会場の入り口に着くと、多くの人が並んでいた。
 美術の展示会では、自分が好きな時間に自分が好きな作品を見れる。人もまばらだ。
 しかし、こうやって決められた時間にたくさんの音楽をたくさんの人と共有する。これは音楽が好きな人にとっては有意義な時間である思う。
 順番を待ち、俺は時間ギリギリでホールに入った。たくさんの椅子とたくさんの人、まだ様々な人の声が響き渡る広い場所。
 こんなところで演奏するなんて......。
 改めて俺は、音楽をやっている人の心の強さに感動した。
 「ビー」(アナウンスが入る前の音)
 やばい席に座らないと。
 俺はステージから見て右側のドアから入った。
 真ん中らへんの席は埋まっている。
 俺は真ん中よりも少し右側の席に急いで移動して座った。
 ちょっと前過ぎたか?
 意外とステージが近く、前の方に座ってしまったらしい。
 「これより第66回夏の演奏会を開演いたします・・・」
 アナウンスが終わったと同時に、会場に楽しみなどといった期待する声が溢れてきそうな大きな拍手が響き渡った。


 幕が上がる。ステージ上が明るくなり、吹奏楽部員が次々と入ってくる。
 あ......夜瀬さんだ。
 彼女は1番最後にステージへと入ってきた。
 凛とした表情に美しい姿勢。
 俺の目には、彼女は特別な存在に見えた。
 指揮者が手を構え、合図と同時に演奏が始まった。
 第一部はクラシックステージ。会場を包み込むような柔らかな音が響いてくる。
 何回も練習を重ねたであろう繊細な音楽。
 心地の良いサウンド。
 これが吹奏楽か。
 一つの音楽だが一人ひとり役割は全く違う。誰かと音を合わせる協調性と一体感。
 彼女を見ると、楽譜と指揮者を交互に見て、語りかけるように吹いていた。音を誰かに伝える、心から音楽を楽しんでいる。
 彼女の吹いている姿を見てそう感じた。
 
 休憩を挟んで第二部が始まった。
 衣装や演出、そして会場の雰囲気もガラリと変わる。
 ライトの色も多分カラフルになっている。隣に座っていたおばあちゃんが「わ、綺麗!」と呟いてた。
 そしてそのスタートの合図は、桜さんのドラムだった。
 明るく軽々しい音。
 思わず体がリズムと共に動いてしまいそうになる。
 前に桜さんが俺の腕を引っ張った時に、思わず力強いと感じた理由が分かった。
 一旦曲が終わると、吹奏楽部員の司会が入ってきた。
 司会も部員がやるのか。
 演奏だけが吹奏楽部ではない。
 吹奏楽部というのはこういったところまで自分たちで考えてやっているのか......。
 俺は初めて知った。
 「次の曲は、ミュージカルや映画でかの有名な『レ・ミゼラブル』をお送りいたします!先ほどとは違った力強よく、切ないサウンドにご注目し、この『レミゼ』の世界を堪能してください!それでは、どうぞ!」
 『レ・ミゼラブル』
 俺もこれは映画を観たことがあった。
 フランス革命後が舞台となっている。生や死、愛すること、失うこと。様々なことを考えさせられる名作だ。途中で出てくる歌が、より観ている人を魅きつけていると思う。

 演奏が始まった。
 さっきの演奏とは打って変わったサウンド感。明るい音にはどこか切なさがあり、また静かな音には、隠すような力強さがあるように感じられた。
 そして曲が自然と切り替わる。
 『On My Own』
 その意味は、自力で、1人で。
 切ない音の中にも、自分が持つ心が見えるような気がする。
 すると、夜瀬さんが椅子から立ち上がり、前に置いてあるマイクの方へと向かった。
 これはソロだ。
 ここにいるみんなが彼女に注目をする。
 彼女にスポットライトが当たり、彼女の音だけが透き通って会場いっぱいに響いた。
 〈ラレレーレミレミラファ#ミレー・・・〉
 あ......この曲......。
 このソロは、俺が前に彼女が自主練をしている時に聞こえてきた曲だ。この日のために何ヶ月も前から練習をたくさん重ねてきたんだ。
 彼女の音は、会場にいるすべての人を魅了していた。俺もその1人だ。
 かっこよくて努力家。そんな彼女のクラリネットからは、色鮮やかな音が溢れていたに違いない。俺には、彼女がここにいる誰よりも輝いて見えた。
 なんという色だろう。
 俺が見ている景色に、彼女はどんな音をつけるのだろう。
 ソロが終わり彼女が深くお辞儀をすると、会場が多くの拍手で包まれた。
 彼女の音は、たくさんの人に愛されている。
 彼女の音は、たくさんの人を笑顔にしている。
 そう思わずにはいられなかった。

 誰かに伝える手段というのは言葉だけではない。音楽という一人ひとり違う表現だからこそ、伝えることの幅はより自由に広がるのではないかと感じた。