本当の自分がどこにいるのか、たまに分からなくなるときがある。あるいはどこにもただ一つの自分などというものは存在せず、この体の中で人格どうしがせめぎ合っているのかもしれないとも考えたりする。



 “私”は、気づけば頭の中に物語を思い浮かべるような人間だった。字こそ書きはしないものの、純粋に創作というものを始めた時期でいえばそれは小学校一年生の時からである。

 頭の中に浮かんだ漠然とした情景を文として紡いで、小説にし始めたのは高校生になってからだった。知らない世界だった。ただひたすらに没頭した。

 いつからか将来の夢が小説家になった。今でも時々、中学三年の担任の先生の言葉を思い出す。

「〇〇さんは、文章に携わる仕事をしたら最強だと思う」

 卒業の時に渡された手紙に書かれていた言葉である。これを見たときはまだ不確定で不安定な、実態のない感情を抱いていた。

 「文章に携わる仕事」というのを、高校入学後の面談で有効活用するぐらいには、私は小説家という職業を少なからず軽んじていた。

 先生との二者面談で、将来の夢を問われた。将来、その言葉を聞いて思い浮かんだのが中学の担任の先生の言葉である。文章に携わる仕事。

「──文章に携わる仕事がしてみたいです」

 気づけば口からその言葉が出ていた。
 うんそうだ。私は、たぶん文章に携わる仕事がしたい。小さい頃からずっと本や物語が好きで、暇さえあれば文章を食っていた。
 食って、食って、食って、食って、食って、食って、食って、食って、食って、食って、食って、食って、食って、食って、食って、食──。

 そう。私、文章が好きなんだ。

 当時は将来のことなんて一切考えていなくて、将来の夢というのは高校の先生との面談のためにのみ考えもっともらしい答えを用意すればそれでいい、そういう考えを持っているだけだった。

 そして当時の私にとって文章に携わる仕事──小説家という職業は、その面談の場において利用するだけの存在だった。



 小説を書き始めてから、全てが変わった。

 あの日、あの先生との面談のとき利用した抽象的概念がいつの間にかはっきりと核を持ち、さらに私の心の中心に居座って、他の相反する心情の全てを跳ね除けたのだ。

 いつしか何よりも大切なものになっていた。何を差し置いても、小説を書くことだけはやめられない。ある意味狂信的で、盲目的で、まるで叶うことのない片想いをしているかのようだった。



 高校三年生の七月、私は自分の書いた作品を宣伝するために、SNSを始めることにした。

 その日から、〇〇〇〇の命日は静かにカウントダウンを始めたのである。