八月三十一日の深夜。暦はそろそろ夏の終わりが近づいて来ているが、そんなことはない。昼間は真夏日をゆうに超え、夜は毎晩熱帯夜。今日も全く同じで、昼も夜もムシムシして暑苦しい。

「眠れねえ……。夏休み最後くらい安眠したい……」

 高校二年ながらも、一人暮らしをしている少年、三宅太樹(みやけたいき)は、イライラをぶつけるように、荒々しく髪の伸びきったボサボサ頭を掻き、仰向けから横向きに態勢を変えた。

「明日からまた学校か……」

 太樹は憂鬱そうな表情を浮かべる。殆どの学生にとって、夏休み終了は、天国から地獄へと突き落とされるような感覚だ。始めのうちは誰も行きたくなくなるが、クラスメイトや友人、先生との会話で行こうとする意欲は次第に回復する。

 だが、太樹は違う。彼は、生まれてこの方ずっといじめられっ子だ。それが男同士だけならまだいいが、女子生徒からも、同じようにいじめにあっている。さらに酷いことに、教師達は太樹のことをいないものとして扱う。ようは、自分の評価を下げる厄介事を避けたいだけだ。

 その状態昔からずっと続いてきて、太樹自身、対人関係に関してはかなり消極的な性格なため、クラスメイトはおろか、友人と呼べる存在はたった一人しかいない。その一人も、五歳の頃に仲が良かっただけで、六歳の時にその子が引っ越して以降会っておらず、声や顔どころか、性別すら覚えていない。

 さらに、いじめは学校だけでなく家庭、一族間でも行われている。無関心という暴力だ。太樹は長男であるが、一族の皆が可愛がって面倒を見るのは、太樹より出来のいいとされている一つ違いの弟だ。可愛がられる弟を尻目に、太樹は両親に、祖父母に、親戚の誰にも全く相手にされない。一人暮らしをしているのも、その影響だった。地元の公立校に行くにも関わらず、翌年以降の高校受験などの勉強に集中させるため、太樹を家から追い出させたのだった。

 この事も含め、今までの事を児童相談所にでも訴えようと何度か思ったことはあったが、両親はその対策もしっかりしていた。疑われないように、モノはちゃんと与え、外ではいかにも太樹を大切にしているように見せかけているため、訴えることも出来ない。

 そんな太樹の夏休みが楽しかったわけがない。当然、娯楽を楽しむことなく、ただだらだらと一日を過ごすだけだった。うーん、うーんと唸りながら、あちこち身体の向きを変える。扇風機しかないこの部屋は、相当蒸し暑いようだ。

「いつだって、僕の居場所は居心地が良くないもんだねえ……。居心地いい場所なんか、ありゃしない」

 諦めたように、月の光で微かに見える天井を見ながらつぶやく。その表情は何かを悟ったようだった。

「楽しくねえ……。なんも、楽しくねえ…………」

 汗が糸を引くように流れる。流れ出た汗がシャツに吸い上げられ、着心地が悪くなる。シャツを変えようかと考えたが、強烈な睡魔に襲われ、いつの間にか太樹は目を閉じていた。




 真昼の太陽の眩しい光に太樹は目を覚ます。

「あれ? ここは?」

 辺りを見回すと、何故か行ったことも見たこともない美しい緑の芝が生い茂る草原の上に、寝間着姿で寝そべっていた。

「さっきまで、部屋で寝てたよなあ?」

 不思議に思いながらも、とりあえず立ち上がり、適当に歩き出した。

 どれだけ歩いても、ずっと緑が広がっているだけで、人の姿なるものや物陰なるものはさっぱり見えない。やがて太樹は、自分は死んでしまったのかと、突拍子もないことを考え出し始めた。

「別に死んでも困りはしねえからいいんだけどな。あの世界にいても、なんも楽しくなかったし。死んでやり直してみるのもいいんじゃね?」

 そんなブラックジョークを言っていると、クスス、という可愛いらしい女性の澄んだ声が耳に優しく入ってきた。

「な、なななななにゅ、何?!」

 あまりにも突然のことに、慌てふためき、思わずセリフを噛んでしまった。

「あなたは死んでませんから。それに十一年前の約束、果たしてもらいますよ?」

「約束……?」

 約束と言われても、太樹は全く思い出せなかった。

「忘れたなんて言わせませんよ?何がなんでも、約束はちゃーんと守ってもらいますよ。太樹クン」

「へ?」

 可愛い声の女の子は、何故か自分の名前を知っていた。そしてその瞬間、立っていた地面が歪み始めた。