やがて珀弧は足を止め、大通りから外れた一軒の店に入っていった。

「邪魔するぞ」
「へぇ、あっ、珀弧様ではないですか。しかも可愛らしいお嬢様まで。これはこれは、逢引でございますかぁ、珀弧様にもやっと春がきましたね」
「相変わらず饒舌だな。ちょっと店内を見せてもらうぞ」
「ええ、ごゆるりと。その間にお茶を用意いたします」

 三十路ほどの店主が、少し薄い頭の天辺をかきながら奥へと消えていった。それを確認して凍華はそろそろと顔を上げ珀弧を見る。

「あ、あの。今の方は……」

「人間だが少し妖の血が入っている。昔、あいつの祖父を助けたこともあり、それからの付き合いだ」
「ではあの方も私と同じ妖と人間の混血なのですね」

 男が消えた暖簾の先を見る。なんだか急に親しみを感じる。
 自分以外にも人間と妖の血を引くものがいたことにほっとし嬉しく思った。

「あの男自身は限りなく人間に近く、妖の里については殆ど知らない。妖の力も少ないので妖狩りに気付かれることもないそうだ」
「だからこうやって帝都でお店を開けるのですね」

 店に置かれているのは簪や櫛といった髪飾り。それから奥の棚に眼鏡があった。
 珀弧はその棚に向かうと、幾つかを手に取り凍華を振り返る。

「近眼用だが、度数の入っていないレンズをいれることも可能だ。瞳の色を変えることができない妖はここで眼鏡を買うものが多い」
「眼鏡で瞳の色を隠せるのですか?」

 手渡され、凍華は戸惑いながら眼鏡をかけると、近くにあった鏡に自分の顔を映した。
 しかし、そこには映るのはいつもと同じ青い目。

「変わりがないように思うのですが……」
「まだ妖力が加わっていないからな」

 そういうと、珀弧は凍華の前に手を翳す。手の平がぼんやりと白く光ったと思うも、すぐにそれは消え、いつもと変わらぬ大きな手が目の前にある。

「これでいい。もう一度鏡を見てみろ」
「はい。……あっ、黒に、私の目が黒に変わっています!!」

 鏡を覗き込む凍華の目が大きく見開かれる。そこには初めてみる黒い目の自分が映っていた。

「これなら目立たないだろう。もっとも、俺は青い目のほうが好きだが」
「えっ」

 さらりと口にされた思わぬ言葉。初めて聞くその言葉に、凍華の顔がどんどん赤くなっていく。その反応を見て、珀弧が慌てて手を振った。

「ち、違う。そういう意味ではなく、ただ美しいと……」
「おやおや、お茶を淹れてきましたが、出直したほうがよいでしょうか」

 背後でのんびりとした声がし、振り返れば店主が茶の乗った盆をもったまま含み笑いで凍華達を見ていた。
 出直したほうがいいかと聞くも、その気はないようで部屋の隅にある長卓に茶を並べる。

「私が眼鏡に呪をかけますのに、ご自身でなされるとは、よっぽど大切なお方なのですね」
「俺がかけた呪のほうが強いからだ」
「はいはい。目の色を(たが)えてみせるのに、妖力の差はそれほど関係ないと思うのですが」

 簡単な呪ですしねぇ、と店主は聞こえるか聞こえないかの大きさで囁いた。
 珀弧が気まずそうに手で顔を隠し、そっぽを向けば、今度はくっくっとはっきり笑い声が聞こえてくる。珀弧相手に飄々としたその態度は、冴えない外見のわりになかなか豪胆である。

「他にもおすすめの髪飾りがございます。見繕ってきますので座ってお茶を飲んでいてください」

 店主は薄い木箱を手にすると、それを持って店内を回り、次々と簪や櫛をそこに入れ戻ってきた。それを二人の前におくと、自身は向かいの席に座した。

「若いお嬢様にお似合いの品を持ってまいりました。もうすぐ春ですので梅や桜、菜の花もございますよ。さぁ、どうぞお手に取ってご覧ください」

 そう言われても、凍華は躊躇い膝の上に置いた手を動かせない。それを見た珀弧が小さく息を吐き、凍華の手を取り広げさせると、その上に桜模様の髪飾りを置いた。

「綺麗……」

 銀の地金に桜が彫られ、桜色の硝子がその上から乗せられている。淡い色合いが可愛らしいその髪飾りを凍華はそっと撫でた。

「髪に着けてやろう」
「えっ?」

 目をパチパチする凍華をよそに、珀弧は髪飾りを摘まむと、結い上げた髪に留めた、
 凛子がくれた椿油を毎日使っているおかげで艶が出た凍華の黒髪に、桜がパッと咲いたような華やかさが加わる。

「うん、よく似あっている」
「……私なんかがいただいていいのでしょうか」
「その言い方はよくないな。そうやって自分を卑下するのは悪い癖だ」
「はい、申し訳……」

 ありませんと言いかけて、凍華は言葉を飲み、珀弧を見上げる。
 まっすぐ見返してくる黒い目に、珀弧が息を飲んだ。

「ありがとうございます」
「……どういたしまして」

 ぱっと周りに花が舞うような、可憐な笑顔に一瞬珀弧が言葉に詰まる。
 眼鏡をかけ目の色が変わったこともあるが、それ以上に俯いてばかりいた凍華が、前を向こうとする姿が眩しい。
 その姿に気をよくした珀弧があれもこれもと買おうとするものだから、凍華は慌て、店主はどんどん品を持ってきて、予想以上の長居となってしまった。