ハッと目を覚まし身体を起こした。周りを見渡すと、ここは保健室のベッドの上だということが分かった。なるほど、さっきまでの光景は眠っていた私が見ていた“ただの夢”だったようだ。

 確かにかなりのリアリティはあったが、よくよく考えてみればあの一日はいい意味で出来すぎだ。

 さらに言えば、私と摩耶は付き合っていない。つまり、あの夢は摩耶を好きな私が理想としていた一日を映し出した夢だったのだ。
 
 こういう時、普通は夢だったと知った虚しさが襲ってくるのだろう。

 だが、意外にも私はそういう感情を一切感じなかった。むしろ、いい夢を見させてもらったという満足感に包まれていた。

「さてと。夢見る時間は終わったんだからちゃんと現実に戻らないとね」

 ベッドを降りると、摩耶が近くの椅子に座りながら眠りこけている様子が目に入ってきた。

 おそらく、私の様子を見に来てそのまま寝ちゃったらしい。ならば、ちゃんと起こしてあげないといけないわね。私は摩耶の近くに寄って摩耶の身体を優しく揺すった。

「摩耶。起きて。授業に戻るわよ」

「んー……。優衣、起きたの?」

 予想外なことに摩耶は一発で起きてくれた。ただ、眠気が冴えないのか気怠そうに下を向いて立ち上がりながら、目の下を擦っている。

「うん。起きたから、教室に戻るよ」

 そう言って、壁に掛けてあったブレザーを取りに行こうとした時だった。

「………………バカ」

 摩耶は下を向いたまま囁くように呟いた。

「えっ?! 摩耶今なんっていっ――」

 摩耶は力強く私を抱き寄せた。突然のことに私は驚くしかなかった。一体どうしたのか摩耶に尋ねようとすると、私のブラウスの左肩がだんだんと濡れているのが分かった。

「無理すんなって、ずっと言ってたじゃん。なんで休まなかったの。ねえ、どうして?」
 
 摩耶は私の左肩で声を震わせて泣いていた。中学一年の頃からの付き合いだが、摩耶が泣くのを見るのは初めてだ。

 なにが起きたのかは全く覚えていない。ただ、そのくらい私のことを心配していたということは十二分に伝わってきた。

「やだよ……。優衣がいない世界なんて。いやだよぉ……」

「摩耶、ごめん……」

 摩耶の涙声に対して、私はただ平謝りをするしかなかった。その時、いいとも悪いとも言えない中途半端なタイミングでガラガラと引き戸が開いた。

「あらまあ。優衣ちゃんはようやく起きたみたいだけど、まーた摩耶ちゃんが泣き出したみたいね」

 入ってきたのは保健室の井田(いだ)先生だった。

「ま、またって。えっと何があったんですか?」

「あなた憶えていないの? 三時間目の途中に倒れたこと」

「三時間目……っ?!」

 先生に言われて思い出した。そうだ。今日は課題研究の発表日だったんだ。

 珍しく私は張り切っちゃってて、二週間前から睡眠時間を削ってスライドや資料作りとかをしてたんだ。そんな私に摩耶は毎日のように無理すんな、とか今日は早く寝ろとか言われて怒られていた。

 でも私はその忠告を無視して睡眠時間を削り続けた。

 そしたら本番の三日前に体調を崩した。すると、その日の朝に摩耶から怒鳴られながら説教された。

 そして、これ以上無理するのはやめろって言われたと思う。それでも準備が終わっていなかったから無理し続け、摩耶からは呆れられた。
 
 当然だけど体調はどんどん悪化していった。その結果最悪の状態で本番を迎え、そして自分の発表が終わった後に私は意識を失い今に至るというわけだ。

「そうだったわね。摩耶はずっと傍にいてくれたよね」

 私は肩で泣き続けている摩耶の背中を優しく擦った。忠告に耳を傾けない私に呆れながらも、摩耶はずっと見守ってくれていた。優しく声を掛け続けてくれた。それだけ私のことを想ってくれていた。心配してくれていた。

 だけど、私はその想いに倒れるまで気づけなった。

「バカよね、私ったら。ホントにバカよね……」

 私の目から大粒の涙が滝のように流れだした。それから、私たちは抱き合って二人で泣き続けていた。先生は何も言わず、ただただ見守ってくれていた。





「どう、落ち着いたかしら?」

 しばらくして私たちが泣き止んだところで、先生が声を掛けてくれた。

「はい。なんとか。長々とすいませんでした」
 
 私は軽く頭を下げて、感謝の意を示した。それに対して先生は首を横に振った。

「いえいえ。それより優衣ちゃんは摩耶ちゃんに、ちゃんとお礼をしないとダメよ。ここまで運んできたのも、ずっと見守ってくれていたのも摩耶ちゃんなんだから」

「はい。もちろんですよ」

「それにしても、今日の摩耶ちゃんはいつもより必死だったわねえ」
 
 先生は少し頬を緩ませながら言った。

「そんなに、ですか?」

「ええ、そうよ。まずあなたを運んで来た時かしらね。大きな足音が聞こえてきたからどうしたのかと思って部屋から出たら、優衣ちゃんを背中に担いだ摩耶ちゃんが凄い顔して全速力で走ってこっちに向かってきていてね。もうほんとにびっくりして腰を抜かしちゃったわよ。それで、恐る恐るどうしたのって聞いたら突然泣き出してね。それはもう大変だったわあ。優衣ちゃんの症状も聞かないといけないし、摩耶ちゃんを落ち着かせないといけなかったからねえ」

 先生は面白そうにその様子を語っていた。その一方、さっきから黙っている摩耶を見ると、下を向いて顔をリンゴのように真っ赤にしていた。至極当然のことだ。誰だって、こんな感じで言われたら恥ずかしくて溜まらない。

「それで優衣ちゃんをベッドで寝かせてからは、隣に座って授業にも行かないでずっとあなたのことを見てたわ。時々優衣ちゃんの手を握ったり、頭を撫でたりしながらね。傍から見てると彼女の様子を心配そうに見つめている彼氏さんって感じだったわねえ。そのくらい、摩耶ちゃんに愛されているって私には伝わってきたわ」

「そ、そんな。愛されているって、言い過ぎですよ」

 ま、摩耶が私を愛しているなんてなんて。でも、もしそうだったら、凄く嬉しいな。私の心はキュンとときめいた。

「ううん。摩耶ちゃんはあなたを愛していると思うわよ。でなきゃ、あんなに必死になれないわ。だからあなたもちゃんと大切にしなさいよ。摩耶ちゃんもだけど自分の事もね。じゃないと、またこうやって心配させたり泣かせたりするわよ」

「はい。わかりました」
 
 私は今日のようなことは二度と起こさないと心に誓った。

「では、そろそろ下校時間みたいだから教室に戻って荷物を取って帰りなさい」

「わかりました。今日は本当にありがとうございました。それでは失礼します」
 
 私は先ほどから恥ずかしさのあまり固まっている摩耶の手を引いた。

「気をつけてね。あと、二人ともお幸せに。私からすればお似合いのカップルだと思うわよ」
 
 先生はニコッと笑っていた。