ねっ! そこの、きみ!

 そうそう! 私の目の前にいる、あなたのことだよ!

 ちょっとだけでいいから、私の思い出話に付き合ってくれないかな?

 私ね、今とっても幸せなんだ。
 幸せな気持ちって、誰かと分かち合いたくなるものでしょ?
 だから、お願いっ! 少しだけ! ねっ?


 *


 まずは、私と彼女のことについて少し話すね!

 イマジナリーフレンドって、知ってるかな?
 空想の友人っていって、現実にいる人間じゃないんだ。他人からは見えない、想像の中の友達のことなんだけどね。

 私が彼女と出会ったのは、確か、5歳くらいの時だったと思う。喧嘩してる親から逃げ出して、家のすぐ近くの公園で泣いてた時だったかな。

「ねっ! 一緒にあそぼ!」

「ふぇっ!?」

 桜の木の下でしゃがみ込んで泣いてて、いきなり話しかけられたものだから、驚いて尻もちをついちゃって。それでまた泣きそうだったんだけど、その前に今度は手を引っ張ってね、

「ほら! こっち!」

「ええっ!? ど、どこにいくの?」

「お花畑だよ!」

 向かったのは、近くにあったシロツメクサの花畑だった。一面に咲き誇る白くて可愛い花たちの光景は、今でも覚えてる。

「ねねっ! ここで一緒に花冠つくろーよ!」

「はな、かんむり?」

「うん! お姫様みたいにしてあげる!」

 それからは夕方になるまで、二人で夢中になって花冠を作ってた。あんなに泣いていたのが嘘みたいに笑って……ふふっ、本当に楽しかったなー。

 その時から、私たちは友達になったの。

 他の人から見えないのは、すぐに気がついた。普通にお喋りしてると、周りの人から怪訝そうな顔をされたから。幼い頃は気にしてなかったけど、成長するにつれて私たちが気兼ねなくお話しできるのは、周囲に誰もいない時だけになった。

 どうして生まれたのかは、はっきりとはわからない。多分、家族のことでうまくいってなかったり、知らない街に引っ越して来たばかりだったからだと思ってる。
 極度の人見知りだったし、内気で怖がりだったし、心細かったんだと思う。

 だから、私たちはすぐに仲良くなった。
 幼い頃は、出会った時みたいに花冠を作ったり、おにごっこをしたり、街を二人で探検したりしてた。
 普通は小学校低学年くらいで消えるみたいなんだけど、私たちの場合は全然そんなことはなくて、高校生になっても普通に遊んでた。昔からの散歩はもちろん、小さなショッピングモールで買い物もした。休日は誰もいない公園のベンチで、暗くなるまでお喋りしてた。
 まったく飽きなかったし、すっごく楽しかった。
 両親の喧嘩は相変わらずで、人見知りも酷くなってたから、心にポッカリと空いた穴を埋めるのに、どうしても必要だったんだろうね。

 梅雨は一緒の傘に入って、雨の中をのんびりお散歩した。

「ねっ! 陽茉莉(ひまり)は夏休み、どんな予定立ててるの?」

「んー、特に何も考えてないなぁ。学校の宿題は多いし、夏季補修もある学校だから、結構忙しくなりそう」

「そうなんだ。じゃあお休みの日はたくさん遊ばないとだね!」

「うん! 私も菜月といっぱい遊びたい!」

 一緒に海に行って、川にも行った。

「あっ! 陽茉莉、見て! あれアユじゃない?」

「ほんとだ! 美味しそうっ!」

「え……。私は可愛いって思ったのに……」

「……」

「お腹空いてる?」

「もう! 食い意地そんなに張ってないよっ!」

「アハハっ!」

 近くでやってた小さな夏祭りにも行った。それなりの田舎だったから、人のいない場所を見つけるのは簡単だった。

「熱いから、気をつけてねー」

「はふはふ……このたこ焼き、はふぃけど、おいひぃ!」

「相変わらず張ってるねー、食い意地」

「うるひゃい!」

「その勢いがあれば、人見知りもすぐ良くなると思うけどなー」

 本当に楽しくて、こんな毎日がずっと続けばいいなって思ってた。
 あの時までは。

 あれは確か、高校2年生の時だった。
 真夜中にね、泣いてたんだ。
 発端は、失恋。
 当時、同じクラスで隣の席の男子、宮永光輝くんに恋をしてた。たまたま教科書を忘れた日に見せてもらってから少しずつ話すようになって、内気な人見知りにしては珍しく仲良くなっていった。クラスの日直とか委員会とかも一緒になって、最寄りのバス停まで並んで帰った日もあった。
 優しくて、面白くて、笑顔が素敵な男の子。ようやく出会えた、心を許せる大切な人。
 彼に夢中になって、いつの間にか好きになってしまってたんだろうね。
 でも。彼にはべつに好きな人がいたみたいだった。その相手は部活の先輩らしくて、とても綺麗な人だった。
 悲しくて悲しくて、どうしようもなくなって、口にしてしまったんだと思う。

「菜月は……これからもずっと、一緒にいてくれるよね?」

 絶望のどん底で、一筋の光を必死に頼りにしているような、そんな危うさがあった。

「もちろん! ずーっと、一緒だよ!」

 嘘だった。
 イマジナリーフレンドが、消えずにずっと一緒に居続けることは限りなく少ない。少なくとも、私たちの関係は空っぽの隙間を埋めるために生まれたはずだから、隙間がなくなれば関係は自然に薄れていってしまうだろう。
 それでも、壊れてしまわないように、繋ぎ止めることがどうしても必要だった。

 でも。
 この関係は、長く続けてはいけない。
 このままだと、友達はおろか、恋人だってできない。大人になってもひとりで過ごして、孤独を感じて生きていくなんて、そんな悲しいのは嫌だから。

 この夜を境に、ずっと一緒だった私たちの日常は少しずつ変わっていったんだ。


 まずは、友達。
 極度の人見知りで内気な性格だけど、二人でいる時は普通に話せるから、最初のハードルさえ越えてしまえばあとはなんとかなる。
 そう思って、とにかく接点を増やすために学校近くの公園で遊ぶようにした。

「あれ、同じクラスの梨花ちゃんじゃない?」

「ほんとだ……」

「話しかけないの?」

「き、今日はやめて、明日から……」

「はい、だーめ! ほら、がんばろ!」

 さすがにクラスメイトに話しかける時にもイマジナリーフレンドと一緒にいるわけにはいかない。だから、話しに行くのは自分自身だけ。
 何回も二人で練習してから、思い切って話しかけに行ってた。最初は戸惑ってたけれど、天然な性格もあったから意外にも早く打ち解けて、どんどん仲良くなっていった。
 友達の友達とも一緒に遊ぶようになって、あんなに狭かった交友関係は広がっていった。

「ねぇねぇ! 聞いて! 今度ね、梨花ちゃんと真美ちゃんとショッピングモールに行くんだ! あそこにあるケーキ屋さんがおしゃれで、すっごく美味しいんだって!」

「まーた食べ物! ほんと陽茉莉は食いしん坊だなあ」

「い、いーじゃんっ!」

 友達が増えるたびに、笑顔も増えていった。

「ごめん! 明日は学校の友達と約束があるから、明後日遊ぼうね!」

「うん、わかった! 楽しみにしてるね!」

 すかすかだった予定も埋まっていって、二人でいる時間も次第に減っていった。寂しい気持ちもあったけれど、これで良かった。

 そしてもうひとつ。
 ほかに好きな人がいるらしいからと諦めてしまった、あの時の恋だ。

「まだ告白したわけじゃないんでしょ! だったらその先輩よりも魅力的になって振り向かせよう!」

「ん、んー……でも本当に素敵な先輩だったよ? 私なんかが、無理だよ……」

「弱気にならない! 大丈夫! 友達もできたんだし、陽茉莉は可愛いんだから大丈夫だよ!」

 どうも食わず嫌いというか、最初から諦めてしまう節があったから、気持ちを前に向ける必要があった。彼女の言葉は、弱気になりそうな私を奮い立たせてくれた。
 最近流行っている雑誌なんかを二人で見て、似合う髪型や服装を選んだ。美容院でセットして、人気のアパレルショップでしっかりコーディネートをしたら見違えるようになった。

「こ、これが私?」

「ほらー! だから大丈夫って言ったじゃない! これで残すは告白だね!」

「ええっ! ま、まだ早いよ……」

「告白はまあ、そうか。ならデートからだ!」

「で、デートっ!?」

「確か宮永くんも、チョコレート好きだったよね? ほら、この雑誌に載ってるカフェなんかいいんじゃない? ショコラケーキが絶品だってさ! 誘ってみなよ!」

「えええっ! んーでも……」

 行きたいけど、行きたくない。
 デートしたいけど、幻滅されたくない。
 好きだけど、気持ちを伝えるのは怖い。
 矛盾していて、矛盾していない。そんなもどかしい気持ちが、浮いたり沈んだりしていた。
 でもここまできたら、あともう少し。
 今一歩踏み切れないのなら、踏み切れるシチュエーションにしてしまえばいい。
 そう思って、私は行動を起こしたの。

「あれ……どこにいるの?」

 今日もね、私たちはいつもの公園で約束をしていた。
 最近は友達も増えて、ゆっくりお喋りする時間が減っていた。でも今日は、学校が終わった夕方に公園の入り口で待ち合わせをしたんだ。ショコラケーキが有名なカフェの記事が載った雑誌を見ながら、また楽しくお喋りしようって言って。

「まだ来てないのかな。おかしいな。いつもなら……」

「あれ? もしかして陽茉莉?」

「えっ! 宮永くん!?」

 思った通りだった。
 宮永くんはいつも下校の時、バス停に向かうためにこの道を通る。時間帯も想定通りで、残すは最後の一押し。

 私は、近くの茂みから思いっきり大きな声で叫んだんだ。

「陽茉莉ーーっ! ずっと大好きだよーーーーっ!」

 私の声は、陽茉莉にしか聞こえない。だから、宮永くんに聞かれることはない。
 陽茉莉は驚いて、手に持っていた雑誌を落とした。
 家でもあんなに眺めてたんだから、当然、例のカフェのページが開いたよね。
 
「あれっ! このカフェって、俺がめっちゃ行きたかったとこだ! もしかして、陽茉莉も甘いもの好きなのか?」

「え、う、うん……」

「おー! なら一緒に行こうぜ! あそこ、女子ばっかりだから行きにくくてさ」

「え? で、でも! ほら、前に仲良いって言ってた部活の先輩とかと行ったらいいんじゃない?」

「いやいや、さすがにダメだって。あの人彼氏いるし、俺も先輩と二人きりとかなんか気まずいし。むしろ俺は陽茉莉と行きたい。最近、なんかあんまり話してなかったし。いやか?」

「そ、そんなことない!」

「よーし! じゃあ決まりだな! とりあえず道すがら話そうぜ。俺、バスの時間もうそろそろだし」

「え、でも……」

 茂みのほうへ視線を向ける陽茉莉に、私はまた叫んだ。

「陽茉莉ーーっ! 私のことはいいから先に進めーーー! チャンスを逃すなーーーっ!」

 陽茉莉は少し迷っていたみたいだったけど、宮永くんと一緒に帰っていった。
 私は、そりゃもう大満足だったよ!
 ここまで計画通りに行くなんて、思ってもみなかったから。

「陽茉莉ーーーっ! 世界で一番の幸せをつかめーーーーっ!」

 遠ざかっていく背中に向かって、私はまた叫んだ。ビクッて驚く陽茉莉が、なんか可愛かった。

「陽茉莉ーーーっ! 私は、私は……っ! ずっとずっと、陽茉莉のことが大好きだからねーーーーっ!」

 夕陽が、二人の背中が、やけに滲んで、見えにくかったっけ。
 見えなくなるまで、私はしっかり見送った。

「陽茉莉……ほんと、大好きだよ。ばいばい……っ!」

 私は、陽茉莉のイマジナリーフレンド。
 陽茉莉のために、ある存在。
 それなのに、一度だけ嘘をついた。
 私は、ずっと陽茉莉のそばにはいられない。
 ずっといたいけれど、それだと陽茉莉は前に進めない。
 だから私、頑張ったんだ。
 頑張って、弱気になりそうな気持ちを奮い立たせて、最後まで笑顔で、陽茉莉を見送ったんだ。
 全部伝えられたから、悔いはない。

 陽茉莉は、きっと大丈夫。
 私がいなくても、前に進んでいける。
 友達と、恋人と、一緒に進んでいける。
 陽茉莉は、ひとりじゃない。

 だから今、すっごく幸せなの……!
 幸せで幸せで、泣きたいくらいなんだ……っ!

 この幸せを噛み締めてたら、あなたが消える間際の私の声を見つけてくれた。陽茉莉以外の人には聞こえないし、ましてや見えるはずないのにね。不思議。
 それと、少しだけって言ったのに、長い話に付き合わせてごめんね。

 本当に、ありがとう!

 どうかあなたにも、最高の幸せが訪れますように。

 それじゃ、ばいばーい!