陽が沈み始めた夕刻。少しずつ闇が生まれ、街灯にもポツポツと明かりが点きはじめてきた。
その時を待っていたかのように、夏の終わりを告げるヒグラシとツクツクボウシが忙しく鳴き始める。それはまるで、終わりゆく最後の生命の灯火を燃やしているかのようだった。
「んーっ! よく寝た」
早希乃はぐっと大きく体を伸ばす。伸ばした左手が、傍で夢中になって本を読んでいた太樹の右足に軽く当たって、太樹は早希乃が起きたことに気づいた。
「あ、早希乃さん、起きたんだね」
出会った当初とは違い、太樹は早希乃の目を見てハキハキと話せている。ただ、流石に早希乃が寝ていた時のように、下の名前で呼び捨てにすることは出来ないようだ。
「うん。今さっきなんだけどね。ところで、実は行きたいところがあるんだけど――」
「綾戸川沿いの堤防、だよね?」
「そうそうそこそこ。太樹くんよくわかったね! 太樹くんはなんかの能力者?」
そんなわけないよ、と太樹は軽く否定する。過去の記憶が蘇った今の太樹には、早希乃が綾戸川に行きたいことはわかっていた。
のんびりと二人が堤防へと向かっている間に陽は沈み始め、堤防に着いた時には夜に変わっていた。
「少し遠かったけど、綺麗だね。牧瀬川と違って、ここは十年前から殆ど変わってないなあ」
法面に青々と生い茂る芝生の上に、早希乃はゆっくりと腰を下ろす。
「私ね、昔この町に住んでたの。幼稚園から小学一年生の間だけどね。もしかしたら、太樹くんとも会ってたかもね。覚えてないだけで」
「まあ、そうかもね。世界は狭いっていうから意外とね」
本当は凄く仲が良かったのだが、太樹はあえてそれを言わなかった。
「ここは私が変わるきっかけになった、大切な大切な場所なの」
早希乃は三日月を写した川面を見つめながら深呼吸をし、自分の過去を感傷的に語り出した。
「私、こう見えても昔は内気で人と接するのが苦手だったから、仲のいい友達が出来なかった。そして、福岡から引っ越して来たら、みんなと言葉が違ってて、言葉が違うのに友達になれるわけなくて、変な人扱いされて虐められてた……」
太樹は黙ったまま早希乃の話を聞く。辺りに人の気配はなく、優しい月明りだけが二人を包み込んでいた。
「そしたらある日、ある男の子が私を庇ってくれた。ボコボコにされてたけど、この子を虐めるやつは僕が許さないって言って必死に私を守ってくれた。私はそれを聞いて凄く嬉しかった。パパとママ以外に私に優しくしてくれる人がいるんだって思って」
「………」
「多分その時に私はその子に恋しちゃったんだと思う。その頃はパパとママにさえなかなか話しかけられないのに、必死にその子と話そうとしちゃうんだから。それで仲良くなって毎日一緒に遊んだりしたけど、一年生の夏休みに引っ越すことになって、その子と別れることになった……。その時は凄く悲しかった。」
「別れ、か……」
その事を聞かされた日の事を思い出してしまい、太樹は悲しそうにつぶやいた。
「そして、引っ越す日にここにその子を呼び出して、十年後にここでまたここで会おう、っていう約束をしたの」
(そうだったな。あの時の泣くのを我慢するのに必死になってた早希乃は、凄く可愛かったなあ)
その時の早希乃の顔を思い出してつい顔がにやけそうになったが、なんとか堪えた。
「けど、本当はもっと言いたいことがあったの……」
早希乃の自分語りが少し止まる。何事かと思い太樹が早希乃を見ると、顔が少しずつ赤に染まってきていた。
「なんて、言いたかったの?」
「だ、大好きだよ。次に合った時は、私を、だき、しめ……て」
早希乃は恥ずかしさのあまり、縮こまり顔をリンゴの様に真っ赤にしていた。また話が止まってしまったが、深呼吸をして落ち着いたところでまた話始めた。
「今でもこんなに恥ずかしくて中々言えないのに、あの時の自分は言えるわけがなかった。けど、私はそのことを凄く後悔した。なんで言えなかったんだって。それからは後悔しないように、言いたいことははっきり言おうって決めた。そこから自分は今のような性格に変われたし、友達もたくさんできた。今、もし会えたらお礼くらいしたいな。あなたのお陰で自分は変われた。ありがとうって」
早希乃の爽やかな声と雰囲気からでも、どれほどまでに感謝しているのかがひしひしと太樹にも伝わってきた。
「大きなターニングポイントだったんだね。その子との出会いは。そういえば、その子の名前とかは分からないの?」
太樹は早希乃に目を合わせ、ストレートに答えを聞いてみた。
「それが、残念だけど名前も顔もあやふやで覚えていない。大切な出会いなのにね」
早希乃は大切なことを覚えていない自分を自虐するように言ったが、太樹は自分だけが忘れているわけでなかったと、心の内でホッとしていた。
「けど、それから今まで色んな男の子に出会ったり告白はされたりしたけど、その子以外に恋したことは本当に無かったわ。あの時のような、恥ずかしい言葉を言おうとすら思わなかったもん」
早希乃の思ってもいなかった本音に、太樹は思わずドクンドクンと、心臓の鼓動が早く大きくなる。チラッと太樹は早希乃の目を見てみたが、その目は恋愛経験などまるでない太樹でもわかるような、恋する乙女の目そのものだった。
「じゃあもしその子と再開してつきあえぇ、付き合えって下さいって言われたら付き合いたい?」
目を見てさらに胸が熱くなり、ドキドキしすぎたせいで声が裏返りそうになったがなんとか誤魔化した。それを聞いて早希乃は間を開けることなく、甘い声ですぐに答えた。
「もしもその子がどんな人になっていても、付き合えるなら付き合いたいな。けど、あの子は優しくて顔も良かったから、多分今は他の女の子にモテていて、私のことなんて覚えていないだろうな。私ですら忘れていたし、地味で根暗だったあの頃の私なんて忘れていてもしょうがないし」
ついエキサイトしていたことに気がつき、早希乃はえへへ、と後頭部に手をやり笑って恥ずかしさを誤魔化した。
その時を待っていたかのように、夏の終わりを告げるヒグラシとツクツクボウシが忙しく鳴き始める。それはまるで、終わりゆく最後の生命の灯火を燃やしているかのようだった。
「んーっ! よく寝た」
早希乃はぐっと大きく体を伸ばす。伸ばした左手が、傍で夢中になって本を読んでいた太樹の右足に軽く当たって、太樹は早希乃が起きたことに気づいた。
「あ、早希乃さん、起きたんだね」
出会った当初とは違い、太樹は早希乃の目を見てハキハキと話せている。ただ、流石に早希乃が寝ていた時のように、下の名前で呼び捨てにすることは出来ないようだ。
「うん。今さっきなんだけどね。ところで、実は行きたいところがあるんだけど――」
「綾戸川沿いの堤防、だよね?」
「そうそうそこそこ。太樹くんよくわかったね! 太樹くんはなんかの能力者?」
そんなわけないよ、と太樹は軽く否定する。過去の記憶が蘇った今の太樹には、早希乃が綾戸川に行きたいことはわかっていた。
のんびりと二人が堤防へと向かっている間に陽は沈み始め、堤防に着いた時には夜に変わっていた。
「少し遠かったけど、綺麗だね。牧瀬川と違って、ここは十年前から殆ど変わってないなあ」
法面に青々と生い茂る芝生の上に、早希乃はゆっくりと腰を下ろす。
「私ね、昔この町に住んでたの。幼稚園から小学一年生の間だけどね。もしかしたら、太樹くんとも会ってたかもね。覚えてないだけで」
「まあ、そうかもね。世界は狭いっていうから意外とね」
本当は凄く仲が良かったのだが、太樹はあえてそれを言わなかった。
「ここは私が変わるきっかけになった、大切な大切な場所なの」
早希乃は三日月を写した川面を見つめながら深呼吸をし、自分の過去を感傷的に語り出した。
「私、こう見えても昔は内気で人と接するのが苦手だったから、仲のいい友達が出来なかった。そして、福岡から引っ越して来たら、みんなと言葉が違ってて、言葉が違うのに友達になれるわけなくて、変な人扱いされて虐められてた……」
太樹は黙ったまま早希乃の話を聞く。辺りに人の気配はなく、優しい月明りだけが二人を包み込んでいた。
「そしたらある日、ある男の子が私を庇ってくれた。ボコボコにされてたけど、この子を虐めるやつは僕が許さないって言って必死に私を守ってくれた。私はそれを聞いて凄く嬉しかった。パパとママ以外に私に優しくしてくれる人がいるんだって思って」
「………」
「多分その時に私はその子に恋しちゃったんだと思う。その頃はパパとママにさえなかなか話しかけられないのに、必死にその子と話そうとしちゃうんだから。それで仲良くなって毎日一緒に遊んだりしたけど、一年生の夏休みに引っ越すことになって、その子と別れることになった……。その時は凄く悲しかった。」
「別れ、か……」
その事を聞かされた日の事を思い出してしまい、太樹は悲しそうにつぶやいた。
「そして、引っ越す日にここにその子を呼び出して、十年後にここでまたここで会おう、っていう約束をしたの」
(そうだったな。あの時の泣くのを我慢するのに必死になってた早希乃は、凄く可愛かったなあ)
その時の早希乃の顔を思い出してつい顔がにやけそうになったが、なんとか堪えた。
「けど、本当はもっと言いたいことがあったの……」
早希乃の自分語りが少し止まる。何事かと思い太樹が早希乃を見ると、顔が少しずつ赤に染まってきていた。
「なんて、言いたかったの?」
「だ、大好きだよ。次に合った時は、私を、だき、しめ……て」
早希乃は恥ずかしさのあまり、縮こまり顔をリンゴの様に真っ赤にしていた。また話が止まってしまったが、深呼吸をして落ち着いたところでまた話始めた。
「今でもこんなに恥ずかしくて中々言えないのに、あの時の自分は言えるわけがなかった。けど、私はそのことを凄く後悔した。なんで言えなかったんだって。それからは後悔しないように、言いたいことははっきり言おうって決めた。そこから自分は今のような性格に変われたし、友達もたくさんできた。今、もし会えたらお礼くらいしたいな。あなたのお陰で自分は変われた。ありがとうって」
早希乃の爽やかな声と雰囲気からでも、どれほどまでに感謝しているのかがひしひしと太樹にも伝わってきた。
「大きなターニングポイントだったんだね。その子との出会いは。そういえば、その子の名前とかは分からないの?」
太樹は早希乃に目を合わせ、ストレートに答えを聞いてみた。
「それが、残念だけど名前も顔もあやふやで覚えていない。大切な出会いなのにね」
早希乃は大切なことを覚えていない自分を自虐するように言ったが、太樹は自分だけが忘れているわけでなかったと、心の内でホッとしていた。
「けど、それから今まで色んな男の子に出会ったり告白はされたりしたけど、その子以外に恋したことは本当に無かったわ。あの時のような、恥ずかしい言葉を言おうとすら思わなかったもん」
早希乃の思ってもいなかった本音に、太樹は思わずドクンドクンと、心臓の鼓動が早く大きくなる。チラッと太樹は早希乃の目を見てみたが、その目は恋愛経験などまるでない太樹でもわかるような、恋する乙女の目そのものだった。
「じゃあもしその子と再開してつきあえぇ、付き合えって下さいって言われたら付き合いたい?」
目を見てさらに胸が熱くなり、ドキドキしすぎたせいで声が裏返りそうになったがなんとか誤魔化した。それを聞いて早希乃は間を開けることなく、甘い声ですぐに答えた。
「もしもその子がどんな人になっていても、付き合えるなら付き合いたいな。けど、あの子は優しくて顔も良かったから、多分今は他の女の子にモテていて、私のことなんて覚えていないだろうな。私ですら忘れていたし、地味で根暗だったあの頃の私なんて忘れていてもしょうがないし」
ついエキサイトしていたことに気がつき、早希乃はえへへ、と後頭部に手をやり笑って恥ずかしさを誤魔化した。