「アステラ王!!」

 地面に横たわるアステラを真っ先に見つけたのは、少し遠くにいたルーダであった。
 直様駆け寄り、冷静に容態を確認する。
 すると、後ろからついてきた兵が、勝手に刺さっている剣を抜こうとした。

「触るな!! 失血死しても良いのか!!」

 とても冷静とは思えない口調で、ルーダは警告した。
 刺さった剣というのは、抜くとそこから大量に出血し、出血多量で死亡する恐れがある。
 つまり、刺さった剣が出血を抑えているのだ。

「早く! 救護班を呼んでこい!!!」

 いつに無く勁烈な声で、ルーダは兵に命じた。

「は、はい!!」

 あまり状況が読めていない兵が、救護員を呼びにいった。


 暫くしてアステラは、救護員に担架で運ばれ、アルゾナ王国は、優秀な指揮官を失った。
 それは、アルゾナ王国の敗北を意味していた。



 気を失ったまま担架に運ばれ、救護所の病床の中でも特に重症患者用の病床に、アステラは寝かせられた。
 そして、救護員総出で、アステラの治療にあたった。
 その病床の位置は、リカルの寝ている病床から見える所にあった。
 不意に目が覚めたリカルは、その視線の先に、血だらけになって倒れているアステラがあった。

 それを見たリカルは、目を真丸に開いて、掠れた声で呟いた。

「アス…………テラ…………………………王………






 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇








 約二十五年前。


 ギルシュグリッツ郊外の住宅街で、女児が産まれた。
 名は、ニルミ・グレラフ。
 幼い頃は活発で、何ににも興味を示す、好奇心旺盛な女児であった。
 その父母も、近隣の者からは『おしどり夫婦』と呼ばれる程に仲が良く、これからも平和な家庭が築けるだろうと、誰もが信じていた。

 そしてこれは、ニルミが五歳になった頃の話。



 父はいつもの様に仕事に出かけ、母もいつもの様にニルミの遊びに付き合った。
 この日は、母と二人で、市場へ出かけた。
 食材は勿論、衣服も買うらしい。
 ニルミにとっては久しぶりの外出だったので、五歳の誕生日に母に作って貰った、何も入っていないうさぎ型のリュックサックを自慢げに背負い、母に見せびらかせたあと、玄関まで走り、さっさと自分の靴を履いて、ドアノブに手を引っ掛け、「早くして」と言わんばかりに、期待の眼差しを母に向けながら、必死にぴょんぴょん跳ねていた。
 
 それを見て母は、優しい笑みを浮かべた後、ショルダーバックに財布を入れ、玄関まで歩いて行き、上品に靴を履いて、ドアノブにかかっているニルミの手の上からドアノブを掴み、ニルミと目を合わせ笑みを浮かべた後、ニルミと一緒にドアノブを捻り、外へと出た。


 日暮れ、持っていった鞄いっぱいに色々なものを買った。
 当初は予定に無かったものも色々と買った。
 その中でも、ニルミが欲しいと言って買った赤い小さなリボンが、一際目立っていた。
 家に帰るまでの道中、母が、鞄の中からそのリボンを取り出して、ニルミの頭にそのリボンをつけた。

「ほら、かわいい。」

 そう言って、無造作に頭をぐちゃぐちゃに撫でた後、満面の笑みを浮かべて、ニルミの顔を覗き込んだ。
 その笑みに対して、それに反応する様に、ニルミも幼子らしい笑みを浮かべた。



 家に帰り、ドアを開けると突然、母はニルミの手を離し、顔を青褪めた。
 よく見ると玄関に靴が二つある。
 グレラフ家は三人暮らしで、一人一つしか靴を持っていない。
 そして母とニルミは外に出ていて靴は玄関に無いので、今玄関に並んでいる靴は、父ともう一人誰かがいるという事になる。
 そしてもう一方の靴を見るに、明らかに女性ものであった。
 幼かったニルミにはこの意味が理解しかねたが、母は当然理解した。
 ベッドルームからは、ガサゴソと物音は絶えず聞こえた。
 母は、手提げ鞄をぼさっと地面に落とした。
 その後母は、靴を脱ぐのも忘れたまま、家の中に上がり、ベッドルームの扉を勢いよく開けた。
 母が扉を開けると、中からは、ちゃんと服を着れていない父が、息切れを見せながら出てきた。
 ニルミが部屋の奥を覗くと、見知らぬ、半裸の女性が、掛け布団を体に巻いて身体を隠しながら、上体を起こしていた。


 その後そのベッドルームの前は修羅場となった。
 母が叫べば父も叫び、それに対抗して、また母が叫ぶ。
 明らかに父の方に非があるのだが、自ら謝罪をすることを嫌う父は、必死に醜い言い訳をした。
 側から聞いたら、とても父は格好悪かった。
 醜かった。
 だが幼かったニルミには何が何だか分からず、その激しい口論を、ただただ外野から眺めることしか出来なかった。
 そんな時だった。

「五月蝿い!!!」

 癇癪を起こしてそう叫んだ父は、思いっきり母の頬をぶん殴った。
 母はその勢いで部屋の角に頭を強打し、地面に横たわり、頭からは大量の血が流れていた。
 それを見て、更に激しい息切れを見せた父は、そのままずかずかと、ニルミの方に向かって歩いていった。
 そして父は、ニルミの頬を打った。
 地面に叩きつけられ、頬が青くなる。
 痛さで泣き叫ぶ。
 黙って欲しい父は、再びニルミの元へと歩き、腕を振りかぶった。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

 怖さでそうニルミが叫んだ瞬間、父の体は燃え上がり、もがき苦しんだ後、灰すら残らず消え失せた。
 眼前から消え去った脅威()にニルミは、複雑な心境になった。
 あれでも、ニルミの愛した父だったのだ。
 だが、母の手を出したのならば、父は嫌いだ。
 ニルミは母が大好きなのだから。

 その後ニルミは、真紅の液に浸かった母の元へと歩き、母に言った。

「ママ! もう大丈夫だよ! 怖くないよ!」

 少し震えたその声を聞いた母は、ゆっくりと体を起こして、血みどろになったその(まなこ)で、引き()った笑顔を見せるニルミを見た。
 その瞬間、母はニルミを押し倒し、首を絞め始めた。

「ニルミ!!! よくも!!! よくもあの人を!!! 私の夫を!!!」

 そう言いながら、ニルミの首を絞めていった。

「や………………やめ…………………………」

 必死に声を出そうとするが、出るのは掠れた声だけ。
 遂には、呼吸すらも困難となった。
 そしてニルミは、残りの力を振り絞って、母の胸を両手で突き飛ばした。
 その刹那、ドオオオン!!! という轟音と共に、母の胸に風穴が空いた。
 その風穴付近の皮膚は、焼けた様に焦げている。
 当然母は、首を絞めることが出来なくなり、ニルミの上に寝転んだ。
 滝の様に血が流れる。
 ニルミは、自身の両親の命を、自分自身の手で奪った事に、気付けなかった。



 母の胸の鼓動が、聞こえなくなった。