麻婆豆腐を食べ終えた私達は、まずは奏お姉ちゃんの眼鏡を見に行くことにした。今はメガネ屋さんに向かっている途中だ。私は目がいいのでわからないけど、奏お姉ちゃん曰く、成長期で度が進んでしまってよく見えなくなってきているとの事だ。

 1年前に替えた気がするけど、この年齢だと度が進みやすいらしい。楓にも聞いたらそんな感じの答えが返ってきたから、メガネかけている人は大変なんだなあと私は思う。

 ここ榛名ヶ丘には奏お姉ちゃん行きつけのメガネ屋さんがある。そこは安い割にデザインも良いからお気に入りのお店なんだとか。まあ学生からすれば、安くていいデザインのお店は重宝したくなるよなあと思う。ただ、一つ疑問に思うことがある。

「そう言えば、お姉ちゃんはなんでコンタクトにしないの?」

 そう。何故コンタクトにしないかだ。今はコンタクトも割と安価で売られている。種類も昔よりは豊富になっていると聞いている。あと、メガネの奏お姉ちゃんもかわいいけど、コンタクトもきっと似合うはずだ。それなのに、コンタクトにしない理由はなんなのだろうか。

 奏お姉ちゃんは少し考えた後、こう答えた。

「小さい時からメガネだったから、今更替えたくないっていのが大きいかなあ。もう私と言ったら眼鏡っていうイメージだからねぇ」

 言われてみればその通りだ。小さい頃から奏お姉ちゃんはメガネをかけていたから、そのイメージしかない。それをいきなり外したら困惑する人も出てきそうだ。

 奏お姉ちゃんは続けてこう語った。

「あと、目に入れるのがどうしても怖いのもあるかなぁ。急いでる時とか失敗したら痛そうだし。樹くんもコンタクトらしいけど、たまに失敗してゴロゴロするって言って痛そうな感じがしてたから、私は一生メガネでいくかなぁ」

 なるほど。こう聞くとコンタクトもそう簡単ではないようだ。コンタクトも似合いそうだけど、これは胸に秘めておこう。そんなことを考えているとメガネ屋さんに到着した。

「じゃあ、行ってくるねぇ」

 奏お姉ちゃんはそう言うと、店員さんに声を掛けに行った。声をかけられた店員さんは、奏お姉ちゃんを部屋の奥の方へと案内していた。何をしているのかと言うと、視力検査とか色覚の検査とか乱視の検査なんかをしているらしい。

 メガネって、フレーム選んで度数調整すれば終わりってイメージだったから色々面倒だなあと聞いていて思った。まあ、私には今の所縁のない話ではあるけど。

 もしそうなったらどうしようか。やはりコンタクトかな。今まで裸眼で来ているから、メガネ姿とかは周りが困惑しそうだ。あと、見分けがつかなくなりそうだ。

 私と奏お姉ちゃんは二卵性双生児だから似ていると言えば似ているが、見分けがつかないかと言われれば違う。微妙にパーツが違っている。なので見分けがつく人にはすぐにわかる。その一例が楓だ。

 楓は一瞬で私と奏お姉ちゃんを判別できる。奏お姉ちゃんが裸眼になっても一発でわかるし、目隠しをしてもどっちの声だかわかってしまう。家族レベル、もしかするとそれ以上に判別できるかもしれない。

 だけど、他のクラスメイトは、メガネがないと見分けがつかないと言っている人が多い。と言うことは、半分くらいの人は見分けがつかないそうだ。なのでつけてしまうと誰かわからなくなりそうだ。まあ怖くはないけど、迷惑そうだからつけることはないだろう。

 とは言え、メガネ屋さんに来たんだから何もせずにじっとしているのはなんかもったいない気がする。なので、見るだけ見ておくことにしよう。私はそう考えながら、店の売り場を練りあるいた。

 へぇー。今のメガネって、案外安いんだなあ。安いとは聞いていたが思っていた以上に安い。昔奏お姉ちゃんのが壊れた時、2、3万円くらいしたとか聞いていたから高いイメージがあった。

 だけど、今並んでいる商品はフレームも込みで税込5500円くらいで手に入るらしい。アウトレットメガネというやつに関しては3300円と、イメージしていた数十倍安い値段だ。まあ、品質は悪いんだろうけど、どうしてもの時はこう言うのはでもいいんだろうなあ。私はその安さに驚いていた。

 フレームを見ていると、ある一つのメガネを見つけた。それは銀色のフレームで少しだけ細長い丸型のものだ。これって、奏お姉ちゃんが付けているものと同じじゃないか。私はフレームを手に取り、色々な角度から見てみる。これをかければ、ひょっとして奏お姉ちゃんに近い見た目になるんだろうか。

 少しくすぐったい感じがするが、悪い気はしない。まあ鏡で見た私に惚れるって事はないけど、大好きな人に近づくと言う事に憧れがないかと言われれば嘘じゃない。奏お姉ちゃんになれるセットと考えれば悪い気はしない。けど、これはメガネだから私はかけられない。諦めよう。

 そう思いフレームを下ろそうとした時だった。

「お客様、気に入られましたか?」

 女性の店員さんに優しい声をかけられた。まさか店員さんに見られていたとは思わず、私はビクッと体を上下させてしまった。

「あっ、いえ。気になったんですけど、私目がいいので買えないなあって思ってたんですよ」

 私は買う気はないよというつもりで答えた。しかし、店員さんは笑顔を崩さない。

「でしたら、伊達メガネというのはどうでしょうか。丁度そのフレームと同じものが伊達メガネのラインナップにあるんですよ」

 伊達メガネ⁈予想もしない答えに私はまた驚かされた。確かに伊達メガネならかけることは出来る。出来るんだけど、その分お値段が張るとかそういうのがありそうだ。それを聞いてみたが、店員さんは表情を崩さない。

「いえいえ。お値段はこちらのフレームとご一緒の5500円でございます。今なら無料でブルーライトカット加工もお付けできますよ?」

 なんということだ。安値で奏お姉ちゃんになれるメガネが手に入るわけだ。これは、買い一択だ。

「お願いします! 買います!」

 私はついうっかり興奮気味に答えてしまった。少し恥ずかしさで体温が上がる。

「あらあら。余程お気に召されてたようですね。でしたら、調整のために一度かけてみましょうか」

 店員さんは笑顔のまま、商品を探しに少しこの場を離れた。と言うわけで、一度試着してみることになった。今までかけたことがなかったので、どんな風になるか楽しみだ。

 1分後。店員さんがそれを持ってきた。鏡の前での試着だ。少し緊張するな。手を少し振るわせ、目を閉じてながらメガネをかける。

 スチャっ。

 目を開けると、メガネをかけた私が居た。当たり前と言えば当たり前の感覚だ。でも、奏お姉ちゃんに見えないこともない。いや、少し遠目で見れば奏お姉ちゃんに酷似している。私は奏お姉ちゃんになった。なってしまったのだ。

 ゾク……。ゾクゾクっ!

 なんとも言えない全能感のような感情が私の全身を包み込み、発散される。この感じ、嫌じゃない。むしろ快感だ。これ以上の快感なんてないんじゃないか。そう思えるくらい、私はこの感情と感覚に支配されていた。

 店員さんは何か言っている様だが私はあまり聞こえず、うん、うんと生半可な返事をしていた。

 そして、店員さんがメガネを取った。その瞬間にそれは一気に消え去った。ただ、満たされたふわふわとした感覚を残して。

「サイズ調整も終わりましたので、レンズを付けてきますね。伊達メガネですので、30分程で終わると思いますので、あちらの席でお待ち下さい」

 そう言うと、店の奥の方へと店員さんは行ってしまった。私は言われるがまま、ふわふわとした足取りで席へと向かった。

「あれぇ? 美優羽ちゃんも何か買ったのぉ?」

 隣の席に偶然いた奏お姉ちゃんに声をかけられる。私は少し目を凝らして奏お姉ちゃんを見る。

「ど、どうしたのぉ⁈ 私を急にそんなに見つめて」

 奏お姉ちゃんは少し恥ずかしそうにしている。うん、改めて見て奏お姉ちゃんは奏お姉ちゃんだし、私は私だ。正常な感覚に戻ったのを感じて私は一安心する。

「い、いやっ。なんでもないわっ。それより伊達メガネを買ってみたの」

 私は誤魔化すように話を別の方向に逸らした。

「おぉ。美優羽ちゃんも伊達だけど、メガネデビューするんだね!」

 奏お姉ちゃんはメガネ仲間が増えて嬉しいのか、喜んでいるようだ。喜ぶ姿、かわいいなあ。やっぱり奏お姉ちゃんはこういう人だし、こうでないとね。私はそう思った。

「ま、まあ、そう言うことになるわね。けど、毎日はかけないわ。休みの日だけにするわ」

 まあ、毎日この感覚になっていては体が耐えられそうにないし、たまに味わえるからいいのである。だから、この場でだけどそうすることに決めた。

「じゃあ、休みの日どっちが私でしょうかゲームとかお姉ちゃん達に出来るねぇ」

「ええ、そうね」

 私はそういう目的では買ってないが、奏お姉ちゃんはそういう使い方を楽しみにしているようだ。まあ、奏お姉ちゃんに付き合うのも悪くない。いや、むしろ最高だから、そういう遊びを一緒にしよう。

 しかし、私はいいものを手に入れた。簡易的だが奏お姉ちゃんになれる恐ろしい道具だ。まあ、使い方を間違えない様にして楽しもう。私はそう心に誓った。