雪景色を見た日から数日後


 「珠菜(しゅな)様。真虎(まこ)様と(きく)の方様から文が届いてますよ」


 珠菜は部屋から外を眺めていると、瑚冬(こと)が椿の枝に結ばれた文を持ってきた。


 「父上と母上から?」

 「はい」


 (ここに来てそんなに日が経っていないのに)


 珠菜は呆れながら文を読んだ。


 『珠菜へ

 ちゃんとご飯食べてるか?ちゃんと休んでいるか?

 珠菜がいなくなって父上は寂しいです。

 寂しくなったらいつでも、帰ってきて良いよ

 なんだったら今からでも

 真虎』


 「何か書かれていましたか?」

 「特に何も書かれていなかったわ」


 真虎から来た文を片付けようとするともう一つ文が出てきた。


 「菊の方様からのようですね」

 「何かあったのかしら?」

 「菊の方様からの文は珍しいですから」


 菊からの文は


 『珠菜へ

 子葉国が秋桐国に敗れて、虎白殿と春殿が自害され城が落城した。

 綾殿と藤殿、領民は無事。

 身体に気を付けて。

 菊』


 珠菜が読んでいた文が手から落ちた。


 「何か書かれていましたか?」


 瑚冬は先程と同じ問をしたが、珠菜は答えられなかった。

 (綾殿は無事なの?)

 珠菜の心臓が不安で速まっている。

 瑚冬は珠菜が落とした文を見ると、顔を青くした。


 「子葉国が落ちた、だなんて......。白夜様が無事であることを祈りましょう」


 少し落ち着いた珠菜は見知らぬ名前が出ているのに気付いた。


 「白夜という方は?」

 「白夜様は綾様の兄君で虎白様の嫡男ですね」

 「綾様には、兄がいるのね」


 両親が自害、兄は行方不明。

 珠菜は綾が心配になって来た。


 「瑚冬、和華国へ戻ろうと思う」

 「承知しました。ですが、青龍様が許して下さりますかね?」

 「が、頑張って説得する?」

 「なら、この瑚冬が秘術を珠菜様に伝授します」

 「ありがとう」


 珠菜は瑚冬の秘術を修得し、光希の部屋へ向かった。





 「珠菜です。中に入ってもよろしいですか」

 「もちろん」


 珠菜は光希からの許可を受けて入出した。

 光希の部屋は珠菜と同じぐらいの広さだったが、日が当たっていて暖かく、外には桜が咲いていた。

 珠菜が興味津々に部屋を見ていると


 「初めてだもんね、僕の部屋に来たのは」


 光希がいたずらっぽく笑った。

 珠菜は恥ずかしさを紛らわすために、早口でお願いを行った。


 「光希様。和華国に行ってもいいですか?」


 光希が珠菜の言葉を聞いた途端、顔色が悪くなった。


 「珠菜は、離縁したいの?」

 「え?!離縁なんてしたくないです!」


 光希はほっと安心したような顔になった。


 「なら、どうして行きたいの?」


 珠菜は、文に書かれていた内容と綾のことを伝えた。


 「つまり、珠菜は友達のことが心配で行きたい、と」

 「はい、だめでしょうか、光希様」


 珠菜はここで瑚冬から教えてもらった秘術を試した。

 少し目を伏せて、ゆったりと微笑む。

 普段は見せない珠菜の色気。

 光希は一瞬目を大きく開いたあと、深く息を吐いた。


 「そんなこと、されたら断れないじゃん」

 「ということは」

 「良いよ。でも、僕と瑚冬も一緒に行くからね」

 「分かっていますよ」


 珠菜は里帰りの許可を貰った。


 「それなら、早く準備しないといけませんね」

 「そうだね」


 珠菜と光希は今から行く気満々だった。


 「まさか、今日行くんですか?」


 まさか知らせを受けたその日に行くとは思っていなかった瑚冬は驚いた。


 「そうだよ、『善は急げ』というし」

 「父上の許可もありますし。帰郷しても大丈夫よ」

 「おそらく、そんな意味では無いと思いますが.......」


 瑚冬の呟きは珠菜の耳に入らなかった。

 準備を終えて、屋敷の外に行くと龍の姿の光希が待っていた。


 「お待たせして、すみません」

 「大丈夫だよ。神橋に行こうか」

 「珠菜様を見送った後、私は先に行って待っていますね」


 珠菜が瑚冬に何か言おうとする前に、光希が飛び上がった。


 「瑚冬はどうして、先に行けるのでしょうか」


 先程思った疑問を口に出していた。


 「珠菜は変わったね」

 「そんなことないですよ」


 変わったと言えば、健康になったことだ。

 天界に初めて来た日以外、熱が出ず、身体が軽かった。


 「いや、昔の珠菜は誰かのことを知りたいなんて思っていなかったし、心配していなかったよ。それに、前よりも感情が顔に出るようになったし」


 珠菜ははっとした。


 「そうですね。自分のことで精一杯で周りのことをあまり考えていませんでし、感情を生きることを全て諦めていましたから。だって、諦めた方が楽だったし辛くなかったので。」


 珠菜は暗くなった雰囲気を変えるように、明るい声で次を喋った。


 「ですが、光希様が凍っていた感情を溶かし、暗闇に光が満ちて一緒に歩いて下さいました。私が変わったのは、光希様のおかげです」

 「そっか」


 そんなこんなであっという間に、神橋に着いた。


 「渡ろっか」


 珠菜が嫁ぐときに言った言葉を光希が言った。





 珠菜たちは現世に渡った後、先に着いていた瑚冬と合流して珠菜の育った城へ行ったのだが


 「綾様がいない?!」

 「はい。先程まで部屋にいたのですが、私が行った時にはいなくて......」


 綾の乳母の藤が不安そうな様子で答えた。


 「城の中は探した?」

 「今、手の空いている侍女に手伝ってもらっていますが、まだ見つかっていません」

 「とりあえず、綾殿を見つけよっか」

 「そうですね。瑚冬、藤と一緒に城の中をお願い」

 「「了解しました」」


 瑚冬と藤は探しに行った。


 「僕は土地勘がないから義父上と義母上に説明してくるね」

 「私は外へ行ってきますね」


 珠菜と光希は反対の方向へ進んだ。





 珠菜は城下町を走っていた。

 人から見ると早歩きしているようにしか見えないが。

 (綾様は一度この国に来たことがある)

 忘れもしない、あの日綾と出会って友達になったこと。

 珠菜がいつもつけている髪飾りは、あの時色違いで買ったものである。

 綾と一緒に回ったお店の前を珠菜は通り過ぎていく。

 日は沈みかけて空色から黄金色に変化していた。

 (綾様はあの約束を覚えていたのなら)

 珠菜はあの日の約束を果たすために向かった。





 珠菜が丘に登ると既に目的の人物が佇んでいた。


 「お久しぶりですね、綾様」


 珠菜の声に気が付き、こちらに振り向いた。

 幼かった少女はまだあどけなさを残しつつも立派な一人の女性として成長していた。


 「どうして、こちらへ?」

 「約束を果たすためですよ。いつか、この場所でもう一度会わないと約束したので」

 「そうですか.......。ここなら誰も来ないと思ったのですが、まさか珠菜様が来てしまうなんて」


 珠菜は綾が短刀を持っていることに気づいた。

 武家の女は護身用に刀を持ち歩いているが、刀身は鞘に収まり、剥き出しのままではない。

 しかし、綾の持っている短刀は刃が剥き出しで危険だった。


 「その刀をどうするつもりですか」


 綾がこれから何をするかはある程度予測できるが、質問せずにはいられなかった。


 「切るんですよ、ここを」


 珠菜の脳に警鐘が鳴り響いた。

 珠菜は綾の首に向かっていく短刀を抑えた。

 「は、離して」

 「離しません」


 綾は珠菜を振り払い、短刀を振り上げた。

 珠菜は自分の刀で応戦し、綾の短刀を払った。

 (瑚冬の護身術が役に立ちました)

 短刀は珠菜と綾から離れたところに落ちていった。


 「どうして、放置してくれないんですか」


 綾の目は虚ろだった。


 「放置したら、綾様は自害なさったでしょう?そんなことさせません」


 珠菜は天界に行く前の自分と似ている綾の様子が気になった。


 「珠菜様に私の何がわかるんですか?!」

 「私は綾様とは違う人間なので、綾様のことは全部分からないですよ。でも、知ろうと努力することはできます」


 珠菜は冷静に諭した。


 「どうしてよ......わ、私を死なせてよぉ」


 綾は泣き崩れた。


 「死なせることなんてできません。綾様は、私の友達であること以上に虎白様と春様の娘です。おそらく、お二人は城に残っている綾様を助けて時間を稼ぐために自害したんでしょうね」


 綾は泣き腫らした目を大きく開いた。


 「父上と母上が?」

 「おそらくですけど。綾様、お二人が命を賭けて守ったのを無下にしてはいけませんよ」


 綾は優しく微笑んだ。


 「私はこれからどうすればいいの?」


 落ち着いた綾は迷子の子どもの様だった。


 「それは綾様が考えることです。私が言っても綾様の為になりませんから」


 珠菜はあえて厳しく言い放った。

 これから先、綾は自分で厳しい戦国の世を生きていかねばならないから。

 日が暮れて、しばらくした後、


 「......私は兄を見つけて、時間がかかりますが家を盛り立てて再興しようと思います」


 滅んだ国を元に戻すのは簡単ではない道のりだ。


 「私もお手伝いしてもいいですか?」

 「いいんですか?!ありがとうございます」


 綾は花が綻ぶような笑顔を浮かべた。


 「さあ、帰りましょうか。きっと、綾様のこと心配していると思いますし」

 「皆様に申し訳ないことを......。あ」

 「どうしましたか?」


 綾が突然頭を下げた。


 「珠菜様、刃を向けてしまって申し訳ございませんでした」

 「そんなこと、全然気にしていませんよ。切られていないことを言及する必要はありませんし。私も綾様を抑えた挙句、刀を投げてしまってすみません」

 「あの方たちにはどう説明しましょう?」


 綾のいうあの方たちは真虎と菊など『珠菜命』の人である。


 「まあ、言わなければ問題ないですよ」


 (おそらくだけど)

 珠菜は心境を悟られないよう、短刀を拾いに行って


 「帰りましょうか、私たちの居場所に」

 「ええ」


 珠菜と綾は城に向かって仲良く歩きだした。