その後、父を焼いた炎が家に燃え移り、ニルミは、隣の家の住民に救助された。
 ニルミは、その隣家の人に背中をポンポンと叩かれながら、母の死体と共に焼かれる我が家を、呆然と見ていた。

 その後、灰となった母は、鎮火後一週間程経った時も当然見つからず、父と母は行方不明として片付けられた。
 ニルミは家を失ったので、近くの親戚の家で暮らすこととなった。
 その家は、焼けた実家から徒歩三十分程の場所にあり、ギルシュグリッツ郊外でも、一際大きな家であった。
 住んでいるのは、ニルミの母の姉とその夫。そしてその夫の父母と、娘が三人。計七人で暮らしていた。

 ニルミがその家にやってきた時は、皆笑顔で出迎えてくれ、その日の夜はパーティーをして、皆でどんちゃん騒ぎしたと言う。
 家が広い分、余っている部屋も幾つかあったので、その中でも、叔母叔父の娘の部屋から近く、それであって広さも同じくらいの部屋をニルミの部屋とした。
 引っ越した次の日からは、ニルミ用の家具を買い揃え、部屋を綺麗に飾った。
 その家具の設置には、叔母叔父の娘の上二人も手伝い、皆で和気藹々としながら、家具を設置していった。
 その三人の娘は、長女が六歳、次女が四歳、三女が二歳であった。
 ニルミの一つ上の歳の長女は、ニルミを直ぐに気に入り、暇さえあればニルミと遊ぶ様になっていた。
 その長女の名は、ミルズジア・ダルフラ。
 皆からは、“ミル”という愛称で呼ばれ、皆が可愛がった。
 そんなニルミの従姉、ミルは、良くも悪くもしっかりした性格で、その風体は、その女児を六歳とは思わせないものであった。
 間違ったことをすれば直ぐに謝り、家事はちゃんとこなす。
 優等生の模範的存在であった。
 そんなミルだからこそ、叔父叔母は、安心してニルミをミルに任せられた。
 ミルとニルミの遊ぶ姿は、いつも微笑ましく、それを見ると、無性に笑みを浮かべ、ミルを呼ぼうにも、邪魔するのは悪いだろうと、呼べない。
 その二人の遊びは、いつしか日常に溶け込み、ニルミは、自分の家の火事のことなど、すっかり忘れていた。



 五年後。
 突然誰も、ニルミと顔を合わせようとしなくなった。
 喋りかけても無視され、視線は合わせず、まるでニルミを排除しようとしている様にも見えた。
 ニルミとの間に、深い溝が一瞬にしてできた気がした。
 ミルに話しかけても、「ごめん」と小さく呟くだけで、視線を合わせようとしなかった。
 何故自分への対応が突然変わったのか、ニルミはわからなかった。
 その日は、自分の部屋で、うさぎ型のリュックを抱きしめて、必死に泣き声を押し殺しながら寝た。



 どうやらこの日、火事の前に家にいたあの半裸の女性が、「ニルミ・グレラフが放火魔だ」と言いふらして回ったらしい。
 その噂が叔母の耳にも入り、「そんな子とは二度と喋ってはいけない」と、家の中で強制した。
 未だ六歳だったミルも、それに従わざるをえなかった。


 一ヶ月後。
 とうとう、ニルミのご飯すらも準備しなくなった。
 お風呂にも入れず、着替えもさせて貰えなかったニルミは、ボロボロになった服を着て、臭い体のまま、自分の部屋の隅で、外から聞こえる激しい雨音に耳を澄ませていた。

 その夜。
 ニルミが窓の外をぼーっと見ていた時、部屋に誰かが入ってきた。
 その顔を見て、誰だかすぐに分かった。
 ミル。
 ミルは、ニルミと視線を合わせた後、鼻の前に人差し指を立ててシーッと静かに息で音を鳴らした後、ゆっくりとニルミの隣に座った。

「ごめんね。今まで避けちゃって。」

 ニルミと目線を合わせないまま、ミルはそう言った。
 ニルミは、声を最近一回も出していなかったので、返事をしようにも声が出なかった。
 涙で真っ赤に染まった目をミルに向けても、ミルと目が合うことはなかった。

 その後暫く沈黙が続いた。

「じゃ、じゃぁ、そろそろ行くね。」

 少し寂しそうな、名残惜しそうな声でニルミにそう言った後、ミルは、部屋を出た。
 結局、一回も喋らずに終わった。
 その後ニルミの部屋の前では、激しい罵声や、必死に謝るミルの声が聞こえた。
 最後は、頬を打つ音が聞こえ、それを最後に、部屋の前は静かになった。
 ニルミはこの夜、家を出ることを決めた。


 暫くして、皆が寝静まり、満月が真上に見える頃。
 ニルミは、特に何も荷物を持たずに、家を出た。
 豪雨の中、ニルミは歩いた。
 大粒の雨に体を叩かれようとも。
 目の中に水が入り込んでも。
 少し体が凍えてきても。
 ニルミは、涙を雨で誤魔化しながら、トボトボと歩いた。
 そんな時。
 ニルミの背後から、走る足音が聞こえた。
 ニルミは振り向かず、そのまま歩き続けた。
 (やが)てその足音がニルミの背後に止まった。

「ニルミ! ちょっとまって!!」

 後ろから、ミルの声がした気がした。
 ニルミは振り向かず、歩みを続けた。
 それを見たミルは、ニルミの肩に手を置いた。

「待ってってば!!」

 そう言って、ニルミの肩を軽く引っ張った。
 ニルミは、涙でぐちゃぐちゃになったまま振り返り、ミルに向かって叫んだ。

「何? どうせミル姉さんも、私が嫌いなんでしょう? なんで引き留めるの?!」
「嫌いなんかじゃない!!」
「じゃぁ何で今も、私の目を見てくれないのさ!!」
「…………それは……………………」
「やっぱり私が嫌いなんだ!! 父さんを焼き殺して、母さんの胸に穴を開けて、家を燃やした私が嫌なんだ。」
「違う!!」
「違わない!!!」

 そう叫んだ後、ニルミはミルの手を振り払って、さっきよりも早い速度で歩いた。

「待ってよ!!」

 またミルがそう叫び、ニルミの左手を掴んだ。

「止めてって言ってるでしょ!!! さっさとどっか行け!!!」

 それを聞いたミルは、少しニルミを握る手の握力を弱めたが、また直ぐに強くした。

「嫌だ!! こんなお別れの仕方!!」

 ミルも、涙でぐちゃぐちゃになりながら言った。

「帰ってきてよぉ……………………」

 そう言いながらミルは、握っていた手を離した。
 それを見たニルミは、少し家出を躊躇ったが、すぐにまた、歩を進めた。

「だから待ってってば!!」

 またミルが叫び、ニルミの右手を握った。

「五月蝿いんだよ!!! さっさと目の前から消えろ!!!!!」

 そう叫んだ時、ニルミの視線の先が、真紅の炎に包まれた。
 闇夜の中灯された業火。
 突然のことで、ニルミは後退りをした。
 その瞬間、地面に、首が無くなったミルが、倒れ込んだ。
 それを見て、ニルミは悟った。
 ミルの首が無いのは、恐らくさっきの炎に焼き尽くされたからだろう。
 じゃぁその炎は………………


 またやってしまった。
 また人を殺した。
 しかも、一番自分を見てくれていた人を。
 一番自分に向かって笑ってくれた人を。
 もう昔のように頭を撫でて貰えない。
 もう昔のように、笑い合うことは出来ない。
 私は、最愛の人の命を奪った。
 この手で。





 
 ニルミは、その場を逃げ出した。




 今すぐ逃げたかった。




 これを絶望と呼ぶのか。


 

 これを失意と呼ぶのか。





 ニルミは、締め付けられる思いで、豪雨の中、ミルを置いて、その場を去った。














 

 ミルが焼かれる直前。


 
 ニルミは、ミルと目が合った気がした。