「んー惜しいっナイストライっ」
 パソコン画面中央に大きく表示された『YOU LOSS』と言う赤文字を見つつ、キーボードをいじる。全体チャットに『GG』と書き込んだ。送った二秒後、通信が切断される。
「ひっどい顔だね」
 小さく『……now loading……』とだけ表示される暗い画面に反射した顔。浮腫んだ肌色のキャンパスには印象の悪い目と、濃い隈が張り付いている。呟いた通り、本当に酷い顔だ。
 画面が移り変わり、先程のゲームのリザルトを確認する。……特に言う事は無い。至って普通。いつもと同じだ。
「暑いなぁ」
 タイトル画面に戻ってから、ふと呟いた。雨の降らない夏は、暑い。
 二ヶ月前から東海地方全域で発生した異常気象、雨の消失。公式に原因は不明と発表されているが、ネットでは陰謀論等々、様々な憶測が飛び交っている。
 正直言って馬鹿馬鹿しい。そんな確証の無い、非現実的な情報を流すのも、それを盲目的に信じてしまうのも、馬鹿らしい。
 卓上扇風機の風を強くした。風を顔いっぱいに受けつつ時計に目をやる。『01:22』まだか。まだそんなもんか。そう思う。いくら夏とはいえ、まだ夜は長い。さて、日が昇るまでどうして過ごそうか。
「散歩すっかぁ」
 掠れた声で呟いた後、目を瞑って思い切り伸びをした。

 濁流が押し寄せて来る。日が昇ればまた、誰かに笑われるんだろうか。また誰かの目の敵にされるのだろうか。
 人には表と裏がある。人は突然変わる。今は優しいあいつも、真面目な顔をしてるあいつも、我関せずなあいつも、時が来れば狂犬のように牙を剥いて来る。鋭く、深く、返しの付いたその歪な牙は抜けない。もがけばもがくだけ刺さって行くのだ。
『死ね』
『消えろよ』
『失せろ』
『黙れ』
『死ねばいいのに』
『死ねよ』
『お前が死ねば良かったのに』
 呪文のように永遠と流れて来る言葉たち。あんたらが言うならやってやるよ。何回も思った。いや、現在進行形で思っている。
 何が正しいのか何が間違っているのか。どれが真っ直ぐな道なのか、私にはもう分からない。もしかしたら私も、盲目なのかもしれない。
 死にたい。消えたい。怖い。

 そんな事を考える内、どんどん呼吸が荒くなる。心臓の音が耳元で聞こえる。慌てて胸ぐらを鷲掴みにした。吸っても吸っても満足しない肺だ。鋭い言葉たちが何度も頭をぐるぐると回る。手足が痺れてきた。視界が狭い。ほぼ感覚の無い手で口を覆い、呼吸に専念する。どす黒い言葉の中から、あったかい言葉を探す。『大丈夫だよ』奥底に眠る、優しい言葉に縋った。

 どれだけ時間が経った? 普段通りの落ち着きを取り戻した呼吸と心臓。手足も動くようになった。怖かった。
「四十九分。行こう」
 まあ行くと言っても行く宛ては無いのだが。取り敢えず歩こう。散歩は中止、準備は出来ている。
 机から立ち上がると、めまいがして体勢を崩した。机に手を置き持ちこたえる。耳鳴りが酷い。めまいが治まってから、私は部屋のドアをゆっくりと開けた。
 このまま消えて、どこか遠くで、終わりにしよう。私という存在を消してしまおう。

☂

 家からは案外簡単に出る事ができた。父にも気付かれず、スマホと財布だけを持って家を出た。
 街灯の白い灯りが薄気味悪い。深夜、聞こえるのは自分の足音だけで、他は何も無い。びっくりするぐらい音が無い。夜はこんなに静かなのか。
 何となく向かった先は家から徒歩十分の公園。タコの形をした滑り台がある地元の愛され公園だ。タコの他にも、ブランコや鉄棒、砂場もあるそこそこの大きさをしている。
「うわっ、こっわ〜」
 いつもはキモカワイイと愛されるタコだが、暗い夜に白い街灯数本に照らされたそれはさながら幽霊とか、化け物とかの類のように豹変していた。昔の人がこれを見たら『タコのもののけ』として風土記に載るぐらいには怖い。
 そう思いながらも、足は自然とタコの方へ向かっていた。何となく、気の赴くままに歩みを進めた結果だ。ここで始発までの時間を潰そう。
 小学生以来、久しぶりにタコの中へと侵入する。ザラザラとした感触が懐かしい。私はタコの胃の中、滑り台の降り口を塞ぐように座った。中の壁に背を預けイヤホンを耳に。スマホをいじって再生したのは、とあるゲームの名場面集。
「うっま……」
 思わず感嘆の声が漏れる。上手い人のゲーム画面は綺麗で気持ちが良い。夜風に当たりながら動画にのめり込んで行く。静かな空間でいつもの動画を見るのは少しソワソワする。でも、これも悪くないと思った。

☂

「先客居るマ?」
 丁度動画を見終わった所でそんな声がした。「やっべ」自分にだけ聞こえる声で呟く。スマホの電源ボタンを連打しながらイヤホンを外し、声のした方を見た。
 そこに居たのは、白いTシャツと黒スキニーというラフな格好をした青年だ。同世代にも見えるが年上にも見える。ちゃんとした大人だった場合、私が高校生という事がバレたら終わりだ。
「あ、お、おはようございます〜」
 精一杯の作り笑顔で真夜中なのに焦ってそんな挨拶をする。出来るだけ人懐っこい笑顔を心がけた。「あぁ。おはよう、ございま、す?」
 青年は困惑しながら答えた。温かみのある優しい声だ。常識人そう。あと、犬っぽい。
 彼がどんな人なのか探りを入れる。それによって行動を変えよう。そう思いつつも、出てきた言葉は浅いものだった。
「あ、えっと、何してるんですか?」
「いやそちらこそッスけどね。……まぁ俺は、あの、散歩ッス」
 彼の言う通り、今は私の方がよく分からない人だ。本当に、ブーメランすぎる。
「あぁ、私も散歩ですよ。夜風に当たりに来た、みたいな」
 そう。散歩。嘘は吐いていない。
「あー、暑いっすもんね〜」「そうなんですよぉ」
 お互い探り合い。あまりにも浅すぎる会話をした。取り敢えず、年齢を聞こう。
「あの……年齢は、おいくつなんですか?」
「十七ッスね。高二」
 淡白に「そうなんですね〜」と返事をするが、(同級生だーー!)と心の中で叫んだ。まあ、本当ならの話だが。
「あなたは?」
「えっと、十七です。高二。所謂、タメ」
 警戒しているはずなのについ口から滑り出てしまった。(迂闊すぎるだろ自分!)そうツッコミを入れる。
「マジか。え、じゃタメ口で、い、い?」
「あーうん。じゃ、私も」
「やった〜」
 この人に尻尾が生えてたらきっと千切れそうなぐらい振っているんだろうな。そう思うぐらいに嬉しそうな声色だ。
「一応訊くんだけど、本当に本当に高校生なんだよね」
「ガチで高校生。てか君も本当に本当に本っ当っに高校生なんだよね!」
「うん。高校生。え、悪い人じゃないよね……?」
「あ、俺悪い人っぽい?」
「いやそんな事無いんだけど、寧ろめちゃくちゃ良い人そうなんだけど、一応ね。なんか一見良い人に見せかけて相手を懐柔した所を襲うみたいな、あれもありじゃん?」
「あーね。まあそうね。そんな警戒するぐらいなら真夜中に出歩かない方が吉なんだけどね。てか君も本当に高校生なんだよね? お巡りさん呼んだりしないよね?」
「うんしない。お巡りさん呼んだらこっちまで補導されちゃうからね」
「なら良いんだけど」
 探りに探り合い、結局気になっている所を本人に直接訊くという正直すぎる会話になってしまった。逆に信頼出来るのだろうか。まあ何かあったらあったでその時だ。その時考えよう。
 なぜかは分からないが、私は彼の事を信頼したい。
「ねねね。隣行って良い? 夜歩き同士語り合おうぜ」
「まあ良いよ〜。そんな語る事も無いと思うけどね」
 犬だ。確実に犬だ。人懐っこすぎる。それに私はやっぱり迂闊すぎる。なんでこうも簡単に初対面の人間の話に乗ってしまうんだ。……まあ、もう良いか。何も考えずにお喋りしよう。
「やほ〜。以外と広いよね、ここ」
「ね。結構余裕ある」
 彼は私と向かい合うように座った。端正な顔立ちの青年だ。大きな二重の目は、やはり犬を彷彿とさせる。
「あそうだ、名前訊いて無かった」
「あーわたs」
 名前を言いかけた所で、「ちょ待って!」と止められる。
「名前当てて良い?」「お好きにどうぞー」
 なんだそんな事か。楽しそうだから付き合おう。
「文字数だけ教えて?」「下は二文字だね」
「んー……りこ!」「違う」
「えー、二文字、二文字ぃ……まこ」「ハズレ」
「まな!あ、まゆ!」「どっちも違う」
「んじゃ、みゆ?」「んーん」
「はなとか」「ブッブー」
「まいだろ!!」「違うよ〜」
「ゆい!」「あ! え! 惜しい、母音はあってる!!」
「え、…………んじゃ、るい?」「あー……」
「えっ。すいか! すいだろ!!」「おー正解! すい!」
 つい私も盛り上がってしまった。なんか、久しぶりに感じた。人と喋る楽しさを。あー、楽しい。心底そう思う。
「よっしゃー!! すいー!! え、漢字は?」
 両手を掲げて目一杯喜んでいると思いきや、一瞬で真面目な顔になって訊いてきた。
「漢字はね、翡翠石の翠って言って分かる? 羽の下に卒業の卒って書く……」
「あー分かった。みどりって読むやつ」
「そう! それ!! それ一文字で、『翠』。苗字は紫の暮らしで『紫暮』」
 私もつられて声が大きくなってしまう。深夜だと言うのに。ボリュームを考えよう。
「逆に、何、名前」
 そう訊くと彼はニヤリと笑った。何となく彼が次に言う言葉が予想出来た。
「当ててみる?」「いやめんどいから良い」「はい」
 予想的中。笑いが私たちを包む。ひとしきり笑った後、彼は息絶え絶えに名乗った。
「俺はね、あまね。全部、全部ひらがなだよ」
「良い名前だね。綺麗」
「でしょ? 大事な名前なんだよね〜」
 彼は、あまねはどこか遠くを見つめる。その瞳は、ちょっぴり寂しそうに見えた。『あまね』思ったよりも優しい名前だ。でも、意外では無い。よく似合っている。
「あ、苗字h」「てか紫暮翠って色二色入ってんだね。めちゃ良いじゃん」
 私が言いかけた所で彼が口を開いた。
「あ、そうなんだよ。良いっしょ。色の組み合わせも補色の関係に近いし。お気に入りの名前」
「良いね。なんか、ネオンって感じ」
「あー、分からんでもない」
 思ったよりも会話が弾む。久しぶりにこんなに人と喋った気がする。心が弾む。真夜中なのに、なぜか周りが明るいような、そんな不思議な感覚に襲われた。
 今だけは、傷がちっとも痛くない。

☂

 スマホを確認する。『03:12』かなり長い事話していたようだ。感覚的にはまだ数十分程しか話していない。
 色々な話をした。好きな俳優の話。好きなアーティストの話。そんな緩い話題から急に時事について本気で討論し合った。有意義な時間だ。
「もう三時だって。早いね」
「マジか。あ、そうだ翠」
「ん?」
 話している間お互いあまり目を合わせなかったのだが、急に彼は私の顔を見てこんな事を言った。
「明日ね、雨降るよ」
「……何を言っておる?」
「雨。降る」
「いや、ね。この二ヶ月雨が降ってないの知ってるっしょ? 雨が降らないどころか曇りも無い。それがそんな急に降る訳無くない? だいいち、天気予報も晴れだった。降水確率ゼロパーセント」
 手で丸を作りながら少し煽るようにまくし立てる。それにあまねは噛み付くように言った。
「それは明日にならないと分からない。そうでしょ?」
「まぁ、そうだね」
 一歩引き下がった。確かにそうだ。でも分からないなら言い切らない方が良い。と言いたかったが言葉を飲み込んだ。
「てか明日じゃなくて今日か。いやでも。ねえ。俺らん中での明日は、寝て、起きてからにしない? どう?」
「あー。明日、来るかなぁ」
 意図せず零れ落ちた言葉。明日が怖いなら明日が来ないようにすれば良い。「なんで?」不思議そうに首を傾げる彼から視線を外して言った。
「私にとっての明日は、汚いもの。だから」
「翠、翠は明日が怖いの?」
 話を遮るように放たれたその言葉に縛られる。あまねは勘が良すぎるよ。怖いぐらいだよ。一応出会って数時間なのに、なんでこんなに分かるのだろう。
「…………怖いよ。めちゃ怖い」
 そして私はなんでこんなにするすると心の内を喋ってしまうのだろう。
「翠。ねぇ」
 そこであまねは言葉を切った。それ以上何も言わなかった。少々気まずい時間が流れる。
 長いようにも短いようにも感じられる時間が流れ、あまねが先に口を開いた。
「翠」
「ん?」
「明日、翠の担任欠席する」
「あの体育会系が?」
 正直言って関係無い。これから私は電車に乗って、どこか遠くへ行って、終わる。学校にも行かないつもりだ。でも……。
 あまねは伸びをしてから言った。私の目をじっくりと見つめて、言った。
「ねぇ、気になんない? 雨が降るかどうか、担任が休むかどうか。気になんない?」
 心をグッと引き寄せられたような心地だ。でも、本音を言えば私は。そうだ嘘を吐こう。紫暮翠は嘘が得意。そうでしょ。
「明日、見たくない?」

☂

「じゃーね」
「ばいばい」
 互いに手を振り、背を向けて歩き出す。さて、これからどうするか。駅まで行く。コンビニで最低限の物を買う。ホームセンターとか行ってなんか買う? それか遺書とかも書いちゃう? あいつらの名前全部晒そうかな。
「あし、た」
 そう小さく零れた。あまねの言葉が頭の大部分をずっと陣取っている。ああ、気になって仕方がない。
「寝よ」
 不意に欠伸が出た。
 見慣れた景色を戻って行く。

「雨、降るかな」