馬車から降りると、そこには、あまりにも衛生管理が行き届いていなさそうな裏口があった。
 このオークション会場は、国王がこのオークションをする為だけに造らせたものらしく、他国からの客人も来るので、表出入り口のみの衛生管理を徹底し、奴隷とその看守しか通らない裏口は、当然の事、管理などされていない。
 地面には雑草がバラバラに生えていて、鉄製の扉は錆びきっている。
 おまけに何処からか、悪臭が漂っている。
 よく見ると、そこら中に(ハエ)が飛んでいる。
 視線を地面に向けると、よく判らない液体が何処かしらから流れて来ている。
 気持ちの悪い場所だ。
 この国のビルクダリオに対する扱いや、ビルクダリオの置かれている劣悪な環境がどれ程のものなのか、容易に理解出来る。
 許せない。
 そんな、悪逆非道たる王政に、グリリアは腹を立てた。




「それじゃぁグリリア。頼んだ。」

 そう言ってサラナは、グリリアの肩をポンと叩いた。
 グリリアは、腹に巻いていた布を取り、ウィッグを外し、もう一度荷台の中に乗り、動き易い服装に着替えた。

「んじゃぁ。行って来ますわ。」

 そう言いながらグリリアは手を振り、裏口から中へと侵入した。




 その時だ。


「サラナ、お前、こんな所で何をしておるのだ?」


「えっ……………………?」








 ギィィィィィィ

 錆びきった扉から、軋む音が聞こえる中、グリリアは中へと潜入した。
 扉を静かに閉め、前方を眺めた。
 そこにあるのは、事前にサラナから聞かされて来た情報と合致する、一本の短い廊下。
 いや、通路と言う方がニュアンスとしては正しいか。
 当然、不衛生極まりない。
 鉄製の通路は、黄土色の錆が目立ち、所々に落ちているダマになった埃が、歩を進める度にその風圧で隅へと飛んで行く。
 外は少し人の声がしたが、一歩中に入って仕舞えば、只々静寂が漂うばかり。
 極力足音がならない様に努めているが、どうしても少しは鳴って仕舞い、その音が金属製の壁や天井で反射し、反響する。
 あまりにも静かで、気が滅入りそうだ。


 そんな中でもゆっくりと、一歩ずつ歩みを進めていった。

 すると、サラナも言っていた、一つの扉があった。
 一本の通路を真っ直ぐ進んだ場所にある、一つの扉。
 そしてその扉の上を見ると、硝子になっている。
 早速グリリアは、懐に忍ばせておいた小さな潜望鏡を静かに取り出し、その硝子部分から中を覗いた。
 扉の直ぐ前に看守が一人。
 その奥に大きな格子で区切られた部屋があり、そこに奴隷と思われる女性が多数、監禁されていた。
 見渡す限り、女性の人数はざっと十数人程度。
 部屋の広さはあまり広く無い。
 大体五.六畳程度。
 看守も、目の前の一人だけ。
 ざっと見、グリリアの妻は見えない。
 本当に居るのか、グリリアは疑心を抱いたが、解放した後に確認すれば良い。
 今は、任務遂行だけを考えよう。


 グリリアは、時計を確認した。
 看守の交代まで、後一分。
 交代を知らせる為に今居る看守が定位置を去り別の部屋へと移動した瞬間に入室し、腹に巻いていた布を使って天井の梁へ登り、次の看守が定位置に着いた時に看守の頭上から襲い掛かり、拘束し気絶させ、鍵を盗み解放する。
 その後奴隷全員を連れてサラナの待っている馬車の荷台に全員乗せて、馬車を全速力で走らせ、此処を去る。
 それが作戦。
 大丈夫。
 布を使って上へ登る練習もしたし、人間を気絶、拘束させる方法も、サラナから教えて貰った。
 大丈夫。
 自分なら出来る。


 カチャッ

 部屋の中にある時計の短針の、動く音がはっきりと聞こえた。

 始まる。

 此処で看守が去る。

 去ったら入室する。

 オッケー。覚えている。

 さぁ、行くか!


「…………えー君。此処で何をしているのかな? ま、さ、か。此処の奴隷達を逃そうとか考えてないよね?」

 背後からそう言われた。

 グリリアは固まった。

 見つかった。

 でも何故?

 見つかる様な事は何もしていなかった。

 細心の注意を払っていた。

 それに、此処へ来るまでの道には、サラナがいた筈。

 サラナを再起不能にしたのか?

 まさか。サラナがそんな簡単に負ける筈が無い。

 サラナの指導を受けたグリリアは、それを身を持って持って体感していた。


「取り敢えず。こっちへ来て貰おうか。」






 ……………………………………






「まさか。我が奴隷供を逃そうとする様な野蛮な人間が侵入していたとは。これに関しては良くやったぞ。」
「いえ、勿体無いお言葉。国王様に尽くすことが、我等ビルクダリオの幸せでありますので。」

 サラナは、初めにエルダと出会った時の様な、冷徹な声質で、国王と話していた。

「ほれ、しかと見届け用ではないか。下劣な蛮人が、(こうべ)を垂れてトボトボと情け無く歩く様子を。」

 そう言って国王は、裏口を眺めていた。

 やがてそこから、拘束されたグリリアが出てきた。
 連邦国兵と一緒に連行されている。

 サラナが、グリリアと目が合った。
 その途端、サラナはサッと顔を逸らし、隠した。
 それを見て、グリリアは悟った。
 自分は、裏切られた。
 端から協力する気など、サラナには無かった。
 それに、隣に国王が居ると云う事は、サラナは、連邦国政府の人間で合ったと云う事。
 しかも、王の隣という事は…………

 …………………………
「あの糞ビルクダリオが…………国王秘書に成れたからって良い気になりやがって………………」
 …………………………

 嗚呼、あの言葉はそういう意味だったのか。
 国王秘書。
 ビルクダリオ。
 そうか。サラナの事だったのか。
 なら当然、その時の、連邦国兵の検閲を抜けられる訳だ。
 それに、あの時ギニルに刃を向けられた意味。
 当時は解らなかったが、そうか、サラナが秘書だったから。


 サラナは裏切り者だった。







 いや、未だに信じられない。

 幾ら自分達に偽善者を演じていても、グリリアには解る。

 ミロルの母(ノール)を助けようと言った時の目は、真っ直ぐ前を向いていた。
 あれが偽善であると、グリリアは思えなかった。

 ならサラナは何故グリリアを密告したのか。



 ――――――――――――――――――



 そうか。




 そういう事か。




 前にエルダに訊かれた。
 サラナが言っていた“偽善に包まれた界隈”の意味。


 


 サラナがどうしたかったのか。




 エルダに何をして欲しかったのか。




 如何なのだろうか。
 それをエルダは知っているのだろうか。




 裏切り。




 苦しみ。




 強制。




 圧力(プレッシャー)




 サラナにのしかかった重りが、どれだけ重く、それに抑制されて来たサラナの人間としての欲望。
 サラナ。

 本当に辛かったのはお前だったのか。














 そのままグリリアは、無抵抗のまま、その場から連行された。













「全く。馬鹿な事を考えるからこんな事になる。人様の道具(ビルクダリオ)を穢そうとする蛮人めが。サラナもそうは思わぬか?」

 サラナは、右手を強く握りながら言った。

「全くその通りです。人の()()に手を出そうとする人間など、考えられない。」
「ふっ、そうよな。」

 そう言って国王は、高らかに嘲笑った。


 それを見てサラナは、より一層強く、拳を握り締めた。