サラナとの約束から約三十分。
「もう、宜しいのですか?」
サラナの元へと戻ってきたエルダに、サラナは言った。
「あぁ、何も無かったから。」
「……そうですか……………………」
サラナにとっては、スラムが一つ無くなっただけであったが、エルダにとっては、此処での思い出が全て無くなったのだ。
その時のエルダの心情は、サラナには分かり得なかった。
サラナは、カルロスト連邦国の大まかな地図を地面に描いた。
今エルダとサラナが居るのは、カルロスト連邦国の最北端のスラム跡地。
ジズグレイスはカルロスト連邦国の中央より少し北辺りにあり、王城もそこにある。
そしてこのスラム跡地とジズグレイスの間には、カルロスト連邦国最大のスラム、旧ギャリグローバ共和国地区(通称:ギャリグローバ)がある。
サラナ曰くそこを通って王城へ行くのが、最短ルートらしい。
だが問題は此処から。
ギャリグローバは、最大面積を誇るスラムであるとともに、連邦国で最も窮困に陥っているスラムでもあった。
当然地域柄は悪く、治安が維持されていない。
完全に、無法地帯である。
週に一度は奴隷出荷があり、一度そこに住んでしまったら中々抜け出せない事から、“奈落町”とも呼ばれている。
そんなギャリグローバを通るのには、あまり気乗りしなかった。
だが、ギャリグローバを迂回するとなると、ギャリグローバを通った時の約四倍もの時間がかかる。
ただ単に道のりが増えるのも原因の一つだが、道中に軍の駐屯地が幾つかあり、それらを避けていくと、それ位の時間がかかる。
それはそれで、もっと面倒臭い。
やはり、ギャリグローバを通るしか無いのか。
エルダは、少し俯いた。
出発の準備を粗方済ませ、ギャリグローバへと出発した。
「あっ、そう言えば。エルダ様って浮遊魔法が使えるとお聞きしたのですが。本当なんですか?」
サラナが、少し目を輝かせながら、エルダに訊いた。
エルダは悩んだ。
此処で肯定してしまえば、此処まで浮遊魔法師である事を隠してきた意味が無くなる。
だが、否定したはしたで、少し落ち込ませてしまうだろう。
少し悩んだ後、エルダは答えた。
「あぁ、本当だよ。」
サラナなら、信用出来ると思ったからだ。
それに、辛い過去を持っていて、少しでも自分に希望を抱いてくれているならば、こうした少しの期待も、裏切れなくなってしまう。
「見せて頂いたりとか……………………」
目をキラキラさせながら、サラナはエルダに訊いた。
「……まぁ…………いっか。ほれ。」
そう言ってエルダは、サラナの体を少しだけ浮遊させた。
「うわぁぁぁぅぅぁぁぉぁ。」
困惑して、よく分からない声を、サラナはあげた。
そして浮遊させて、約十秒後。
エルダは、魔法を解き、サラナは地に足をつけた。
「はぁ…………これが浮遊する感覚………………なんとも言えない感じですね。」
口をポカンと開けたまま、サラナはそう独り言の様に呟いた。
「喜んでくれたのなら何より。」
「はい、とても新鮮な感覚でした。楽しかったです。」
少し元気そうな声で、サラナは言った。
旧ギャリグローバ共和国地区
一眼見て悟る。
自分達の故郷が、未だ裕福な方であった事が。
本当の貧困と云うもの。
そしてカルロスト連邦国の頭の可笑しさが、一瞬にして理解出来た。
屋根付きの簡素な建物が一列に並んだ大路に、エルダとサラナは居た。
何処かのゴミ捨て場に置いてありそうな鉄板と、その鉄板を支える鉄パイプ。
壁代わりに、鉄板とパイプの間に布を挟んである。
それとほぼ同じ様な物が、並んでいた。
どれも、小雨を防ぐ程度しか使い道のない様な大きさの物ばかりで、少し風が吹けば、たちまち雨風に晒されそうなものだった。
そこにいた住民は、全員、全身が薄汚れ、顔色は悪く、酷く窶れていた。
破れた水道管からは、抹茶色に汚濁した水が流れている。
地面にはその汚濁した水で出来た水溜まりができ、土でできた地面を緩くしている。
歩く度、足が少しネチャネチャと音を立て、一歩踏み出すにも一苦労であった。
こんな劣悪な環境下で生活していかないといかないと上に、そこにプラスで、貴族からの恐怖も抱えながら暮らさなければ行けないと考えると、とても複雑な心境になった。
そうしてその大路を歩いていた時の事だった。
「キャッ………………」
誰かが、エルダにぶつかり、地面に尻餅をついた。
エルダがふとその方を見ると、そこには、チリチリな上地面につく位まで伸びている髪を持った、小さな女児がいた。
髪の毛が顔を覆い、その表情や顔立ちまで確認することは出来なかったが、体格や身長を考えるに、恐らく四歳か五歳くらいだろう。
そんな少女が、泥だらけになって、地面に座っている。
着ている服は、もう何ヶ月も洗ったり直したりしていないのだろう。そこら中に穴が空いていて、元々色が染まってあったのか、もう既にその色は剥げ落ちて、少し黄みがかった布が顔を見せている。
エルダは、その少女に向かって手を差し伸べて言った。
「大丈夫?」