目を覚ますと、曇りの無い幼子の瞳孔に入り込もうとする日光を、虹彩が必死に遮る中、あまりの眩しさに右手を翳し日光を遮せ、瞼を半分閉ざした。
日は少し見上げないと覗けない場所まで上がり、前の通りを見ると、此処ら一帯に住んでいる人がぞろぞろと歩いていた。
それを見て、もう時は既に昼近くである事を知り、上体を完全に起こして、一度のびる。
左隣に視線を向けると、母は居らず、ミロルは一人で居た。
そう思った時、丁度母が帰ってきた。両手に大きなパンを一つずつ握りしめて、ミロルに見せつけた。
そうしながら母は、ミロルに笑いかけた。
「ありがとう。」
そう言い、ミロルはそのパンを一つ、受け取った。
特別美味しいパンでも無かったが、母と食べたそのパンは、何物にも変え難いものがあった。
もう既に、貯金など無かった。
働き口など一切無く、日々の衣食は盗品で済ませる他、無かった。
今日のパンも、市場から盗ってきたものである。
だが、仕方の無い事であった。
この国には、困窮ビルクダリオの救済措置は無く、給付金も無い。
働き口など一切与えず、ビルクダリオを人として認識する気など、毛頭無かった。
彼等帝国移民にとってビルクダリオは、奴隷として自身の欲求不満の解消しか、利用価値がない。
他は、他国に売って儲けるか。
何にしろ、特に女のビルクダリオは、糞貴族の性欲解消道具以外の何物でもなかった。
これまでに、糞貴族との強姦によって、どれだけの女性ビルクダリオが命を落とした事か。
許せない。
それが、ビルクダリオという境涯に置かれた者の末路であり、その仕組みを変える力は、ビルクダリオには無かった。
「いつまで待てば………………私たちは“解放”されるのか…………………………」
パンを一口呑み込みながら、母はそう呟いた。
ミロルは何を言っているのかさっぱり理解出来なかったが、それが全ビルクダリオの願いである事である事が、今なら少し理解出来る。
そうしてもう少しでパンが食べ終わるという頃。
悲劇は始まった。
「貴女がノール・ルリだな?」
突然、目の前に男が立っていた。
首元に、総総のファーを巻いている。
この男、見た事があった。
確か………………
そう考えている時だった。
「そうだったら何?」
母が、怯えた声でそう言った。
そう言いながら、手探りで何かを探した。
「簡単な話。私と一緒に王城へと同行してもらう。尤も、抵抗はしてくれて構わない。だが、此方も護身用で帯刀している。それを考えて行動するんだな。」
そう言って男は、自身の腰に欠けている剣の柄に手を掛けた。
「そうか…………なら、一つだけ訊いておきたい。あんたの名前は?」
母は怯えない様子を見せながら、そう男に質問した。
「そんなものを訊いてどうなるのかは知らないが…………まぁ良いだろう。私の名前は―――――」
「さぁ、来てもらおうか。」
そう言って男は、母に向かって右手を差し伸べた。
そして母は、その手を握った。
「ねぇ、お母さん。何処に行くの?」
ミロルは、母に訊いた。
「………………さい。」
声が小さくて聞こえなかった。
「……………なさい。」
まだよく聞こえなかった。
「ほら、早く行くぞ」
そう言って男が母の腕を引っ張った瞬間。
「ふんっ!」
母は、男の腕を引っ張りながら、自身の足で男の足を蹴り体勢を崩させ床に伏せさせた。
直様母は、男の左腕を背中で組ませ、締めた。
男の腰の上で座り、起き上がれない様に男を抑えた。
「ミロル! 逃げなさい!!」
母はそう叫んだ。
母は急いでこの場から離れて欲しかったのだろう。
だが幼かったミロルの理解力は、今がどう云った状況であるかを理解するに至らず、母がそう叫ぶ意味も理解出来なかった。
ミロルはその場であたふたし、周りをキョロキョロと見渡した。
その時。
「糞っ!!」
そう言って男は、懐から短刀を取り出した。
その反動で母は、体勢を少し崩した。
そして男は…………
サクッ
母の服の腹部が、紅色に染まる。
じわじわとその波紋は広がり、傷口からは、血がぼたぼたと垂れ流れる。
刺さったナイフに血が伝う。
刃の鏡面は紅に染まり、微かに輝きを放つ鏡面に映るは、眉間に皺を寄せ、歯を噛み締め、痛みに必死に耐える母の様子だった。
ミロルが、心配で少しずつ近づいた。
だが母は、叫んだ。
「逃げなさい……………………!!!!!!!!」
「でも………………血が………………………………」
「早く!!!!!!!!」
「でも………………………………」
「逃げて!!!!!!!!!!」
母は、汗でぐちゃぐちゃの顔を上げ、ミロルの目を真っ直ぐに見た。
「ミロル!!!!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「気付いた時には、全然違う場所にいて。多分あのまま、必死に逃げてきたんだと思う。」
ミロルが、俯きながらそう話した。
丸いちゃぶ台を、エルダ、サラナ、グリリア、少女の四人で囲み、ミロルの話を聞いていた。
聞いている限り、サラナと似たような境遇であった。
貴族に母を連れ去られた。
だがミロルの方が幼い。
精神負担も、計り知れない。
一体、どうやってこの、ぶつける場所が見当たらない不安感を、この小さな体で抑え続けてきたのか。
エルダは、ミロルの精神力に脱帽した。
こんなにも強い子供が居るのだと。
そして、そんな子からも、容赦無く大切なものを奪っていくこの連邦国社会が、如何程腐っていたのかを、鮮明に理解出来た。
「ミロル…………ちゃん。ちょっと聞きたいんだけど。」
突然サラナが、ミロルに訊いた。
「その男の人の名前って?」
その質問を聞いて、エルダとグリリアは、ミロルの解答に耳を傾けた。
「男の名前は、」
「ギニル・フルーブ」