潡々(どんどん)と扉が鳴る音が聞こえる。
 全く……ここ最近、この店に来る人も少なくなったし、妻もこの前糞貴族に連れて行かれたし。
 もう人と会いたく無い。
 嗚呼そうだった。
 あの時もそうだった。
 こうやって荒々しく扉が鳴って、久しぶりの患者かと思えば、ファーの付いた真っ赤な毛皮のコートを着た糞貴族がズカズカと土足で家に立ち入り、商売道具の薬を床にばら撒かれて、妻を見つけるなりその長髪を腐った手で握り、抵抗する妻を数回殴って、純白の肌を青く染めた後、無理矢理連れて行かれたのだ。
 もう私には何も無い。
 商売道具も、床の埃と混ざって、最早使い物にならない。
 残っているのは、サルラス帝国に売っていて、興味本位で購入した、テロスウイルスの特効薬のみ。
 だが、オームル王国に流行らせたウイルスの感染者が、カルロスト連邦国に出る事は先ず有り得ない。
 ならこんな薬、塵も同然なのだが、捨てようにも捨てられなかった。
 理由は特に無かったが、何と無く、捨てられる気になれなかったのである。


 ドンドンドンドン。

 未だ扉が鳴っている。
 もう良い。
 どうせ貴族だったとて、盗まれて困る物も無いし、殺されたとて、別に心残りがあるわけでも無いし。
 いや、心残りはあった。
 この国に来た理由を忘れた訳では無い。
 自分なりの正義を忘れた訳では無い。
 だが、その希望も今や潰え、他人からの信用も失った。
 昔薬を買ってくれたあの少年も、もう来なくなり。
 確か、あの子が最後の客だった。
 今あの子は何歳になったのか。
 大人になったのか。
 身長はどの位伸びたのか。
 尤も、最後に少年に会ったのが何年前だったか、覚えていないが。


「グリリア! 俺だ! エルダだ! 薬を売ってくれ!!」

 外から、そんな声が聞こえた。
 エルダ…………そうだ。昔薬を買ってくれた子の名だ。
 でもあの子の故郷は、ちょっと前に無くなった筈。
 そうだ、きっと空耳だ。

「グリリア! 頼む!! この子の命が!!」

 もう止めてくれ。
 一人にしてくれ。
 誰とも会いたく無い。
 あんな軽蔑される生活をするよりかは、こうしている方は落ち着く。

「グリリア!!!」

 もうその名を呼ばないでくれ。

「グリリア!!!!!」




 ………………………………





「なんだ…………?」

 扉を叩き始めて一分後。
 やっと扉を開けてくれた。
 数年ぶりに会ったグリリアは、顔には皺が増えて、窶れていて、昔の清潔感が皆無だった。
 何があったのかゆっくりと話をしたいが、今は少女を引き渡すのが先だ。

「グリリア! ゆっくりと話したいが時間が無い。この少女を助けてくれないか!」

 薬師グリリア・スクリは、エルダの顔を見ながら、何とも言えない表情をした。
 嬉しそうに見える反面、何か隠している様な、再会に驚いている様な、目を丸くして見ているのは確かだが、その眼球の奥に、エルダと距離を取ろうとするグリリアが、はっきりと見えた気がした。
 グリリアは、サラナから無理矢理渡された少女を受け取り、

「さぁ、中へ。」

 と言い、中へと入った。


 エルダが、中へと足を踏み入れた瞬間、エルダは、店の変わり様に、愕然とした。
 昔来ていた頃は、綺麗な白樺が一面を覆った、とても綺麗な店だったのに、今見ると、そこら中の白樺が湿り腐り、部屋の隅には蜘蛛の巣が張られ、薬の入った瓶が綺麗に並べられていたカウンターや後ろの棚も、今やボロボロになり、あの時は大量に並んでいた薬が、今や何も無い。
 一体この数年で何があったのか。
 聞いて見たいが、今はそんな事をしている場合では無い。

 グリリアは、元々薬屋の待合室だった所にあるベンチの中で、一際綺麗な物の上に少女を寝かせ、容態を見始めた。
 何年も患者を見ていないグリリアであったが、その技術は未だ健在であった。
 だが、その肝心の薬が、今少ししか無い。
 少女の病が、今ある薬が効く物であれば良いのだが。
 グリリアは、心底そう願いながら、少女の容態を見た。


「なっ…………!」

 容態を見始めて約三十秒後。
 グリリアが突然、目を丸くしながら少女を見た。

「どうかしたのか?」

 その様子をいち早く察知したエルダは、そう声をかけた。

「……何故カルロスト連邦国(ここ)に、テロスウイルスの感染者が…………? この病は、()()()でしか蔓延していない筈なのに…………!」

 グリリアが、つらつらと独り言を並べるが、エルダには、何の内容を喋っているのか一つも理解出来なかった。

「だが、このウイルスなら、特効薬がある。」

 そう言ってグリリアは少し笑んだ後、カウンターの引き出しを開け、その中から、隠し持っていたテロスウイルスの特効薬を取り出し、薬を入れた注射器を少女の首元に刺し、注入した。
 その特効薬の入っていた瓶に何か文字が書いていたが、エルダの知らない文字で、何を書いてあるのか、解らなかった。

「これで二、三日寝ていれば、直に治るだろう。」

 そう言いながらグリリアは、注射器の先を拭き、絆創膏を、注射を刺した部分に貼り付けた。

「今夜は此処に泊まると良い。丁度今日、暇潰しに二階の部屋を掃除したものでね。さっ、この嬢ちゃんを二階に運ぼうか。」

 そう言ってグリリアは、少女を抱えて、少し急な階段を登った。
 エルダやサラナも、それについて行った。


 二階の部屋に少女を寝かせて、その傍らに、三人は座った。

「まぁ先ず。グリリア、久しぶり。覚えているかな? エルダだ。」
「あぁ、覚えているとも。だって君は…………この店最後のお客さんだったからね…………。」
「それってどう言う………………」

 そう言っている時、横からサラナが会話に入ってきた。

「グリリア様…………でしたか?」
「えーっと…………貴女は?」
「失礼しました。私、サラナ・モルドと申します。以後、お見知り置きを。」
「あぁ、はい…………」

 互いに少しぎこちない自己紹介を済ませたところで、サラナがグリリアに、ある質問をした。
 
「貴方、もしかしてサルラス帝国ご出身なのでしょうか。」

 その問いに対して、グリリアは答える。

「何故そう思ったのか、理由をお聞かせいただいても?」
「簡単な話。さっき少女に渡した特効薬が、サルラス製の物だったじゃ無いですか。」
「…………だからって、サルラス帝国からの輸入品であるかもしれないじゃ無いですか。」
「そんな筈ありません。先ずサルラス帝国は、こんな(いち)ビルクダリオに、こんな大層な特効薬売ったりしません。」
「……………………」

 サラナの言う証拠に、只黙るしかないグリリア。

「もう言い逃れは出来ない……か。」

 そう言い、一つ深呼吸をした後、グリリアは言った。


「そうです。私は、サルラス生まれサルラス育ちの、純粋なサルラス国民です。」