迎えた日曜日。私はあまり人のいなさそうな夕方を狙って、訪れることにした。

 一つは、落ち着いた静かなところで、一人一人にしっかりと時間をかけて見たいからだ。もう一つは、自分の趣味がバレないようにするということだ。どちらかと言うと、後者の方が大きなウエイトを占めていた。

 もちろん、ウィッグや帽子をかぶったり、服装を大きく変えたりして、学校での雰囲気から大きく変えている。

 多分だけど、学校での私しか知らない人には、気づかれないとは思う。それでも、何があるかわからない。うっかり気づかせてしまうようなことを、言ってしまうかもしれない。

 とにかく知り合いに声を掛けられないようにと、必死に祈りながら歩いた。

 すると、ヨーロッパのレンガ造りの家を模したような、二階建ての建物が目の前にあった。玄関口には、こげ茶色のしゃれた木製の看板が置かれている。どうやら、ここがその店の様だ。

 こんなにおしゃれな店なら、間違いなく、連れて帰りたくなる子がいるはずだ。私は確信した。

 気持ちを高ぶらせながら店に入ると、大小様々なテディベアが、店内の棚に並べられていた。

 しかし、ただ単純に並べているだけじゃない。ベンチに座っていたり、ドールハウスみたいな形で飾られていたりと、魅力を最大限に引き出すための工夫が、あちこちに凝らされている。安っぽい言葉だけど、ここは私にとっての楽園だ。

 これまでにないくらい頬を緩ませながら、テディベア達を見て回った。遠くから見てもそう感じていたけど、ここにあるものはみんな質が高い。

 毛並みは奇麗だし、細かな縫い目までしっかりとした作りになっている。これを見られただけでも来てよかったなあと、心の底から思った。

「かわいいなあ、この子。連れて帰りたいなあ……」

 本音が思わず口からこぼれてしまった。すると、

「連れて帰る、か。なかなか独特な表現だね」

と、不意に後ろから声を掛けられた。そのせいで、ビクッと身体が跳ね上がってしまった。

「おっと、驚かせてごめんね」

 振り向くと店員さんと思われる女性が、穏やかな表情で私を見つめていた。

「いやー。あまりにも目を輝かせてみてたから、ついつい、声を掛けたくなってね」

「えっと、店員さんですか?」

「そうだね。私はteddy’s(テディズ) house(ハウス)――この店の名前――の店員兼店長の上野だ。ただ、名字で呼ばれるのは好きじゃないから、美奈(みな)さんって呼んでいいよ」

 美奈さんは気さくな感じで言ってくれた。それに対して私は、少しおどおどしながら返事をした。

「それにしても、連れて帰るって、なかなか独特な言い回しだねえ。初めて聞いたよ」

「え、えっと、テディベアにしても人形にしても極端に言っちゃえばモノですけど、私はそういう風に扱いたくなくて。ヒトと同じように、扱いたかってあげたかったのでそういう風に……」

「なるほど! 確かにその通りだ。私もその心意気を、見習わないといけないみたいだね」

 美奈さんがうんうんと、首を縦に大きく振った。それを見て、ホッと一息ついた。実は少し前に、ネットの掲示板でこんな感じの事を言った事がある。

 その時は、大多数の人からドン引きされてしまった。なので、変人扱いされたらどうしようと、内心ひやひやしていた。

 その後は好みの肌触りや毛並み、大きさの好みを語り合った。不思議なことに、美奈さんと私は好きなタイプがとても似ていたのだ。

 もしかすると、美奈さんも私のようなタイプの人なのかもしれないと、(ひそ)かに思った。

「それにしても美奈さん。ここにあるのは全部質が高いですね。ここまできちんとしてる店なんて初めてみました」

「でしょ。私が実際に見ていいと思ったものだけしか置いてないからね」

 奈々さんは誇らしそうな顔をしていた。

 私の目利きは絶対だと、目がそう語っているように見えた。

 それからは火がついたように自分の体験談を語り出した。自分の求めるテディベアを探すために、海外のあちこちを旅した話や、その時の苦労話、おもしろいエピソード。

 そのどれもが、頭にその情景が思い浮かんでしまうくらい、おもしろい話だった。

「スゴいですね、売らせてもらうためにそこまでやっちゃうなんて。やっぱり好きだからですか?」

「ああ、そうだとも。大好きだから、そこまでしたいのさ」

 美奈さんは不敵な笑みを浮かべていた。その表情に私はゾッとさせらてた。

「おっと、少し話すぎちゃったか」
 
 美奈さんに言われ、ハッと時計を見てみると、店に来てから三十分以上が過ぎていた。

「ごめんね。あとはじっくり、お気に入りの子を探してね」

 申し訳なさそうに言うと、美奈さんはショップの裏口の方に向かって行った。さて。じっくりと言われたけど、少し急がないと帰りが遅くなってしまう。そんな心配をしながら見ていると、

「あ、あのー……」

 なぜか、平日の夕方あたりによく耳にする声が聞こえた。反射的に振り向き、おそるおそる声の主を確認してみると、やはり朱里ちゃんだった。

「あっ、えっと、その……」

 朱里ちゃんが困惑しているような表情で、私をまじまじと見つめている。私は、頭の中がパニックに(おちい)り、身体のあちこちから冷や汗が流れ出していた。お互い次の言葉を出せず、沈黙したまま時間が過ぎていく。

「ど、どうしたの?」

 この空気に耐えられず沈黙を破った。すると、朱里ちゃんの表情は、普段私によく見せてくれるあの屈託(くったく)のない笑顔に戻った。

「あ、ごめんなさい! 後ろ姿が私の知ってる先輩に似てたので、つい声を掛けちゃいました」

 ぺこりと朱里ちゃんは頭を軽く下げた。よかった、どうやらバレていなかったようだ。私は心の中でほっと一息ついた。

「いいのよ、気にしなくて。空似(そらに)なんてわりとあることだから。それより、あなたもこの子達のことを見に来たの?」

「はい! 私、テディベアが大好きで、さっき今日オープンの店があるって聞いたので、急いで見に来ました」

「そうなの。よかったら色々お話しないかしら? この子達について」

 折角(せっかく)の機会なので、朱里ちゃんとテディベアについて語り合うことにした。

 話していくうちに、朱里ちゃんも私と同じくらい、テディベアが大好きだということが伝わってきた。

 そして、私と同じように、一人一人にちゃんと名前をつけていることも分かった。一方で、私とは好きな肌触りや大きさが、かなり違うようだ。私は少し大きめで、もこもこしたものが好きだけど、朱里ちゃんは小さめで、さらさらしたものが好きらしい。

 だけどそれで揉めることは一切なく、テディベア談義は進んでいった。

「ありがとう朱里さん。なかなか楽しめたわ」

「いえいえ。私も、普段友達とここまで深く話さないんで、ナナさん――私の教えた偽名――すごく楽しかったです」

 気が付けば、愛好家同士の熱い友情のようなものが芽生えていた。もしも、趣味の世界だけの付き合いだったら、朱里ちゃんとはこんな関係になれたのかと思うと、少し残念な気分になった。

「やっぱり、私の知り合いの先輩とは全然違いました。その先輩と名前は同じでも、声は先輩よりも凄くかわいいですし、服装だって、お姫さまって感じがしてめちゃくちゃかわいいですし。奈々先輩ったら、かわいさの欠片(かけら)もないんですよ! 少しくらい、こんな感じでかわいくすべきなんですよ! ナナさんの爪の垢を、煎じて飲ませたいくらいですよ」

 朱里ちゃんは唇を(とが)らせて訴えた。確かに、普段そういった雰囲気を徹底して出さないようにしてるから、そう見えてしまうのは当然だとは思う。

 だけど、ここまでボロクソに言われてしまうのは、流石にショックだった。

「ま、まあまあ……。朱里さんは、その先輩のことよく思ってないの?」

 落ち込んでいるのを悟られないよう、平静を装いながら朱里ちゃんに尋ねてみた。朱里ちゃんはこの質問に対して、首を横に振った。

「…………そんなことないですよ。むしろ、大好きです。顔とか行動がかっこいいのもあります。でも、それより、いつも真面目で、誰に対しても平等に優しくて、そんなところが私は大好きなんです。本当に素敵な先輩なんですよ。奈々先輩は」

 目を閉じて胸に手を当て、少しだけ頬を朱色に染めて朱里ちゃんは私のことを語ってくれた。言われた私の心の中は身体の奥底から湧き上がるうれしさを押し殺すのに精一杯だった。

 正直、かっこいいから好きだみたいなことを言うと思っていた。今まで会ってきたどの女の子もそうだったように。だから、こういうこと想ってくれていてそれを言葉にしてくれているのは本当に嬉しかった。

「……いい先輩なのね。奈々さんは」

 私は動揺を隠すため、一呼吸おいて軽く笑みを浮かべた。

 それから、私と朱里ちゃんは、それぞれどの子を連れて帰るのかを黙々と選び始めた。しばらくすると、朱里ちゃんがこちらに寄ってきた。どの子にするのかが決まったらしい。

「私、今日はこの子にします!」

 朱里ちゃんが手に取っていたのは、私の好みに近い子だった。

「え? それは朱里さん好みというより私のでは?」

「はい。そうですよ。ナナさんがあそこまで熱く語ってくれたので、この子にしました」

 朱里ちゃんは両手で大事そうに抱えながら、私を見てニコッと微笑んでいた。その表情に思わず胸がキュンとときめいた。

「それじゃあ、そろそろ帰らないとマズいので、私はこれで。また、会えるといいですね」

 そう言い残し、朱里ちゃんは少し駆け足で、レジの方に向かって行った。




 私が家路についたのは、六時を少し過ぎた頃だった。流石にお母さんも心配していたみたいで、家に着くと、なぜ遅くなったのかを真剣な顔で聞かれた。

 それに対して私は、朱里ちゃん関連以外の出来事を答えた。お母さんはそれを聞いて納得してくれたが、あんまり遅くならないようにと釘を刺された。

 部屋に戻り、連れて帰ってきた子に、アリスと名前を付けた。私は早速、アリスちゃんをメルちゃんの隣に置いてみた。

 大きくてもこもこした、ティーブラウン色のメルちゃんに対して、アリスちゃんは白くて小さくて、さらさらしている。改めて、自分の好みとはずいぶんと違うと感じた。

 だけど、アリスちゃんみたいなタイプも案外悪くない。いや、むしろかなり好きななのかもしれない。今まで少し敬遠していたタイプだっただけに、今までは少し敬遠していたタイプだっただけに、新たな新境地を開拓できたのかもしれない。

 そう考えると、今日朱里ちゃんと会えたことは私にとってはいい経験だったみたいだ。

「そういえば、来週の日曜日も予定は……」

 机に置いてある愛用の手帳を開いて、予定を確認する。私の記憶通り予定は開いていた。ならば、来週も美奈さんの店に行こう。

 ただ、今日のように遅くなると今度は怒られそうなので、早めに行こう。人は多いけど、朱里ちゃんに全く気付かなかったから大丈夫なはずだ。

 そうと決めたら手帳に書いておこう。私は黒のボールペンで日曜日のところに、予定を書き込んだ。

「来週も楽しみだなあ」

 私の頭の中は来週の事で一杯に埋め尽くされた。