ーーー その日の夜。洸は、自室で小学生から使ってきた、勉強机に向かっていた。

机の上には、原稿用紙と、バックナンバー、辞書、メモ帳が広がっており、器用にシャープペンシルを指で回しながら、洸は頭を捻らせていた。

病院から帰宅し、夕食と入浴時間以外を、そんな生産性のない時間で浪費し、見続けていたせいで、字列が異世界語のように、暗号化して脳に焼き付いた。

「あー! 休憩! 頭がプードルになりそうだ!」と、使いすぎた頭で、バルーンアートのプードルを、浮かべて背もたれに凭れ、天井を見上げた。

それでも頭の血の循環はスムーズにならない。

そのため今度は、すっかり秋の空気となった外気を取り込むために、窓を開けて、住宅街の温かな明かりの灯った景色に視線を落とした。

洸は、左端から順に、視界に入る家々を眺め、そこにある一つ一つのドラマを想像する。

近所であるため、見知った顔ばかりではあったが、内情までは深くは知らない。

そんな内情に無粋な想像を浮かべて、そんな自分を嘲笑うかのように微笑み、とある一つの民家で目が止まる。

そこは他でもない、咲夜の家。

小さい頃からよく遊びに行って、家族ぐるみで中の良いその家庭は、他の民家とは違い、深く知っている希少な家庭だ。

洸は、今はそこに居ない咲夜の姿を浮かべる。

幼少期、互いの家を行き来して、毎日飽きずに遊び呆けた日々。

本を読んで、ゲームをして、アニメを観て、そんなありふれた幸せが確かにあった事を、その景色の中で掴み取った洸は、何かを閃いたかのように、窓を閉め、外部とシャットダウンするかのようにカーテンで覆って、本棚の一番下の段、他の段よりも縦幅の取られたそのスペースに置かれていた、一冊のアルバムを手に取った。

そこに刻まれているのは、咲夜との思い出の日々。

特別な事は無かった。日常を切取って貼り付けただけのそんなアルバムだった。

それでも洸にとっては、紛うことなく宝物と呼べる代物だった。

何度も見返したそのアルバムにまた目を通す洸。

その中の一つ一つの思い出こそ、鮮明に浮かぶことはないけれど、洸にとって、その瞬間が目視できる形で残っている事が、この上ない事だった。

同じ笑顔でも違う笑顔。そんな笑顔ばかりが並んでいる写真の中で、洸ふと、ある写真に目を止めた。

それは五歳の頃の写真。洸が、顔を崩れるほど大泣きをしていて、その隣の咲夜が驚いたように、目を大きく見開いている写真だった。

この写真には、洸は覚えがあった。

咲夜が検査のため入院するという話を、幼い洸は、入院という言葉だけを受け取り、暫く会えない、もしかするともう会えないかもしれないを、入院とイコールとして、ついには泣き出してしまったのだった。

入院という物に馴れてしまっていた咲夜は、予想外の反応に驚きつつも、かけてくれた言葉を洸は覚えていた。

「大丈夫だよ。すぐに帰ってくるから。だから泣かないで」

当人がそう不安を見せずに言い放つものだから、自分が恥ずかしくなった洸は、それからは考えを改める事にした。

咲夜の前では泣かない事、弱さを見せない事。

それを機に、泣き虫だった洸は消え、現在(いま)に至る。

そんなまだ、セピア色に染まるには早い思い出を、写真越しに映した洸は、静かにアルバムを閉じると、「よしっ」と気合を込めて、再び机に向かった。