 人魚を留め置くなんて問題ですよ! 早く人間の里に返してしまいましょう」
「待て。聞いた話では昨晩十六になったばかりで、まだ自分の能力が何かも分かっていない」
「しかし、人魚ですよ。もし、珀弧様の身に何かあれば……」
「相手は半妖。人魚の力をどこまで有しているか分からぬゆえ、次の満月まで手元に置いて様子を見ようと思っている」
「ですが、もし妖の力が目覚めればどうなります。あやつらは、人間、妖を問わず、男を惑わし食らうのですよ。それともすでに惑わされておりますか?」

 人魚は妖の中でも極めて異質な存在とされている。その理由は食するものにあった。
 番以外の男は人魚にとって食材でしかなく、美しい声で惑わし水辺に引き込み、唇を通してその魂を飲み込む。
 男を食ったあと、ぺろりと舌なめずりする様子がなんとも妖艶で美しいと、恐怖もこめて囁かれているのだ。

「お前なら分かるだろう。俺の妖力を持ってすれば、目覚めたばかりの人魚を滅することは容易い。危険があるなら斬るし、なければ……」
「このままここで面倒を見ると?」

 返事をせず、目線を逸らす珀弧を凛子はジト目で睨む。すでにほだされているようにしか見えないが、凍華が悪い人間でないのは本能的に分かっていた。
 それに、惑わすのは妖狐の十八番。珀弧なら大丈夫だろうという確信もある。

「分かりました。そういうことなら、引き続き花嫁様として暮らしていただきましょう」
「だから、花嫁でないと言っているだろう、しつこいぞ」
「妖狩りのせいで、妖の数は減る一方です。妖狐も残るは珀弧様のみで同種との婚姻はもはや不可能。その血を絶やさないように、というのが先代と私の約束ですから」

 ぴしゃりと言うと、人魚の話はお終いとばかりに凛子は残りの茶をすすった。
 これではどっちが主人か分からぬと、珀弧は苦笑いをす。

「それにしても、養女として引き取っておきながら人ならざる扱いをし、挙句の果てには女衒に売るなど、酷い話ですね」
「そのことだが、お前の力も借りるつもりだ」
「食いましょうか?」
「やめておけ。腹を壊すぞ」
「ヒヒヒ、そうですね」

 にっと口角を上げ、今までと違う笑いを見せる凛子を、珀弧は呆れた顔で見つつ立ち上がった。

「もう行かれるのですか?」
「善は急げというだろう。明け方までには戻る。それから、花嫁ではなく凍華と呼ぶようロンとコウにも言っておけ」
「はいはい」

 ぼりぼりと煎餅を頬張る凛子に、珀弧は額に手を当て大きく息を吐き、そして姿を消した。


 残るは凛子のみ。
「ロンとコウは珀弧様の心そのもの。その二人があんなに楽しそうなのに、本体は素直じゃないわね。ふふ、なんだか面白くなりそう、長生きはするものだわ」
 ぼりぼり、ばりん。
 楽しそうに煎餅を食べる音が部屋に響くも、それもやがて部屋からすっと消えた。